のぞみを教えて
真夜中の城は耳に痛いほどの静寂に包まれていた。羽織ったローブの上からじわじわと染み込む冷気に身震いをして、ライムはひとり静かに歩く。胸がざわざわと落ち着かなくて、急き立てられるように歩調を速めた。
扉を開けて入った部屋の中央にあるのは、あの日見た大きな鏡。数十年経ってもなお、変わらぬ姿でただそこにある。
裂けてぶら下がったままのカーテンの隙間から差し込む一陣の月光が、暗い部屋の中で鏡を蒼く幻想的に浮かび上がらせていた。
「みぞの、鏡」
再びこれの前に立つ日が来るとは思わなかった。人の心ののぞみを映す鏡。それは何処か、夢と似ていた。
どうせまた映し出すのは同じ光景。そう思って、ライムは投げやりな気持ちで鏡を見た
「────う、そ」
そこに見えたのは両親ではなかった。隣に立つのは友人ですらも無い。
人影はひとつ。
闇色の黒髪に真白な肌。スッと通った鼻筋にほっそりとした顎。露出なんて微塵も無く、制服を隙なくきっちり着込んでいるのに零れる色気。しなやかな指先。スラリと長い脚。この人を、知っている。
「リ、ド……ル」
リドルが、隣にいる。穏やかに笑ってライムの肩を抱いている。込み上げる吐き気と眩暈に息が掠れて喉が詰まった。これが、のぞみ?私がのぞむこと?
「これが、のぞみだっていうの……?」
────じゃあ、どうすれば良かったの。
未来を変えると決めて、そのために行動していたら何かが変わっていたのだろうか。
…わからない。だって結局こうして元の時代に戻ってきてしまった。早くに決心していたら、残れたとでもいうのだろうか。自分の意思など関係無しにトリップしてしまうのに?中途半端に手を出して、余計に犠牲を増やす可能性だってあったのに。
「そんなのっ……!」
ふざけるなふざけるなふざけるな。
どうして今更こんなものを見せる。叶わないのに、届かないのに、もういないのに。今更知って、今更こんな風に見せ付けられて、それで一体どうしろっていうの。
「……ふざけないでよ」
絞り出した声が掠れてざらつく。舌は引きつれて僅かに痛んだ。
寝ても覚めても、見せ付けられるのは叶わない夢ばかり。願っても叶わず、努力しても叶えられず、幾度もこうして突きつけられる。
どうすれば良かった。どうすればいいの。どうすれば、私は、リドルは、私は────
「魅入られてはならん」
ビクリ、と鏡を撫でる指先が止まる。吐いた息で鏡面が曇った。
「ダンブル、ドア」
ライムが振り向いた先、開け放ったドアの前に静かにダンブルドアが立っていた。ダンブルドアは視線を真っ直ぐライムに向けたまま、静かに歩み寄る。
「そこに見えるのは現実ではない。未来でも、過去ですらもない。それは見た者の心の底に在る“のぞみ”を映す鏡」
並び立つダンブルドアの瞳には悲哀が浮かんでいた。鏡を見つめるその表情は暗く、何かを懐かしむように目を細めた。
「その“のぞみ”が努力で叶えられるものならば、……叶えても良いものならば、ワシは何も言わぬよ。しかしこの鏡は、叶うはずのない願いさえ、目の前にあるように見せる。望もうと望むまいと、残酷なまでに明確にしてしまう」
「叶わない、願い……」
ライムは再び鏡に向き直る。
鏡の中にリドルが見える。見えるだけ。見えるだけで触れられない。だって本当はどこにもいないから。
過去に紛れて消えてしまった。私の心の、のぞみの、残像。
「ライム・モモカワ」
静かな声が、その場に落ちる。
「君の“のぞみ”は何かね」
かつて、あの時代のダンブルドアに問われたこと。
────答えられない。わからない。
いつの間に、見失ってしまったのだろう。
「わからない……」
なくした、消えた、捨てた、見失った。そのどれが正しいのだろう。昔はこんなに迷わなかった。のぞみはあんなにはっきりしていたのに。
私ののぞみは、どこにいったの。
「わからないんです」
鏡はまだ、リドルを映している。
「……みぞの、鏡」
だから、どうか、ねぇお願い。
のぞみを、教えて。
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