栞

ミュージアム
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Category : Review
Update : 2014/11/29[Sat]12:00



 うろ憶えで恐縮だが。

『羊たちの沈黙』のレクター博士は、物語における象徴的存在ではあるものの、しかし、偶像という観念の外にまで出しゃばることをしなかったように思う。

 実際、彼の人間味を味わう機会など件の作品にはなく、主人公の相棒か、教師か、あるいは精神面の語り部という役柄だったような気がする。あるいは、事件の猟奇性を知らしめるための神仏的な存在だっただろうか。つまりは偶像というわけだが、視聴者の情を誘うような主役的立場ではなかった。レクター博士を見ていて、私は「ちょっとでも構成が違えば彼は必要なかったな」と思い、同時に「でも彼がいなくては物語が成立しないんだよな」とも思ったものだ。日常生活レベルで意識的な必要視はされずとも、結局のところは必要であってしまう酸素のような存在だと。呼吸する者と付かず離れずの距離関係にある不思議な存在だと。よくできている存在だと。

 この手のキャラクタを登場させようとすれば、必然的に、主人公の人間味のほうを際立たせなくてはならない。仮に主人公がスカスカだと、偶像を設置する意味がなくなってしまう。敬虔な門徒があって初めて神仏は輝きを宿すものだ。

 クラリスという1人の門徒をいかにして創るのかが、あの作品での最大の創作ポイントだったかも知れない。それが達成されたからこそレクター博士が輝き、また、彼によってクラリスもなおさらに輝かしくなった。お互いにウィンウィンな関係としてアップグレードしあうことができたんだ。

『羊たちの沈黙』は、まさに正常な宗教を垣間見させる佳作だった。







巴亮介ともえりょうすけ
ミュージアム
[全3巻]
講談社 / ヤンマガKC




 警視庁捜査一課の巡査部長として仕事に張りつきっぱなしの沢村久志さわむらひさしは、すっかり愛想を尽かして出ていった妻と息子の影を脳裡に追いつづける日々を送っている。

 そんな中、東京都内で凄惨な殺人事件が立てつづけに起こる。

 密閉された室内に、飢餓状態の大型犬と一緒に放りこまれたあげくに喰い殺された上原あけ美。出生体重と同量の肉体部位をノコギリで切除された堤優一。全身を縦に両断され、その左右を別々の場所に宛てて郵送された小泉勤。

 これらの凄惨な殺人事件、その遺体には奇妙なメッセージが残されてあった。

・上原⇒「ドッグフードの刑」
・堤⇒「母の痛みを知りましょうの刑」
・小泉⇒「均等の愛の刑」

 実は、上原には、飼っていた犬を保健所に手放した過去があった。堤は、母親の苦労も知らずに自室に引きこもる毎日。小泉には、家族の他に愛人があった。

 沢村たちはこれを私刑と断定する。さらに、被害者の共通点にもたどり着く。彼らが全員、とある猟奇殺人事件の裁判を担当した裁判員だったという事実に。

 たちまち沢村は焦る。なぜならば、彼の妻もまた件の裁判の裁判員だったのだ。慌てて電話をかける。しかし妻は出ない。行方がわからない。そしてそんな沢村を嘲笑うかのように、彼の目の前に奇妙な風体の男があらわれる。全身に雨合羽をまとい、頭にアマガエルのお面を被った奇矯な男が。

 さて、果たして悪魔の蛙男の目的はなんなのか。果たして沢村は妻と子を奪還できるのか。果たして彼は、最後になにを選択するのか?



『ミュージアム』は、映画『SAW』にも似たソリッドスリラ漫画だ。都内が舞台ということでややオープンフィールドだが、息苦しい閉塞感は濃厚。梅雨の物語でもあるので不快指数でたとえてもいいほどに。

 絵のタッチは精緻であり、風景も的確に描かれている。読者が状況を把握するのに困ることはない。鬱々とした湿度までもが描かれていて「巧い」のひと言。猟奇描写にも遠慮はなく、安定感は申し分ない。

「ドッグフードの刑」
「母の痛みを知りましょうの刑」
「均等の愛の刑」
「ずっと美しくの刑」
「針千本のーますの刑」

 どの刑も、遠慮のない真摯なグロテスク。

 私が気になったのは、蛙男の存在感。前述した『羊たちの沈黙』の、クラリスが沢村であるとすれば、レクターが蛙男という構図になってくる。というのも、この物語の最大の素材こそ沢村の人間味であり、猟奇殺人事件と彼の苦悩とが平行に進んでいる印象を受ける。いわば、沢村の物語であると言っていい。ならば、蛙男は沢村を輝かせる偶像的なキャラクタとなり、お互いに刺激しあって輝いていく関係となるはず。

 沢村というキャラクタに関しては申し分ないと思う。よく描かれている。しかし、蛙男のほうが沢村の輝きに呼応できていない印象を受けた。宗教で例えるのならば、門徒の敬虔さに対して神の威光がきわめて弱い印象。ゆえに、沢村のキャラクタ性が空回りしているように思えた。

 蛙男の人となりや歴史を、もう少し掻い摘まんで描いても良かったような気がする。あるいは、沢村の言動にもっと呼応させてみたり。殺人の動機づけを強めてみたり。そのあたりの威光の持たせ方が薄弱で、蛙男が単なる不気味な存在となってしまっている。彼の不気味さにどうタッチすればいいのだろうかと多くの読者が惑いかねない。例えば、空気ではあるものの酸素ではない印象と言えるだろうか。レクター博士の存在感には遠くおよばず、必要と思うためのエグみが足りない。

 主題である「ミュージアム」をおのおののエンディングと捉えているのは面白いと思う。猟奇殺人のみを照準エイミングとするのではなく、登場人物の全員がどんなエンディングを迎えたのかというところにまで根を伸ばした上で「ミュージアム」としたのが良かった。結果、どれもが残酷な結末を見る作品となってしまったが、そこはソリッドスリラならではの持ち味だろう。このカテゴリにおいては、ハッピーエンドなんて無価値な邪道でしかない。

 この作品は、濁りのない王道である。

 しかし、王道であるがゆえに、どうしても王道の中の王道である『羊たちの沈黙』と比較してしまう。評価がさがってしまう。とかくテクニカルな描写の漫画なだけに、大御所との比較という残酷な結末は不可避の宿命だったろうか。




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Nanase Nio
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