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  クリスマスの幻影


吐く息が白く煙る。ほんの数秒視界を遮り緩やかに霧散するそれを興味無さ気に見やって、トム・リドルは止めていた足を進めた。

さく。
さく。
さく。

新雪を踏みしめる軽い音が静かな空間に響く。
曇天の下に広がる一面の白。

英国の冬は長い。
晴れ間も少ないこの国では雪は特別珍しいものでもない。空気は冷たく澄み渡り、薄曇りの空の下で降り積もる雪は溶けること無く静かに積み重なってゆく。

小さく風が吹く度 長時間外気にさらされた頬が冷えきってぴりりと痛む。昨日より着込んできたものの、つま先からじわじわと這い上がってくる冷たさに体温は奪われ、自然と身体が震えた。
普段なら防寒呪文をかけるため寒さとは無縁だが、今日は何故だかそれを使う気にはなれなかった。

感傷にでも浸っているのだろうか。
…………この、自分が?

────馬鹿馬鹿しい。

浮かんだ思考を即座に否定すると、リドルは緩んだマフラーをきっちり巻き直した。


大広間にも談話室にも戻るという選択肢は無い。
城内は至るところに雪やら妖精やらと魔法で飾り付けがされているし、生徒も教師もクリスマス気分で浮かれている。クリスマス・キャロルも今のリドルにとっては耳障りなだけだった。

煩わしい事は大嫌いだ。
本来ならば浅はかで愚鈍な生徒達など相手にする価値も無いが、自分の野望のためには我慢も必要だ。
モノは使い様。他者に迎合する事にしか能が無い者も 大した能力を持たない者も 偽りの言葉と笑顔に騙される者も 上手く使えばそれは時に利益をもたらす駒になる。
だからこそ、日々の生活ではしたくもない役割を引き受けて偽りの笑顔を振りまいて 誰にでも優しく優秀な“優等生”を演じているのだ。
高い評価で教師を味方につけ、影では己の目的に賛同する人間を集めるために。

必要だから、そうしている。
────しかし、うんざりすることだってある。

クリスマスにホグワーツに残る生徒なんてほんの少しではあるが、人目が少ないからこそここぞとばかりに群がってくる者はいる。
普段性別関係無く多数の取り巻きに取り囲まれている学校のアイドルに近づきたいと願う者は多いし、女子生徒ならば尚更だ。
リドルとお近づきになりたい。名前を覚えて貰えたら。あわよくば、親密な仲になりたい……そう考える者はごまんといるだろう。

鬱陶しい。
家族がいないリドルにとって、クリスマスは誕生日と同じくらい忌々しい日だった。
英国では家族と共に過ごすのが一般的だが、リドルにはその家族がいない。
数え切れないほどのプレゼントも、色とりどりのクリスマスカードも、ひとつとしてリドルの心を満たすことは無い。役立つか、否か。判断基準はそれだけで、そこに込められた想いなど知ったことではなかった。

孤児であるリドルに同情を向けてくる者達。
己の物差しでしか他者をはかれず己の理屈を当てはめ“可哀想”という感情を押し付ける事で満足する。

嗚呼何て、愚かしい。


さくさくと規則的な足音を立てて歩くうちに、ふと周りの空気が変わったのを感じて、リドルは伏せがちだった視線を上げた。

木々のざわめき。押し隠した生き物の呼吸と濃密な草木の匂い。昼間だというのに数歩先の様子すら窺い知れない程の暗闇。
ほんの数十歩先。すぐ側まで、黒々とした森が迫っていた。

チッと小さく舌打ちして眉を寄せる。
どうやら何時の間にか禁じられた森の近くまで来てしまっていたらしい。
こんな近くに来るまで、気が付かなかったなんて。不覚だ。考え事をしすぎていたのか。
注意力が低下していたことに内心苛立ちつつも、他に人が居ないか素早く周囲に目を走らせる。幸い誰もいないようで、リドルは小さく安堵の息を吐いた。

「……戻るか」

────離れよう。此処にいるのを見られては不味い。

信望有る優等生が立ち入り禁止の森の近くにいたなどと噂をたてられたら堪らない。恐らく邪推される事は無いだろうが、噂好きなホグワーツ生の事だ、ある事ない事言い出す者がいないとも限らない。
何より、ダンブルドアの耳に入るのは避けたかった。只でさえ、あの教師はリドルの事を疑っているのだ。
己の評判に微かな傷すら付けたくはない。

そう考えて踵を返しかけた瞬間、不自然な白い塊が目に留まった。

ほんの数メートル先、生い茂る木々の影に人の背丈程の何かがある。
何となく興味を引かれて近づいてみると、それは二対の雪だるまだった。
生徒が作ったのであろうそれは少しいびつな形をしている。


白い雪。
ふたつ並んだ雪だるま。

『リドル』

よみがえる、声。

降り積もった雪を気にも留めず、何が楽しいのか無邪気にはしゃいでいた少女。
二対の雪だるまを作って、自分たちみたいだと言って笑っていた。

聞こえてくるのは懐かしい声。
懐古と共に激しい怒りと鈍い痛みを伴う記憶。


遠い日の 幻影。


────そう。幻に過ぎない。
そんなものに心を砕くなど、馬鹿げている。

閉じていた瞼を押し上げ、長い睫毛の下から紅い瞳が覗く。
深く暗い、血色の深紅。

「レダクト」

バァン、という低い破壊音が響く。閃光を受けたふたつの塊が白い飛沫を上げて砕け落ちた。

「消えてしまえ。
……どうせその内 溶けるのだから」

神に祈るなど反吐が出る。
叶わないのなら叶えるまで。
与えられるものなどいらない。
欲しいものは奪い尽くすだけだ。

思うようにならないものなど、いらない。

────そう、思っていたのに。

「何故……っ、思うように、ならない……! 」

手を伸ばせば掴めるほど近くにあったのに、手に入らなかった。手のひらをすり抜けて、目の前で消えて。何処から来て、何処に行ったのかも結局最後まではっきりとはわからなかった。

いっそ忘れてしまえばいいのに。かつて無いほど強く惹かれた心は忘却を頑なに拒む。ほんの一時味わっただけの感情に執着する。その甘さを忘れようとはしなくて、思い出す度深まる喪失の痛みばかりが爪痕のように刻まれていく。


未だに切り捨てられない感情が、こんなにも心を乱す。

不快だ、何もかも。

消えないのならせめて、この降り続ける雪のように幾重にも積み重なって覆い隠してしまえばいい。

「……馬鹿げている」

そうして見えなくなればいい。
声も熱も残像も。


物皆全て過去に紛れて消えてしまえ。


(クリスマスの幻影)


そうして僕は その感情に蓋をした。


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