旦那の岡惚れ | ナノ




02 声を聞くだけで

政宗side



「もう、いらぬ」

いつも飯のときは食い終わるまで箸を弁当箱と放さない幸村が、弁当を一口食べただけで、下に置いた。


「え、ほんとに?」
「ああ、腹が空かぬ」


そう言うと幸村は遠くの空に目をやった。


こんなこと中学時代から一度もありえなかったことだった。
空から槍が降ってきそうなくらいの不可思議な行動に俺、慶次、元親は目を見合わせた。


佐助は、苦笑いを浮かべて、そっか。と短く言って幸村の弁当を片付けた。
……佐助の奴、何か知ってるな。



「Hey,佐助。こいつ、どうしたんだ」
「うーん……それが……みんな、驚かないでね?」
「Ah? なんだよ、早く言え」


一体なんだ。
意味わからねぇ。

前置きがないとやばいような内容なのか?


理解できない俺達もとりあえず箸を置いた。
慶次なんか、この神妙な空気のせいか、正座してるしな。


こんな天気のいい昼に漂う雰囲気じゃねえな。


そう思って居ると、佐助は言い難そうに眉を下げた。



「えっとね、旦那が……恋しちゃったみたい」



「…………は?」



俺達三人の声がハモった。


たかが人一人が恋したぐらいであの雰囲気を醸し出したのか、この猿は。と拍子抜けした。
しかしそれは一瞬で、直ぐに佐助の言った事の重大さに気付いた。



確かに、たかが人一人の惚れた腫れただったら、大した事はねえ。
取り上げるような事でもない。


だが、その人一人が幸村だというなら、話は別だ。

あの、ある意味女恐怖症の幸村が恋?


保健の授業が耐えられずに保健室に逃げたあの幸村が。
女と話すときには目をあわせて話せないあの幸村が。
何の支障もなく接することができるのは四十を越えた女だけだった幸村が。



女に、恋?


ないないない。


多分、空気の読めないただ一人の男を除いて、俺達二人は同じ事を思っただろう。
隣の銀髪の表情を見れば分かる予想する事なんか安易だ。


「Ha! jokeにしちゃァ上出来だ。一瞬騙されそうになっちまった」
「あ? 冗談か? んだよ、本気にしちまったじゃねえか」


元親と見合って、空笑いを交わした。

どうせ、ばれちゃった? とか何とか言って佐助がネタばらしすんだろ?
分かってんだよ、こっちは。


ネタばらしをしやがれ、と半分は見透かしたように、半分はそうであってくれと願いを込めて佐助に言った。

けど、佐助からは帰ってきたのは俺らの望んでた返答じゃなく、信じ難い事実だった。



「あは、冗談じゃないんだよね、これが」



佐助が苦笑いしながら空を見て惚けてる幸村を指差した。



「……本気で言ってんのか?」
「うん。この旦那の様子見たら分かるでしょ?」


確かに、こんな幸村は見たことねえ。


本気で、女に恋したってのか?



「……unbelievable」


思わず口を手で覆った。
こんなに驚いたのは初めてかもしれねえ。



「そうか、そうか! 幸村も遂に恋か!!」


驚きを隠せずにいる俺らに対して、慶次は何事もないかのように喜び、幸村の背中を叩いていた。

幸村が何も言わずにただ叩かれている。
まるで、叩かれている事にも気付いていないように。

いつもなら、恋だの愛だのという単語を聞くだけで破廉恥なんて言っているあの幸村が、だ。
恋といった慶次に何も反論せずに、




「これが、恋……なのか」



なんてうわ言のようにほざいてやがる。



「……本気なんだな」

元親が、ぽつりと呟いた。


「そうみたいなんだよね」


俺様、旦那が恋とか死ぬまでないかもしれないって心配してたのに。面食らっちゃったよ、全く。へらへらと笑っているが佐助の顔はどこか複雑そうだ。

そりゃそうだ。俺もこの幸村だけには先を越される事は有り得ないと思ってた。
俺には本気で好きな奴が出来た事なんてねぇぞ

……一歩leadされちまったじゃねえか。


俺が恋愛に関して幸村に遅れをとっているのか?
……腑に落ちねえ。



「幸村幸村! それで、好い人の名前は!?」
「ちょっと、声大きすぎ。他の生徒に聞かれたらどうすんの」
「おっと、ごめんよ」


幸い、俺らの溜まり場になっている非常階段の下付近には誰も通っていなく、聞かれた様子もなかった。

佐助が周りを見渡して、息をついた。


すると、幸村が思い出したかのように呟いた。


「……名前は、なまえ殿とおっしゃっていた」
「なんだ、幸村。名前訊けたのか」
「いや、近くに居られた友人がそう呼んでおられた」


空を見て話す幸村にどこ見て喋ってんだ。と突っ込んでやりたかったが、話が逸れるので止めておいた。

幸村が自分から訊いたんじゃなくて、偶々聞いたと言った時に元親が安堵の溜息をついたのは気のせいじゃないだろう。
まあ、幸村が積極的に女に話しかけて名前を訊いたなんて聞いたら余計に置いて行かれた気分になるからな。

元親もその類で安堵したはずだ。




「なまえ、ねえ……俺様聞いたことない。年上? タメ?」
「いや、そこまでは分からぬ」
「そっか……まあ、同じ名前の人が沢山居ない限り、直ぐ見つかるでしょ」
「ああ」


幸村が捜してる女、一生見つからなければいい。
俺より先に真のgirl friend作るなんざ、許せねえ。
それに、俺のprideが傷つく。


元親を見ると、どこか複雑そうに顔を顰めてた。
ああ、こいつも俺と同じこと考えてんのか。


さっきから、俺らって思考回路が同じなのかもな。
ま、俺はこいつみたいにfoolじゃねえけどな。


なんて思って居ると、地上最強のKY男が口を開いた。



「俺、二年の先輩になまえって名前の子がいるの知ってるけど」
「Ah!?」
「ああ!?」

首が180°回りそうなくらいの勢いで俺と元親は慶次の方に向いた。



「……どうしたの、二人とも」
「いや、なんでもねえ……」

佐助の怪しむ顔から俺らは目を逸らした。
俺らの行動なんか目に入っていないのか、気にした様子など塵ほどにも見せず、幸村がいきなり立ち上がった。


「け、慶次殿!! そ、そそそのっ、あの姫を知っておられるのか!?」
「ちょっ、幸村、落ち着けって……!」


自分よりデカイ慶次の肩を掴んで思いっきり揺らした。
さっきまでの阿呆面はどこへ行ったのか、鋭い目で必死に慶次を問いただしていた。




……つーか『姫』なんて呼び方してんのか、こいつ。




「旦那、落ち着いて。こんなに揺らしちゃ慶次も話せないでしょうが」
「はっ! そうであった。すまぬ、慶次殿」
「ははっ、必死だねえ」


佐助に肩を叩かれて、我に返った幸村が謝ると蒼い顔をした慶次が楽しそうに笑った。

……顔色と表情がmismatchだな。



まあ、飯食ってる途中にあんだけ揺さぶられたら、誰でも吐きそうになるな。





「俺もこの学校に何人なまえって名前の子が居るか分かんないからさ、幸村が探してるなまえとは違うかもしれないけど……」
「良い!! 可能性があるなら教えてくだされ!!」
「この前、代議委員会があってその時になまえって呼ばれてる先輩が居たんだ」


そういや、慶次の奴HR委員だったな。
なんの得もねえのに、ただ頼まれたら引き受けるなんざ、損な奴だ思っていたがそうでもないみたいだな。

一応、得な事はあった。が、この情報は幸村にとってはluckyかも知れねえがこっちにとってはunlukeyだ。


……しかし、まだ、大丈夫だ。
一発で幸村の探してる女に当たる確率は低い。

俺のprideは保たれてる。


「おお! ど、どんな方でござるか!?」
「えーっと、この前は昼飯、中庭で食ってたのを偶々見つけたような……」
「な、中庭でござるな!!」


その言葉を聞いた途端幸村は走り出した。

あいつ、何で走ってんだ。
別に中庭だったらここからでも少し遠いが見えるじゃねえか。


「だ、旦那! 落ち着いて!! ここからでも見えるでしょーが!!」
「……聞いてねえな」
「ああもう、あの人我を忘れてる!」


「俺達も見に行こうぜ」
「そうだな」

佐助が立ち上がったのを合図に俺ら三人も立ち上がって中庭に向かおうと非常階段をおりた。


まさか、一発で見つかるはずねえよな?



「あのなまえって言う人が幸村の探してる好い人だったらいいのにな」


恵比寿もびっくりな笑顔を見せて歩く慶次を見て、溜息を押し込んだ。
……こいつを見てると今までの俺、ダセェな。

たかが幸村一歩越された程度で何取り乱してんだ。
coolじゃねえ。


ここは男らしく歓迎してやろうじゃねえか。


「あ、旦那が帰ってきた」
「Ah? 何やってんだ、アイツ」



「――――〜〜っ!!」



声にならない超音波みたいな音を出して幸村はこっちに全力疾走で戻ってきた。


「旦那、どうしたの」
「いいいいいっ、いらっ、いらっ!」
「いら?」
「落ち着けって、何言ってる分かんねえよ」


興奮した犬のように鼻息荒く、同じ言葉を連発した。

馬鹿じゃねえのかと思ったとき、いきなり幸村が頭を抱えて蹲った。



「ちょ、ほんとにどうしたの!?」
「いいい、いらっしゃったのだ!!」
「お前の探してるなまえって奴か?」
「そ、そうでござる!!」


その言葉を聞いた瞬間、元親の顔から血の気が引いたように感じられた。

……別に俺はなんとも思ってねえぞ。
余裕だ、余裕。


「え、ほんとに居たの!?」
「あ、ああ!」
「どこだ!?」


血走った目で元親は中庭に目を向けた。
すると、慶次が中庭に向かって指差した。


「あーあれだよ、あの木陰に座ってる一番右の子」
「今ご飯食べた子?」
「そうそう。あの子が代議委員会に出てたみょうじなまえ先輩だよ」
「Hum,普通だな」
「うん。特別可愛いって訳でもないし、ブスでもない」
「そ、そうか……」


助かった……。と俺にしか聞こえないような声で、安堵した元親。
これで幸村の惚れた女がcuteな奴だったら元親のprideはズタズタだったはずだ。


只でさえでも一歩越された上に女が自分が認める程cuteだったら、幸村より目利きが劣ってるっつーことになるしな。


幸村より目利きが劣ってなくて良かったな、元親。
……俺は初めから焦ってなんか居なかったが、お前は相当焦ってたからな。




「つーか旦那、あの先輩でほんとに良いの? 旦那なら、もっと可愛い子が……」
「佐助ーせっかく幸村の恋の花が咲いたんだ。そんなこと言うのは野暮ってもんじゃないのか?」
「そうだけどさ。あの子、旦那に合うかな……」


確かに、幸村の顔だったら、もっと上のrankでも狙える。
だが、可愛すぎてもこいつにとっては逆効果だ。

四十過ぎるまで普通に接する事は出来ねえはずだ。


やっぱり、あれくらいの普通の女の方が向いてんじゃねえのか?



「口を慎め、佐助」
「え?」

蹲っていた幸村から声がしたかと思うと、立ち上がって佐助を睨んでいた。
なんだ、いきなり。


「……怒ってんのか?」

明らかにさっきと纏う空気が違う。
佐助の、もっと可愛い子の言葉に反応したのか?


「姫以上に愛らしい方などこの世に存在する訳がなかろう!!」


息を荒げて幸村は怒鳴り散らした。


……そこまで言うか、こいつ。
佐助なんか面食らって口が開いてる。
慶次はいいね、いいね。なんてニヤニヤ笑ってる。
……変態カメラマンか、お前は。



「まさか、あの幸村がここまで言うとはな……」
「元親、マジでヤベーぞ。こいつ、直ぐに付き合うかも知れねえ」


惚れた女は極々普通の女。
幸村が今のように羞恥を持たずにapproachすれば直ぐに落ちるはずだ。


「ど、どうするよ」
「どうすることも出来ねぇだろ」
「くっ、これで、幸村にも俺は抜かされんのか……!」



悔しそうに顔を顰めて拳を握り締めたとき、話題の女が居る場所から声がした。


「ちょっ、なまえ!! それ、私の卵焼き!!」
「この前私のたこさんウインナー盗ったじゃん。仕返しだって」
「さいてー。じゃあ、このミートボール貰うから!」
「え、まっ!! それは最後にとっておいたのに……!」


んだよ、弁当の盗り合いか。
いきなりデケー声だすから何事かと思っちまったじゃねえか。


幸村に聞こえないよう、小さく舌打ちして幸村に視線を移した。


「Ah? おい、幸村。どうした」
「だ、旦那?」


怒りに染まっていた顔が、今度はたこの様に真っ赤に染まっていた。


「あ、ああああっ、姫のお声がっ……!!」

そう声を発した幸村は、


「だ、旦那!!」



ゆっくりと倒れていった。



「危ねー。佐助が支えてなかったら確実に頭打ってたぞ」


こいつ、死にたいのか? と元親は心配しながらも呆れた。


「もう、何やってんの!!」
「す、すまぬ……姫のお声を聞いて、舞い上がってしまった……」

「……舞い上がって普通倒れるか?」
「あり得ねぇな」
「それだけなまえ先輩のこと好きってことだろ?」
「旦那、かすがみたい……」



たかが声を聞いただけで、あーうー、と顔を赤くしながら悶えてる幸村を見て慶次以外の全員が呆れた顔をした。



「元親、一つ訂正する事がある」
「なんだ?」
「付き合うのは一生無理かも知れねえ」



「……そうだな」


元親は悟ったように小さく頷いた。


声を聞くだけで。
(つーか、どんだけ惚れてんだよ)
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