蝉声 | ナノ



06 名前

そして、その土曜日になった。
早めの時間に予約して欲しくなかったな、ほんと。


新幹線に乗るのに東京までわざわざ行かないといけないし。
一体、何時起きだと思ってんの。
もうちょっと私の事考えて欲しいよ。




「政宗、駅前で待ってるって言ったくせに……」




ため息をついて地面を軽く蹴る。



こっちは眠たい中来たっていうのに、なんで待ってないかな。
もうかれこれ十五分は待ってるのに。




どこかにいてるんじゃないかと、周りを見渡す。
けど、眼帯をしてるいい男なんていない。

まあ、政宗って時間にルーズなところあるし仕方ないか。



お腹空いたし、コンビニでも寄ろうかと歩き出すと反対車線に、黒い高級車が見えた。



……政宗が乗りそうな感じの車だ。
あれに政宗乗ってるのかな、と見ていると運転席から一人の男が出てきた。





「っ!?」


見覚えのありすぎる人に息を呑んだ。



あまりの衝撃にすべての動きが停止した。


周りからの奇怪なものを目なんて関係ない。
人通りの多いこの場所で私は佇んだ。




本当に、心臓が止まるかと思った。







なんで、なんで……。
何でここにいるの。



私、政宗と映画に行く約束したよね。
何でこんなところに小十郎さんがここにいるの。




もう会うことは無いと思ってたのに。





強張る筋肉を無理やり動かして身体、車からは死角になる柱に隠れた。



やばい、心臓が爆発しそうだ。
汗も半端ないし、膝も笑ってるどころじゃなく、爆笑してる。


その場に座り込んで鞄から携帯を探す。
周りの人に変な目で見られてるけど気にする余裕なんて今の私には無い。





政宗の番号を見つけ出してすぐに電話を掛けた。
いままでで一番ボタンを押すの早かったかもしれない。

残像見えてたよ、きっと。




何度か呼び出し音が鳴って政宗が出た。




『Hello!』
「っ、政宗!」


この前よりもテンション高いのがむかつく。


「一体どこにいんの!?」
『家』


拳を強く握った。
この、餓鬼。




「ざっけんな! 今日一緒に映画見に行くって約束したじゃん!! 何すっぽかしてんの!」
『仕事が急に入っちまってな、わりーわりー』
「はあ!? じゃあ何でもっと早く教えてくんないの!? 無駄足だったじゃん!! 一人で寂しく映画観に行けっての!?」
『だから、小十郎を俺の代わりによこしただろ。もしかしてまだ会ってねえのか?』



飄々と悪びれた様子も無く言う政宗に軽く、いや、本気で殺意が芽生えた。
一番苦しい死に方して欲しい。


嫌がらせか。



「……何考えてんの」



今まで二十五年間生きてきたけど、こんなに低い声が出たのは初めてだ。



電話の向こうで何かが割れる音がした。
政宗はその声色で私の機嫌の悪さを悟ったのか、焦ったようだ。





「あ、あのよ、落ち着……」
「もう一回言うよ。何考えてんの!?」





今度は息を荒げて言い切った。
こいつは、私を殺す気か。


来れないんだったら来れないって電話で言ってくれたらいいのに。
なんで代わりをよこすの。
しかもよりによって小十郎さんなんて。


ありえない。




『Ahーそれとよ、小十郎は取引先を向かいに行けって嘘ついたからな。自分で何とか説明……』
「ざっけんな!!」




小十郎さんに、実は取引先は来なくて、来たのは貴女の世界で一番嫌いな山本なまえでした。って言うの!?



……言えるか!!




まじやばい。こんなに死んでほしいって思った人、政宗が初めてかも知れない。




『Sorry.なら、俺が説明してやる。小十郎と代われ』
「出来るか、馬鹿!」


これ以上近付いたら心臓とまるっつーの。

こんな不意打ち卑怯すぎる。
この前の会食はかなり意気込んで何度も何度もシュミレーションしたから何とか普通に振舞えてたけど、こんな突然だったら……無理だ。



絶対にうまく話せない。
ってか、身体震えて絶対不審に思われる。



それよりも、私が顔を出せば小十郎さんは必ず嫌な顔をする。
私の嫌いなあの目をする。


怖い。
あんな目で見られたくない。



また身体が震えだしてきた。



ああ、ちょっとだけでも吹っ切れたと思ったんだけどな。
全くだった……。







「帰る」
『Why? せっかく来たのになんで帰んだよ』
「ほわい? じゃないっつーの!! そんなにアンタは嫌がらせしたいの!?」




それに小十郎さんにはまだ気付かれてないのに、何でわざわざ気付かれに行かないといけないなんてありえない。
あんな目をされるくらいなら死んだほうがましだ。




携帯に向かってそう怒鳴ると、影が差した。
……この方角だと、まだ陽は当たるはずなのになんで?



不思議に思って顔を上げた。









「っ!?」








今度は一瞬だけだけど本当に心臓が止まった気がした。







『悪かったって。けどよ……って、おい、聞いてんのかなまえ、おい』




携帯を持つ手が力なく下に落ちた。
政宗が何か言ってる気がするけど、そんなの応答できる状況じゃない。








「……なんで此処にいるんだ」





小十郎さんは眉間にしわを寄せて小さく言った。





ああ、最悪だ。
力の抜けた腕を叱咤して、携帯をもう一度耳につけた。

勿論、小十郎さんとは目が合ったままだ。



『……なまえ?』
「政宗、ど、しよ……」
『Ah? 何急に……って、小十郎に会ったのか』
「あはは、目の前……」



どうしよう、やばい。
身体震えてるのに目が逸らせない。



小十郎さん、不機嫌だ。
こわい。
こわい。
怖い。



あの時みたいに拒絶されたら。



死んでしまう。




やめて、やめて。







「政宗様と話しているのか?」





そう聞かれて、何か言わないといけないのに声がでなくて、無言で携帯を差し出した。
……声がでないなんて、情けない。



あれだけマシになったって思ってたのに、全然耐性ついてないよ。






「政宗様、小十郎でございます。取引先は……え!? ……っ、貴方という人は……」





おでこに手を当て複雑そうに話している小十郎さんをぼーっと見つめる。
ああ、ほんと、運悪い。


このまま気付かれないように帰ろうと思ったのに。
何で見つかるかな。





「幾ら上司とはいえ、そのような命令は受け入れかねます。…………しかし、俺はもう…………っ、分かりました。一日ですね。では失礼します」





……帰ろう。つーか、逃げよう。
携帯返してもらったら速攻で逃げよう。


通話が終わったのか、小十郎さんが礼を言って私に携帯を返してくれた。


膝が絶賛爆笑中だけど、鞭打って立ち上がった。



また傷つけられる前に逃げないと。





「で、では……し、失礼します……」
「待て」



駅内に入ろうとすれば小十郎さんに腕を掴まれた。




「へ、へ?」
「映画、観にいくんだろ」
「なっ!?」



ま、政宗、もしかしてさっきの電話で小十郎さんに言ったのか!?
最悪だ!
このまま偶然会いましたね、では用事があるのでさようなら。ってしようと思ったのに!!





「い、いや……い、いいです」
「政宗様からの命令だ。仕方ない、諦めろ」




政宗。
まじ死ね。






「こ、じゅ……片倉さんも、忙し、んじゃ……」
「……その呼び名」
「へ?」
「いや、なんでもねえ。今日は休みだ。だから心配すんな」
「そ、そうですか……」




最悪だ。ほんと、最悪だ。
政宗、絶対はじめからこうなるように仕組んでたんだ。


諦めるって言ったのに。
なんやかんやで、いつも私の味方だったのに。
何で今回は協力してくれないの。



何で交流させようとしてんの。
何で距離を近くさせようとしてんの。


……ありがた迷惑。




ってか、耐えられない。




今日一日小十郎さんの隣にいるなんて。

小十郎さんは絶対嫌なはずだ。
あの時みたいに酷いことを言われたら。
あの目で睨まれたら。



考えるだけで足が震える。





立てないかも、と思っていると小十郎さんが私を引っ張りあげた。


いきなりのことで心臓が止まりそうになったが、小十郎さんの力強さを久しぶりに感じて胸が高まった。
ほんと、矛盾してる。






「行くぞ……『山本』」







「っ……」




また、心臓が止まりそうになった。





何で苗字呼び……。





……そっか、好きでもない奴のこと名前でなんて呼びたく無いもんね。
前までは、昔馴染みということで呼んでくれてたんだ。




私だって、嫌いな人のこと名前で呼ぶの嫌だし。
少しでも距離を開けようって絶対苗字で呼ぶ。



小十郎さんはそれと同じなんだ。




小十郎さんに嫌われてるなんて重々承知のことだ。
落ち込む必要なんてない。
大丈夫、あの時よりましだ。







どれだけ嫌われてるかなんてこの腕を掴む強さで分かる。


……すごく痛い。
もしかしたら赤くなるかもしれない。



そりゃそうだよね。
嫌いな奴にただでさえでも少ない貴重な休みを捧げる事になるんだから。

幾ら命令でもそんなに嫌なら断ればいいのに。






……大丈夫、これくらいどうって事ない。



ふられたときより断然まし。





落ち着けなまえ。


笑顔でいなきゃ。
小十郎さんにこれ以上嫌われないようにしなきゃ。





昔とは違う。
私も一歩進んだ。
大人になったんだ。
仮面ぐらい被れる。



気持ちを切り替えろ。




もうあんな弱い私には戻らない。
強く生きなきゃ。





小十郎さんの背中を見ながらそう決意した。




(山本と呼んだ時、小十郎さんの腕を握る力が更に強くなった気がした)
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