栞

All Hallow Evening
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Category : I Think
Update : 2015/11/01[Sun]21:00



 ポッと訪れ、ポッと去っていった。



 ケルト人(民族)文明においては、夏の終わりが10月31日なのだそう。つまり冬のはじまりであり、また冬は死の季節と考えられているのであり、死の季節の開始日であるこの日、特に様々な霊があらわれると信じられているらしい。で、中には悪霊もおり、悪さを仕掛ける。そこで、魔除けの人形を飾り、悪さをハネのけ、無病息災や家内安全を祈願するようになり、延いては代々の年行事として定着した──とまぁ、砕いて言うなら、これが「ハロウィン」の根幹なのだそう。ちなみに魔除けの人形の名前こそ「ジャック・オー・ランタン」であり、本場ではカボチャではなくカブ(の仲間のルタバガ)だったりするのだそう。

 そうとう砕いたのでアレだが、いずれにせよ、宗教観念が大いに絡んでいることは言うまでもなく、霊的な風味を考慮すればお盆のようなものだと考えればいいのだろうか(とはいえ基督教圏内の一部にはこのお祭り騒ぎの風潮に対する否定意見もあるようだが)。

 なにしろ昨今の、日本のハロウィン熱の高まりにピンとこない私である。幼少時、クリスマスやバレンタインデーと比べて、学校行事としてもまったく取りあげられることのなかったハロウィン。無視シカトも同然の扱いだったこの憐れなる宗教儀式が、現在になって、ほとんど土着化を期待されるほどの異様な隆盛を見せておる。不惑よそじ以降の人間がこの行事に乗れない理由がまさにそこにあり、私も同様、寝耳に水という奇天烈な感慨を抱いているところなのである。

 ポッと出の印象が否めない。伝統文化として承服しかねる。賑々しい現行の世相に唯々諾々と従うには圧倒的に床しさが足りない。私自身は宗教を持たず、大袈裟ながらに無神論者のテイでもあるのだが、現代版ハロウィンがあまりにも古典の趣を感じさせず、あらたかでもないので、乗れない。琴線に触れず、二の足を踏む。

 さて、どう咀嚼すればよいものか?

 そもそも盆踊りにすらも参加しない私。みんながひとつのサークルを描いて夢中になっている風景を「非常に気味が悪い」と感じる、ほぼ潔癖症と言ってもいいほどの個人主義者。十把一絡じっぱひとからげのみんなという鎖国的コミュニティに属して思考を麻痺させたくないという個人主義の付加価値に支配されているのであり、なのでダンスのサークルに加わるのはマッピラ御免である(それぞれがバラバラの方角を向いている集団ならばモーマンタイ)。つまりお盆や盆踊りのようなものと解釈したところで、心底から素直にハロウィンを承服するためには私の中のめくるめく奉仕的雑務がまったく足りていない。

 もしも近所にお住まいの児童が我が家を訪ねて「トリック・オア・トリート?」と宣ったら、私はきっと「トリック」を選択することだろう。だって承服していないのだから、定石に則する気はさらさらない。むしろ、七瀬鳰という無慈悲な「悪」にトリック(悪さ)とやらを仕掛け、さて、五体無事に帰宅できるのかどうかが見物である。なにせ私は誠の平等主義者である、相手がガキであろうが容赦なんてしない。優しく接してあげるような差別なんてするワケがない。あろうものか!

 来年もまた同じように、いや、いっそう勢いを増幅させてハロウィンさんはやって来るのだろうか。床しさも灼かさもない、なんだかよくわからない企画的文化を土着させる意向で、みんなで仮装し、みんなで渋谷のあたりをヒューヒューと叫びながら練り歩くのだろうか。みんなで肩を並べ、難しいことなんて考えずに楽しもうヨとかいう時代の完成が刻一刻と近づいているんだろうか。

 イヤぁ……気味が悪い……。

 というか、ハロウィンについてネットで調べていたら「お菓子がもらえなかったら報復の悪戯を仕掛けても良い」とあった。へぇ。このテロの横行する国際情勢の中、神の名における報復行為を黙認するというわけですね。まぁ、私はべつにかまわないんだけどさー。




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Nanase Nio
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