それはそうとして、主人公にはやばい男をその気にさせる才能があるらしい。
ただエチに持って行きたいだけの展開です。
私の上司(2)
桜の季節だった。
緊張した表情の新入社員たちが見つめる前で、先輩社員のひとりが歓迎のあいさつをする。社長の挨拶はほとんど覚えていないのに、その人の言葉や姿ははっきりと思い出せた。
凛としたまなざしで新入社員に目標をもって頑張ってほしいと語る彼。
──あんな人になりたい。
そんな春のきらめきのような胸の高鳴りを覚えている。
目が覚めると見上げていたのは知らない天井だった。あれ、わたし眠っちゃったんだっけ。彼氏の不貞行為を見てしまい、やけになって居酒屋で、後先考えずにお酒を飲んでしまった。上司にたくさん愚痴を聞いてもらった気がする。ついでに文句も言った。最悪だ。
会計を済ませたあたりまで記憶があったが、お店を出たあとふらついて、上司に受け止められて──……それ以降は全く記憶がない。
ドアが開く音がして、びくりと肩が震えた。部屋に入ってきたのは上司だった。どうやら彼は私をひとりにしないで介抱してくれたらしい。
「ミス・立香、目が覚めましたか」
「はい……あのうここは…」
私は慌てて起き上がった。上司はシャワーを浴びたあとなのか、髪が濡れてラフなスウェットに着替えていた。「私の家です。あなたの家が分からなかったので」
「はあ……ありがとうございます」
「喉が渇いていませんか?」
彼は自然な動作でベッドサイドに置いてあった水差しからコップに水を注いだ。どうぞ、と言って私に差し出す。おずおずと受け取った。
「す、すいませんでした。ガウェインさんにたくさん迷惑をかけてしまって……。これ飲んだら帰りますね」
上司はじっと私を見つめていた。ラフな格好で、シャワーを浴びたばかりの清潔な男性の匂いがして……まだ少し酔いが残っているみたいだ。心臓がどきどきしてコップを持つ手に力がはいらない。
「もう遅いですから泊まってください。それに、」
上司はゆっくりと微笑んだ。見惚れてしまいそうなイケメンぶりだった。「あなたが『ひとりにしないで』と言ったんですよ」
◇◇◇◇
──こんなふうになるだなんて、想像していただろうか。
上司であるガウェインにとつぜん唇を奪われ、立香はおどろいて反応が遅れた。ギシリ、とベッドが彼の重みで軋む。無防備な唇に舌が割ってはいってきて、濡れた舌の感触に翻弄された。
「っ……あのっ…」
唇が離れて立香は困惑の言葉をこぼした。「な、なんでこんなこと…」
こう聞いた彼女に、ガウェインは分かっているでしょう、と含みのある返事をした。
「『ひとりにしないで』と言って男の家に来たんです。このまま何もなく帰るつもりですか?」
「で、でも……」
「男に体を預けて期待させたんです。初めてでもないでしょう」
戸惑う立香を無視して、彼はシーツをめくりベッドの中に入ってくる。立香のそばまで来ると、シャツに手を伸ばして首元のボタンをはずし始めた。
「待ってください。誤解です…っ」
「こんなに無防備なのに?」
あらわになった首筋に彼の口付けが降ってきた。試すように触れる、熱い唇にびくりと体が震えてしまう。酔いで火照った体がくすぐられるようだった。
「やっ……」
「こんなに震えて……大丈夫、ちゃんと気持ち良くしてあげますから。嫌じゃないでしょう?」
「っ……」
背中に手が回され、大きな手がホックのあたりに来たので、彼が本気で自分を抱こうとしていることが分かった。
──苦手だけど嫌いな上司じゃなかった。
そんなふうに思っていた頃が懐かしくなる。仕事にストイックで、厳しいけど真剣なだけ。私を女性ではなく部下としてクリーンに接してくれているのだと思っていた。
──お酒に酔って男を誘うような軽い女だと思われていたなんて。
これまで自分はそんなふうに見ていたのかと思うと、すごく悲しくなる。立香は裏切られた気持ちでいっぱいになった。
「っ……」
抵抗のそぶりはなかったが立香の声が聞こえなくなったことに違和感を感じて、ガウェインは顔をあげた。
はらはらと涙が頬を伝っていた。
「……。そんなに嫌なら、はっきりと『嫌だ』と言えばいいじゃないですか」
ガウェインは立香の涙を見るとその気が失せたのか、すっと体を離した。距離をとりながらも、涙を拭う立香にティッシュを差し出す。
いっこうに涙が止まらないのをみて、ガウェインは眉をしかめて謝罪を口にした。
「──すみませんでした。私があなたの言葉を都合よく解釈しただけです。あなたにもその気があった、というふうに言って、申し訳ありませんでした」
「そうやって謝るなら……っ」
立香は上司を睨みつけた。「なんでこんなことしたんです? ガウェインさんはこれまで全然そんなそぶりなかったじゃないですか。恋愛話に興味がない感じだったし、プライベートにも口出ししなかったのに」
ぐっと怒りが込み上げてくる。
「好きじゃなくても性欲があれば抱けるってことですか?」
「………」
裏切られた怒りを上司にぶつけながらも、立香はどうしてこんなことを上司に尋ねているんだろうと思った。
──『嫌だ。もう近寄らないでほしい』と言うだけでいい。もしくは何も言わずに部署の移動願いを出すとか。でもどうして『好き』とか『なんでこれまでそうじゃなかったのか』とか聞きたいんだろう。
──たぶん私は、元彼と上司を重ねているんだ。
居酒屋でさんざんに愚痴った元彼は、私のことを好き・可愛いとか言ったくせに、他の子と手を組んでデートしていた。
──恋人がいても女性に誘われたら断らないってわけ? 性欲に駆られたら抱けるってこと?
私は上司として一線引いていたガウェインさんは違うと、世の中の男性すべてがそうでないと、そう思いたいんだ。
「私、帰ります」
むなしくなって立香はベッドから出ようとした。
期待しても無駄だ。だって、酔った勢いでこれまで部下として接してきた女を抱ける男なんだもの。彼にちゃんとした理由があったなんて、期待するだけ無駄だ──……。
「違います」
ガウェインは立香の服のそでを掴んだ。強くはない。だが、引き止めるには十分だった。くわえて彼の瞳はまっすぐに彼女を見つめていた。
「……このまま返してしまえば、誤解されたまま移動願いを出されてしまいそうなので。少しだけ、私の話を聞いてくれますか?」
こう話すガウェインからはいつもの余裕さが消え、切迫して逃げ場をうしなった男の表情だった。仕事でどんな問題が起きても上司のこんな顔は見たことがなかった。
彼がそんな表情を浮かべたのにおどろいて、立香は自然とうなずいていた。
◇◇◇◇
ガウェインは椅子に座り、改まった表情で『なぜこんなことをしたのか』と話し始めた。それは思ってもみないほど長い経過の話だった。
「……つまりガウェインさんは、新入社員のときから私を知っていたと?」
「はい。その時から気になっていました」
「部下になった私に残業させたり、休日出勤させたのはよくない噂のある男性から私を守るためだったと……そんなことってあります? 確かに別れたあと、元彼のうわさにショックを受けたことはあったけど…」
「あなたが毎回ロクでもない男性と付き合うからですよ。こんなに可愛いくて賢いのに自信がなさすぎる。そういう男はあなたみたいな女性を敏感に嗅ぎ分けるんです」
「………」
上司の長い告白を聞きながら、立香はにわかに信じがたかったが、少しだけ腑に落ちた部分もあった。たしかに気になる男性ができたタイミングで残業や休日出勤があった。逆にそうでないときはほとんどなかった。
それをすべて把握していたなんて。
「ガウェインさんはずっと私のプライベートを把握していたってことですか…?」
鬼上司だった彼に文句を言われたくなくて、仕事中に私語をすることは殆どなかった。飲み会や休憩中に同僚と話すことはあったけれど、なぜ彼がそんなに知っているんだろう?
「好きな相手のことならすぐ勘付いてしまうものです。あと、職場関連の男性が多かったのでウワサが伝わってきたり」
「は、はあ……」
そんなに自分はプライベートが筒抜けだったのかと赤面した。少し疑問が残っていたが、鬼上司に『ずっと好意を持たれていた』ことのインパクトが強かった。
「──ですが、すみませんでした。
あなたを守りたいと思っていたのに、残業や休日出勤をたくさんさせたことを謝ります。今後は一切そういうことはしませんから……」
だから、と彼は続けた。
「部署の移動願いは少し待ってもらえませんか。せめて今のプロジェクトの後任を決めるまで。あなたは優秀な部下でしたから」
「………」
立香はガウェインに『もうすっかり移動願いを出すつもりでいる』と思われていることに少しだけ自尊心が傷んだ。やり方がひねくれ過ぎているが、彼の行為をすべて悪いと思うことはできない。仕事を褒められたのは嬉しかった。
彼の仕事ぶりは尊敬できたし、数年も部下として働いて、残業や休日出勤のときは必ず彼もその場にいてくれたのだ。
「はい。本当に課長の行為は許せません」
「そうでしょうね……」
落ち込んでいるガウェインに対し、立香は覚悟を決めて言った。
「そんなに私のことが好きなら、ちゃんと言ってくれたらいいじゃないですか。よくないウワサがある男性とデートできないよう残業させたり、お酒に酔ったタイミングを利用して私を手に入れようとしたり、行動がひねくれていて嫌いになりそうです」
ふう、と深呼吸した。
「きちんと言ってくれたら、私も考えます。告白されたからといって『別の部署でしか働けない』と、わがままを言うような人間ではありません」
もちろん働きにくいですけど、と言った立香に対してガウェインの表情は固まっていた。今度は彼がおどろく番のようだった。
びっくりし過ぎて整理しきれていない様子が、いつも冷静沈着な鬼上司だとは信じられなかった。彼も他人を好きになって愚かな行動をするような人間だったのだと、立香は可愛らしく感じてしまった。
「それは……あなたも私に興味を持ってくれていたと?」
「ちょっと拡大解釈しすぎですけど……」
「じゃあ」
と、ガウェインは姿勢をただして熱っぽい真剣なまなざしで立香を見つめた。
「……順番がおかしくなってしまいましたが。
あなたが好きです。ずっと前から。私と付き合ってください」
切迫した表情で語られた彼の事情から、熱っぽい真剣なまなざしの告白まで、めまぐるしい感情の起伏が立香をおそっていた。
とてもじゃないけれど今晩だけで整理して返事できない。だが、熱っぽいまなざしを向けるガウェインは立香の返事を聞くまで離してくれそうになかった。
──どうしよう。こんなに彼が正直な告白をしてくれたのに先延ばしするのも悪い気がするし……。
いっさい気持ちがないなら断った方がいいと思う。だが、こんなに想ってくれていたと知って、ガウェインに気持ちが傾き始めていたから厄介なのだ。
まだほんの少しだけお酒が体の中に残っていた。
──そのせいということにしようか。気持ちが昂りやすくなっていて、冷静な判断力が鈍っている。
彼に見つめられながら、立香はちいさくだが頷いたのだった。
◇◇◇◇
「んっ……」
返事は言葉ではなく唇でかえってきた。ガウェインは立香が頷いたのを見るやいなや、嬉しそうな表情を浮かべてキスをしてきた。唇で触れるだけのバードキスが、頬や額、髪に落とされて照れくさい。
「すみません、嬉しくて」
喜びを全身で表現する様子がまるで大型犬みたいだと、その変化ぶりに驚く。
──あの鬼上司が好きな相手だとこんなにスキンシップしてくるんだ……。
いや、その好きな相手が自分なのだけれど。
立香は顔を赤くしながら、ガウェインの行為を黙って受け入れた。やがて彼はその綺麗な瞳で立香を映して、やさしく唇と唇を合わせるだけのキスをする。
温かく想いだけを伝えるような感触に、頭の芯がぼうっとした。背中に手を回してぎゅっと抱きしめられるのも心地がいい。
体から力を抜いて、彼に身を預ける。温かくて安心する。ずっと想ってくれていたのだと思うと、伝わってくる体温も心臓の音も悪くなかった。
うっとりと目を閉じている立香だったが、やがて彼の体温が少しずつ上がり、呼吸も荒くなっていることに気づいた。
「ガ、ガウェインさん……?」
「すみません、立香……ずっと想っていた貴方が腕のなかにいると思うと辛くなってしまって」
ガウェインの耳はほんのりと赤くなっている。窮屈そうにみじろぎする彼を見て、何を指しているのか分かってしまう。
「あ、あのうそれは…、まだ……!」
「あなたを抱きしめて、柔らかさを確かめていると辛抱なりません。それにさっきはやめましたが途中まで準備していましたから。想像していた胸元を見て、肌の感触を知ってしまった以上、今夜はこのまま眠れそうにないです」
ガウェインはとまどう立香をじっと見つめている。
──ああ、だめだ。どうしてこの鬼上司はこんなに顔がいいんだろう。
多少無理なことを言われても考えたくなってしまう。
「ダメですか……?」
「っ………」
冷徹で仕事にしか興味がないと思っていた鬼上司からの変貌ぶり。人間味を出し始めたかれが、こんなに感情豊かで情熱的だったなんて。
自分のキャパシティを超えためまぐるしい出来事に、立香は「もうお任せします…」と求められるがまま返事してしまった。
<続く>
続きは裏です。けっこうきついので未成年の方はご遠慮くださいませ。
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