それでも僕は



グランコクマを発ったジェイドは、まず海路でケセドニアへ向かった。

そこで、旅支度を入念に整え、砂漠を踏破し、バチカルにも立ち寄らず、そのまま湿原を越えた。

更に、ベルケンドに入るでもなく、今度は朱色の子供の名を冠した長大な橋を渡り、シェリダンへと向かった。

大きな街には立ち寄らず、行商人から直接、食料や消耗品を買う。

こんな面倒な真似をしたのは、自分が研究から抜けると言ったことに不満タラタラだった下僕や、
退役を認めることに消極的だった幼馴染みが、万が一にも追跡していた場合に、行き先を眩ますためだ。


*****

職人の町の入り口で、見知った少女が何やら作業をしていた。

「久し振りですね、ノエル」
「ジェイドさん!?」

声を掛けられてようやく気付いたようで、驚いた表情が振り返る。

ジェイドは普段通りの薄い笑みを浮かべたまま、ノエルを見ていた。

「タタル渓谷へ飛んでもらって以来ですから……一年ぶりくらいでしょうか?」
「――そうですね。
お元気でしたか?」

一瞬、表情を無くしたノエルが、何でもないように明るい顔で問う。

「まぁ、ご覧の通り無病息災でしたよ。
――ところで、それは?」

ノエルが作業していたソレは、風船の付いた籠に見えた。

「これは、気球と言います。
暖かい空気が上昇する力を利用して、空を飛ぶんです」
「あぁ……アルビオールに替わる空路の開発ですね?」
「はい。皆、アルビオールのように大量に音素を使用しないで空を飛ぶ、そんな乗り物を開発しようと頑張ってるんですよ。
アルビオールの推進機関を改良すると言うプランもありますが、一から全く別の物を作り上げる計画もあるんです」

そう語るノエルは、とても生き生きと輝いて見えた。

「この気球は、実験用のミニチュアモデルなんです」
「では、これから飛行実験なんですか?」
「はい、そうです。
ミニチュアですから、実際に乗るわけじゃないんですが、代わりに重しを載せてあります」
「ほう?」

ジェイドが籠を覗くと、大振りの石と、白い花束が乗っていた。

「セレニアの花?」
「い、いえ、あの……ひょっとしたら、音譜帯から見えるかも知れないと思ったんです、どうせ見るなら、お好きな花を見せて差し上げたいな、と思っただけなんです……!」

ジェイドの呟きに、ノエルは少し頬を染めて、一息に言った。

その初々しさを微笑ましく思い、ジェイドは少し表情を和らげた。

「それはきっと、あの子も喜びますよ」
「……そうでしょうか」
「えぇ」

不安げな声のノエルから視線を外して、ジェイドは空を見上げた。

「喜ぶのは、花そのものを、ではなく、貴方のルークへの想いに対して、ですよ。
覚えていてくれて、思い出してくれて、ありがとう。
彼なら、きっとそう言います」

ノエルも、ジェイドにつられたように空を見上げた。

「忘れるなんて……そんなこと、出来る筈がありません。
あんなに輝いている人を、忘れるなんて、そんなの無理です」
「――そうですね」

忘れることが出来たなら。

そうしたら、きっと、もっと楽だった。
その代わり、今の自分を大きく損なうことになるだろうことも、ジェイドは分かっていた。

だからジェイドは、花束の下にちらりと見えた、手紙の封筒には言及しなかった。

還って来なかった人に宛てた手紙が、ノエルなりの決着の付け方なのだろう、とそのくらいは分かったので。



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