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Category : Diary
Update : 2014/03/11[Tue]23:00



 朝。

 東西線の三月は祝いの芽吹きそうな春の陽気で、私の季節は秒針をじ曲げられたよう。だって、少し微睡まどろんでいるうちにももう目的地なのに、あと少しだけ微睡んでいられる揺るぎない自信と戦っている。そうは言っても降りなければならない現実に、頭上は今日も寒いはずなのにとっくに春と思いこんだ気怠いかかとでやむを得ず座椅子を蹴り、ずっと身動きできなかったスーツと忙しなく舟を漕いでいた参考書のブレザーを颯爽とした建前の脚で追い抜く。おぼえるでもなかった彼らの顔と顔は私と同じ数と長さのしわを眉間に刻んでいたのだろうが、私のほうが絶対に優れた皺だったと確信を持って階段の冷たい手すりを引き寄せた。この一歩を何段の幅におさめようかと挑戦する間もなく昇りつめた改札の階は仄かに凍てついていて、ああ、また秒針が重たく回りはじめるんだ。そんな日常。



 昼。

 ダウンライトの傘を手拭いで拭き清めるのが私の本職ではないが、必要ななにかが今、どうしても足りないからと頼まれたのだから脚立きゃたつを立てる。戸惑いの顔を演じ、頼めば応えてくれると味を占められないように文句まで垂れてみせながら拭く。容赦なく顔面を照らすオレンジの灯に目を細め、見知らない誰かの貴重な生活を彩ることになるだろうこの灯がどの困難の中で作られているとも考えず、ここで稼がれたお給料の大半が楽しくもないことのために消えていく身近な現実だけを無心で嘆く。そしてすっかりと嘆き疲れたころにはもう嘆くことも忘れ、綺麗になっていく傘には優越感のような愛と、上手に綺麗になってくれない傘には呆れのような憎悪を交互に浴びせる。夢中になって結局、あんなにも帰りたかった定時をすでに十五分も過ぎて私は、特に得るもののなかった落胆の脚で灯りはじめた駅を通りすぎ、特に買いたい物があるわけではないがいちばんまばゆいコンビニにこそ得るものがあると思いこんでとりあえず向かってみたんだ。そんな日常。



 夜。

 誰かのためにと思いながら生きたためしはないけれど、泣かさないよう怒らせないよう呆れられないように努めた日ぐらい私にもあった。大好きだったあの人はもうどこか知らない世界で私とは別の人と相変わらず困ったような顔をしながら楽しく生活しているのだろうが、願わくば私との経験をダシにした恋なんてしないでほしくて、どうすればあのころの健気な私を返却してもらえるんだろうと考える帰路。思い出す予定じゃなかった忌まわしい記憶の片鱗をこうもうずかせたのは、他でもない向かいの席の恋人同士が工夫されたブレザーだったから。高校生にできてどうして私にもうできないんだろうと怒りに近いお尻がわなわなと震えるから東西線まで揺れた。お願いだから私をもう返して。それがなければ新たな恋ができないからもう返して。恋のために身形みなりから工夫できる生意気な小僧どもを呪いのようにめつけながら私は、東西線を壊すほどの怒りであの人が私を返却しに来るのを祈ってたんだ。そんな日常。



 昨日と同じ今日が掛け替えのありそうな頼もしい背中で前を歩いてて、付いていくのがやっとならば明日もたぶん今日と同じ。どうせ永遠に変わらない毎日だと吐かれた私の二酸化炭素を誰が拾ってくれるとも知れず「ほんの少しだけ世界を終わらせてくれたならファンになってあげてもいい」と、もしない神様を仰いでみる私って、全体、どれほどの美人だったと言うのでしょう。そんな、まるで悪のような日常。

 まさか身近なところにあると思わない。私になにかできることがあるとするならばと幾晩もスペシャルに考えてみたところで、その基本のすべてがそんな悪たれた私の日常の中にあったことを知るだなんて。

 だってかつては、もう今はいなくなった彼らにも悪たれていられる日常があったのでしょう。帰りたい家に置き忘れた小さなアルバムさえも取りに帰れない彼らもあるのでしょう。ならば、受け入れがたい今日を事務的に過ごしてみる私のいつもどおりが今日もまたちゃんとしたいつもどおりでいてくれたことの、なんと意地悪で、そしてなんと掛け替えないことか。





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Nanase Nio




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