蝉声 | ナノ



19 奔騰

目の前に緑茶が差し出された。


「あ、ありがとう、ございま、す」



沈黙。





だって、話すことない。


何話したらいいの。



だって、この前のことがあった後でめちゃくちゃ気まずい。


それに余計なこと話してまた怒らせたくない。











ああ、どうしよう。







「山本」




挙動不審になってると小十郎さんから声が掛かった。



「は、はい!」




目はあわせられないけど、返事は出来た。






「今川の息子と結婚するらしいな」
「へっ!?」





心臓が止まるかと思った。



ああ、今川はやっぱり伊達にまであの嘘っぱちを言いふらしてたんだ。

しかも、話が盛られて『結婚を前提にお付き合い』から『結婚』にすり替わってるし。
ありえないのに。





……小十郎さんは信じてるんだ。






「そんな、話になってる、らしいですね……」
「違うのか?」
「プロポーズはされてませんから」



落ち着けるためにお茶を飲む。




ああ、冷静に対処できてるかな、私。

ちゃんと繕えてますように。








ああ、頭ががんがんする。






そうだ、そういえば私体調が悪かったんだ。
思い出すと、身体が急にだるくなってきた。







「そうか……」






小十郎さんは考え込むように言った。




小十郎さんはどんな気分なんだろう。
私が結婚しないって聞いて、残念?

さっさと結婚して欲しかった?




早く目の前から消えて欲しい?







「プロポーズされたら受けるのか」
「……はい」




……って答えて欲しいんでしょ? 小十郎さんは。

もう小十郎さんは私と関わりたくないんだから。






まあ、事実なんだけど。
プロポーズされたらそこで終わりだ。
させる前に嫌われないと。











「結婚となったら、お前も幸せだな」





「え……」





そう思ってる、って分かってたけど。
覚悟はしてたけど。







聞きたくない。




この先の言葉は聞きたくない。




言わないで、言わないで。







けど、私には小十郎さんを止める術を知らない。








「よかったな」






声が穏やかで。
どう聞いても、心から祝福してるようにしか聞こえなくて。




現実を突きつけられた。






「っく……」
「……山本?」




だめだ、泣いちゃいけない。
泣いたら、だめだって。





小十郎さんの前では、泣けない。







「っ、あ! ゆ、雪!」
「あ? ああ、そうだな」




不意に外を見れば、雪が降っていた。

ああ、天気に助けられた。




泣いてることを悟られないため窓へ寄る。

窓を開けると、冷気が一気に部屋へ流れ込んできた。
寒さに身体が震えた。





初雪だ。








「あ、れ?」




静かなはずの冬空に、真夏の声がかすかに聞こえた。





「せみ……?」





遠くのほうで一匹鳴いてる。

なんでこんな時期に。
蝉って一週間、しかも夏にしか生きられないのに。







「時々、ぼけてる奴がいるらしい」
「え?」
「成虫になる時期を間違える蝉がいるんだとよ」
「へえ……」



素直に驚いた。
そんなばかな蝉もいるんだ。








……まるで私みたいだ。



勝手に思い込んで、出しゃばる。
そして気づいて周りを見渡せば、誰もいない。


必死に鳴いても鳴いても、誰にも気づいてもらえない。




はは、急に親近感わいたな。








そういえば、十年前のあの時も蝉が鳴いてたな。
夏場で当たり前のことなのに、なんだか印象に強く残ってる。
















「……う」








あれ、目の前が霞む。
身体もさっき以上にだるい。








「っ」





その場に座り込む。



ああ、急に冷気にあたったからだ。





「おい、どうした」






どうしよう。
立てない。





迷惑かけちゃいけないのに。



ああ、せめて一人になるまで待ってよ。
こんなところで力尽きるなんて。







頭がぼーっとする。







「はあっ、はっ……は、っ」






座ってるのも辛い。
倒れるように寝転がる。






「おい! って、すごい熱じゃねえか! なんで黙ってた!」







「はあ、はあっ……だ、じょぶ、で……」
「大丈夫じゃねだろ! んな時まで遠慮すんな! 今医者に連れてってやる、待ってろ」





小十郎さんが焦ってる。


迷惑かけちゃいけないのに。
何やってるんだろ、私。




ああ、なんだか何も考えられない。



もっと反省しないといけないことはいっぱいあるのに。





心地いい浮遊感を感じた。





「おい成実! 退け!」
「え、ちょ小十郎どうした……って、なまえ!?」
「近くに病院あったな、電話しとけ! あとこいつの連れにも事情説明しとけ!」
「お、おう、なまえがんばれよ!」





成実の励ましの声に返事したかったけど、出来なかった。







「寝てろ」
「ん……?」
「俺がちゃんと病院に連れてってやる」
「ん」





小十郎さんの声が酷く穏やかで。
めちゃくちゃ安心できた。




その一言だけで、心があったかくなった。









「っ、じゅろ……さ」








思わず手を伸ばした。





小十郎さんは私を抱えてて両手が塞がってるのに何やってんだろ。



もちろん、手を握り返してくれるわけは無い。
その代わりなのか、手に唇をつけてくれた。



「……これで我慢しろ」



(ああ、熔けてしまいそう)
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