詩帆さん 第1集 〜 Killer Queen
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練馬春陽高等学校の体育教諭 小渕 博史 Said
がごぽん。
問題だと思わないわけでもない。しかし、これはあくまでも書類上の問題なのであり、小渕博史を煩わせるという意味の、精神上の問題ではない。
(まぁ、煩わされていないといえば嘘になるが)
なるほど、書類上の問題なのだから、該当書類と相対しているときの小渕は煩う。いくらかは煩うのである。が、煩うことも彼の仕事のうちなのだし、煩わない仕事を探すほうが難しい社会なのだし、要するに煩うのは当然のことなのだから、やはり「問題児」という観念に逃げこむべきではない。毅然と職務をまっとうすべきである。
がごぽん。
それに、グラウンドから聞こえてくるあの音を清音と聞くか騒音と聞くかによっても、職務に係る心構えは容易に変容するというもの。要するに、そういうことである。
(そもそも問題児だと思ってはならない。まして教育者であるのならばなおさらに)
いまだ立派な教育者であると自負したことはないが、しかしみずから志願して叩いた高校教師の門。仮に問題視することはあれ、だからと問題児としてあつかったのではつまずいたもおなじ。
(要するに、そういうことだ)
がごぽん。
泳ぎたくなる青空である。煙のように揺らめく灼熱の地上であり、憧れのまなざしを天へと向けるばかりの真夏である。しかし、どれだけ仰いでも我が身は涼まず、むしろ精神衛生は悪化の一途。この夏のほうこそ差別も吝かでないバイタルな問題児なのである。
しわしわしわしわ──蝉たちが命の弦を爪弾いている。点呼を取るまでもない絶望的な数である。鬱憤の足で樹木を蹴って全員を鳴きやませるには明らかに自分の寿命のほうが足りないとわかる。潔くあきらめ、聞かなかったことにするのが人類に残された唯一無二の納涼手段であると悟る。
がごぽん。
うんざりと項垂れながら校庭を横断。すると、視界の右はしに『昇龍館』の勇壮な面構えが映りこんだ。剣道場と柔道場を2階部に擁し、6本の太い鉄柱に支えられる吹き抜けの1階部には土俵が盛られてあるという、当校自慢の武道館である。
わずかに視線をあげる。ぼッ、ぼッ──恰幅のよいふたりの相撲部員が、ハーフパンツにティーシャツという軽装で鉄砲を打っている。蝉時雨を徳俵へと追いつめるべく、あきらめることを知らない若い掌が風林火山の膂力をチャージしている。
がごぽん。
(精が出るな)
体育教師の小渕である。まだまだ三十路だし、まだまだ生徒に矜持の示される体力自慢であってよいはず。ところが、ここ1年間で急速に肉体の衰えを感じるようになった。静岡の高校時代には男子サッカー部の中盤の要としてインターハイをも駆けたことのある彼が、いまでは主審として教え子たちと帯同する足腰さえも訝しい。今日もまた、軍配が返るよりもまえに腓のほうが返っていることだろう。
とはいえ、
(それならそれでべつにかまわないのだが)
小渕の青春のバトンはとっくに教え子たちへと受け継がれている。もはやなにも思い残すことはないはず。むしろ、彼らの苦悩や苦闘もまた成長の兆しとして、喜んでいて然るべき身の上である。
なのに、
(俺はなにを欲張っているのか?)
我が体力の衰退や青春の結末とは別次元のところで、哀しいかな悩める日々である。懊悩と言っても過言ではなく、そのせいか妻ともすれ違い気味。
がごぽん。
問題だと思わないわけでもない。しかし、これはあくまでも書類上の問題なのであり、小渕を煩わせるという意味の、精神上の問題ではない。
(そんなことはわかっている)
しかし、厄介に思っていないのかといえば嘘になってしまうこともまた事実。そしてその事実が、ごくごく普遍的な問題視であるとする確証に乏しいこともまた事実。
がごぽん。
確かに、あの少女の天賦の才を認めているからこその懊悩ではある。そこに余談はない。しかし、現実を鑑みれば、結局は自分に好都合な綺麗事の懊悩でしかなくなってしまう。
(才能を認めていても制度を変えられるわけではない──というロジックに直面してしまう以上、いくら悩んだところで、結局、悩む姿をアピールしようとするナルシシズムに他ならなくなる)
結局、いち教諭にすぎない小渕にはなにもしてあげられないのだから。腕を組んで黙って見守ることぐらいしか手段がないのだから。義務教育下にはない、それが高等学校の宿命なのだから。
がごぽん。
あの軽妙な音へ近づけば近づくほど、彼の懊悩は深みを増していく。体育教官室へと帰投したくなり、しかし教育指導者としての正義がそれをゆるさず、だからこうして牛歩戦術をゆるしている。遠慮なく背後から追い抜いてグラウンドへと向かっていく若人たちを横目に、図らずも重役出勤の威厳を演じてしまっている自分にホトホト呆れながら。
(どうしたものかな)
色鮮やかなジャージの背中を眺める。バトンを託した、未来ある背中である。尊重すべき青春の大海を泳いでいる背中である。無駄に終わらせてはならない背中である。
もはや小渕にとっては凪でしかないが、どうかこの灼熱が彼らの追い風であれと願う。そして、追い風を追い風たらしめるために、さて、自分になにができようか。体育教官室からグラウンドへ向かうだけのイージーなアスレチックでよもやの大汗をかいている己の新陳代謝が、さて、彼らの青春にどれだけ活かされていようか。
がごぽん。
「カントク?」
校庭とグラウンドとを結ぶ緩やかな坂道、顎を重たくしてあがっていると、前方から声がかかった。顔をあげて確かめるまでもない円やかなこの声は、男子サッカー部の3年生マネージャー、忽那舞美。
「今日、ビブって要りましたっけ?」
いつものことながら、高校生らしからぬ大人びた風情が、体育大学時代、出会ったばかりのころの妻をほうふつさせる。
がごぽん。
「いや。今日は走りこみだから要らん」
「あれ? ミニゲは明日でしたっけ?」
うっかりうっかり──照れ笑いを浮かべながらグラウンドへと引きかえしていく。大人びているのに大局的なところで抜かりのある微笑ましさもかつての妻に似ている。いまや、1日に1時間も顔を向けなくなった愛妻である。
(あの少女があっての現在なのだろうか?)
がごぽん。
ため息をつきながらようようグラウンドに立つ。サッカーゴールや器具倉庫、体育祭専用の雛壇に囲まれる、恵まれた土のグラウンドである。また、緑色のフェンスに隔てられた向こう側にはハンドボールコートとテニスコートが備えられてある。
すぐ目のまえの朝礼台で、さっそく忽那がストップウォッチと記録メモの用意をはじめている。その左隣には、グラウンドのほうを向いたまま、1年生マネージャーの桜庭知愛がぼおっと立ちつくしている。間もなく姉御肌な先輩の檄が飛ぶだろうと予測しつつ、小渕はグラウンドの右に目をやった。
がごぽん。
「チナ。動いて!」
「はは、はいッ!」
まばゆい欅のした、それはそれは小柄な少女が忙しく動いている。
かたわらには1年生マネージャーの十佳純が従い、彼女もまたまえにうしろにと忙しくお世話。
オリジナルプログラムだと、ひと目でわかる。
事実、チームメイトである他の男子部員たちはみな、グラウンドのまん中に几帳面なサークルを描いている。おなじ深さで股関節を伸ばしている。
がごぽん。
前倣えの日本人的な仲間たちを無視し、少女は少女で、水色と朱色を几帳面に重ねつづけている。気持ちのよい音色をテンポよく奏でつづけている。
中空を飛ぶのは清掃用の水色のバケツ、それが、ホバリングを錯覚させる無回転の放物線を描き、がごぽん──5m先、朱色のカラーコーンの頂にすっぽりと重なる。すると、すぐさまにかたわらの十が拾いに走り、抱えて戻り、ふたたび少女の足先に寝かせる。そしてそれを、すぐさま少女が蹴りあげる。
右足の先をバケツの口に挿し、カラーコーンにかぶさるよう、山なりに蹴りあげているのである。
がごぽん。
百発百中、少女がしくじることはない。
(自由にやれとゆるしたのは俺だが)
朝礼台にお尻を寄りかからせ、毎度の腕組みをして小渕は見守る。どこで手に入れてきたのか、どうせ他のクラスから勝手に拝借してきたのだろうバケツの軌道を黒目で追いかける。
がごぽん。
(いずれ喜多見さんに怒られるかもな)
仮に破損させたとしても、新品を発注するのは彼ではない。用務員の喜多見佳朗の仕事である。いつも眉間に縦皺を寄せ、だれに聞かせるでもない謎の小言をぶつぶつとつぶやく杖郷の男である。小渕は、そんな彼を得意に思ったことがない。
(なぜボールではなくバケツなのだ)
すぐ脇にある運動器具倉庫のなかには腐るほどのサッカーボールが眠っているのである。なのに、なぜ他のクラスのバケツを盗用するのか。
(思いどおりにはならない少女だ)
この少女を乗り越えたとき、もしや世界有数の優良教育者になっているかも知れないと妄想してしまう。それほどに気を揉む少女である。
がごぽん。
とはいえ、あの百発百中の高等テクニックを目のあたりにしては、ただただ見守るばかりが関の山。乗り越えるどころかいまだに麓も麓。
(はたして問題視で済んでいるのだろうか?)
世間という額縁のなかでは、あの少女は問題児であると評価される生徒なのかも知れない。なるほど、見てのとおり、チームの輪に混じらず、そもそも「男子サッカー部」という定義にさえも与せず、きっぱりと額縁を食みだしている。世間から問題児あつかいを受けたとしても為ん方なき話なのかも知れない。
しかし、こと教育指導者の倫理においては、安易に「問題視」を「問題児」へと転嫁してはならない。前者が前向きに取り組もうとする姿勢を司っているのに対し、後者は逃げやあきらめの言い訳にすぎないのだから。
教育指導者ともあろう者が、逃げてはならない。あきらめてはならない。教え子の個性を「問題児」という安易な3文字で切り捨ててはならない。
そうは思うものの、
(俺は、ちゃんと問題視できているのだろうか?)
胸に手をあてて考えてみる。が、腕組みの手に伝わってくるのは疲れて弱々しい鼓動のみ。
がごぽん。
問題だと思わないわけでもない。しかし、これはあくまでも書類上の問題なのであり、小渕を煩わせるという意味の、精神上の問題ではない。
(そうであると信じるしかない、のか……?)
当高校の男子サッカー部、その創設から数えて初となる紅一点の選手部員が、監督である小渕の考案した練習プログラムをきっぱりとボイコットし、いま、ひた向きに汗を流している。
(あぁ。長い夏になりそうだ)
しわしわしわしわ──蝉時雨のピークはまだまだ永遠の先か、ならばと聞かなかったことにして、ついに小渕は底なしの青空へと身を投げた。
がごぽん。