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  忘却は救いとなり得るか


「ねえ、ちょっといいかしら? 」

抑えた声でそう呼び止められたのは、スラグ・クラブの帰り道だった。

会がお開きになって早々にブラック家の面々は寮へと戻り、他の生徒達もそれぞれに帰っていった。チラと横目で見ると、リドルは取り巻きの男子生徒達と共に何やらスラグホーン教授と楽しげに談笑していたので、ライムは一足先に部屋を後にした。特に待つ理由も無かったし、見ていると何だか落ち着かなかった。

────ああ、またか。
うんざりした気持ちを何とか押し隠してライムは振り返る。慣れない御世辞の応酬と敵意混じりの探る視線に少し、疲れていた。

ライムを呼び止めたのは長身のスレンダーな女子生徒だった。ネクタイと胸元の寮章からレイブンクロー生だとわかる。あまり見覚えの無い顔だったが、よく思い返してみれば、先程スラグホーン教授が紹介してくれた顔ぶれの中にいた生徒だった。

「何でしょうか」
「貴女に話があるの。少し付き合ってくれない? 」
「……話の内容によります」

話の切り出し方は覚えがあるものだった。この先に続く内容は、聞かなくても大体想像がつく。

「聞かなくたってわかっているでしょう? 貴女、よくこうして呼び出されているって聞くわ」
「ならばその呼び出しに、滅多に応じないということもご存知だと思いますが」
「ええ。だからこうして邪魔が入らない今、話しかけているのよ」

どうしようか考えて、つい疲れたような吐息が漏れる。相手は見た感じ落ち着いているし、どうやら感情的に言葉をぶつけてきたりいきなり暴力的な手段を取ってくるタイプではないようだ。それよりはマシだが、逆に厄介なタイプでもある。
この様子では、ライムが話に応じるまで引かないだろう。例えこの場を逃れることができても、また日を改めて話しかけてくるだろうとも思った。

「……少しでいいなら。ただし、話すならこの場でお願いします」
「いいわ。じゃあ単刀直入に言うわね。貴女、トムと付き合っているの? 」
「えっ? 」

嫌味を言われるのだと身構えていたライムは、つい咄嗟に声を漏らしてしまった。

「よくトムと一緒にいるみたいだし、噂も色々聞くわ。けれど噂はあくまで噂。直接確認するに越したことはないでしょう? 」

そう言って目を細めて微笑むと、その女子生徒はじっと目を合わせて探るように話を続けた。

「今日だって、ちらちらとトムの方を気にしていたでしょう。トムは気付いていなかったみたいだけど、私にはわかったわ」

この人も、リドルが好きなんだろうか。
……好きなんだろうな。だってそうでなければ、わざわざこんな風に牽制しに来たりはしないだろう。
よく見れば綺麗な人だ。整った顔立ちに、豊かな栗色の髪が緩やかな曲線を描きながら小さな顔を縁取っている。濃いブラウンの瞳は真っ直ぐで、レイブンクローに相応しい聡明な雰囲気を持つ人だった。

あの人の本性を知ったら、この人はどう思うのだろう。

(……でもそれは、私が踏み込むべき領域じゃあないんだろうな)

ライムが重い口を開いたところに、聞き慣れた声が割って入った。

「何をしているんだい」

心臓が、跳ねた。
それは目の前の女子生徒も同じだったようで、びくりと身を震わせたのが視界の端に映った。振り返った先に立っていたのはやはりリドルで、この測ったようなタイミングの良さから、恐らくまた何処かに隠れて様子を伺っていたのだろうとライムは思った。

「と、トム……! 」

女子生徒はまさかリドルに聞き咎められるとは思っていなかったのか、幾らか狼狽した様子を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻してリドルに向き合った。

「何でもないわ、トム。少し話をしていたの。気になることがあったから」

そう言って取り繕うように笑いかける女子生徒とは対照的に、リドルの表情は和らがなかった。

「こういうのは、あまり関心しないな」

女子生徒の表情がさっと曇る。自分の正しさを確信していた顔が、否定の言葉に戸惑いを見せる。先程の話をリドルが聞いていたと知って、その頬に赤みが差した。

「で、でも……貴方、最近この子にばかりかかり切りで、何だがとっても忙しそうだわ。ただでさえ監督生は忙しいんだし、OWL試験も近いし、少しは距離を置くべきなんじゃないかしら」

目で、声で、態度で、貴方のことを心配しているのよと訴える女子生徒の言葉を受けても、その場の空気は緩まなかった。言葉を尽くして訴える女子生徒の顔に焦りが滲む一方で、ただ静かに、リドルは一貫した態度で返答する。

「僕は君に、そんなことをして欲しいと頼んだ覚えは無いよ」

それは明確な拒絶だった。
普段のリドルからさ考えられない言葉に、女子生徒は傷付いたように顔を歪めた。

「でも、貴方は優しいから、言えないと思って……」
「……僕がいつ、君にそうして欲しいと頼んだかな。心配してもらわなくても、自分の事くらい自分で決められるよ」
「そんな……でも、だって、私……」

続く言葉が見つからないのか、女子生徒は救いを求めるようにリドルを見た。けれどそれには応じずに、リドルは表情を変えないまま静かに視線を返しただけだった。

「っ……! 」

女子生徒は一層傷付いたような顔をして、耐え切れないとばかりにリドルに背を向けた。そのままばたばたと足音も荒く走り去る背中を見送ってから、ライムはぽつりとつぶやいた。

「……良かったの? あんな断り方をして」

公明正大で優しい優等生の名に傷が付くんじゃないのかと言葉を投げかけるライムに、リドルは肩を竦めて答えた。

「善意を持って成したことが、そのまま善意と受け取られるとは限らない」

静かに、淡々と言葉を紡ぐリドルの瞳は何時にも増して暗く、感情の起伏を感じさせないものだった。
 
「それは善意の押し付けでしかないからだ。けれどそれに気づかない者の何と多いことか。……それどころか、どうして善意を受け入れてもらえないのかと憤る者さえいる。自分の思う“いいこと”は相手にも無条件に受け入れられると、何故だか信じ切っている者ばかりだ」
「辛辣だね」
「だが事実だ。それは君だって、良くわかっていることだろう」
「……そう、だね」
 
先程のやり取りを思い返して、苦い思いで同意する。 
 
「それが許されるのは、幼い子供くらいのものだろう。だが子供は純粋故に残酷だ。自分の吐き出す言葉の鋭さを知らない」
  
リドルは真逆だ。自分の操る言葉の力を自覚している。相手の欲しい言葉を察してすらすらと紡ぎ出す。そこに裏など微塵も感じさせずに。
質が悪くて魅力的。危険だけれど抗えない。少なくとも、ライムが知るトム・リドルとはそういう人間だった。
 
「純粋な善意でしたことであっても、それが相手にとって迷惑でしかないことなんてザラにある。けれどそういう人間は、そこにまで考えが及ばない」
 
善意の押し付けにはうんざりしている。好意を盾に、自分の想いをぶつけてくる者にも。リドルのその気持ちは理解できた。けれど、リドルがそれを他人に吐露した事に、ライムは戸惑った。
先に立って歩き出したリドルの後を、少し遅れて追いかける。迷いの無い足取りはいつも通りで、ライムはその背中に言葉をぶつけた。

「誰にでも優しいトム・リドルがあんな事を言うなんて、噂になったら困るでしょうに」
「噂にはならないさ。あんな風に拒絶されたと、自ら喧伝なんてしない。自分が好意を持つ相手に嫌われたかもしれないなんて、認めたくないだろうからね」

肩越しに振り返ったリドルはそう言って薄く笑った。

リドルの優しさは人を傷付ける。
それは相手を想う優しさじゃないからかもしれないし、自分のために装う優しさだからかもしれない。

でも、じゃあ、本当の優しさって何だろう。

相手を想って言う言葉が優しさ? 相手を想って行った行動が優しさ?
じゃあ中身の無い優しい言葉に救われた人は何だと言うのだろう。それは間違いなんだろうか。偽りなんだろうか。勘違いなんだろうか。
他の人たちがリドルに向ける好意は、何なのだろう。

「……そんな事ばかりしていたら、いつか刺されるわよ」

そう言ってライムが軽く睨め付けると、リドルは「どうということはない」とでも言うように涼しげに微笑んでみせた。

「そんなヘマはしないさ。立ち回りには自信があるし、いざとなったら忘却術を使う手もある」
「────忘、却」

思わず足が、止まる。

「……ライム? どうしたんだい? 」

止まった足音に気付いたリドルが振り返る。ライムの瞳がリドルを映し、迷うように揺れた。
暫しの沈黙の後、ライムは口を開いた。

「……忘れるのと、忘れられるの。どちらがつらいんだろう」

零れ落ちた言葉。
ライムが持つ記憶を、リドルは持っていない。一緒に過ごした日々も交わした言葉も触れた記憶も、何一つとして共有できない。覚えていない。
────いや、違う。覚えていないわけじゃない。始めから、その事実自体が存在していないのだ。
それは自分が選んだ結果で、今更どうにもならないことだ。理解している。納得している。後悔しているわけじゃない。

けれど、けど。こうしてリドルと話していると、つい、思ってしまうのだ。

「一体何を言い出すのかと思ったら……謎かけのような事を言うんだね」

呆れたようにリドルは息を吐く。

「つらいという感情は主観的なものだ。人によるとしか言えない。何より忘れられる方しか覚えていないのだから、そもそも比較にならないだろう」
「そう、だね」

ねえ、思い出してよ、あの日のことを。

選んだのは自分なのに。忘れさせたのは自分なのに。塗り替えたのは、自分なのに。
身勝手にそう、願ってしまう。

「────君は変な事ばかり考えるね」
「そうかな」
「ああ。考えても答えの出ない事ばかりに頭を悩ませている。不毛だよ」

探るように細まる瞳が、蛇のようだと思った。

「まるで、悩む事を目的にしているみたいだ」
「……そうかもね」

ぐるぐる、ぐるぐる、幾度と無く繰り返し自問自答する。飽きもせずに。本当は答えなんて何処にも無いのかもしれない。どうにもならないと知っていて、それでもこうして考え続けるなんて、本当に馬鹿げている。

「確かに、不毛ね」

ライムがそう言って小さく笑うと、リドルは奇妙なものを見るような顔をした。

「今日は嫌に素直じゃないか」
「元々素直じゃない」
「どこが。君ほど捻くれている人間もそうはいないと思うよ」
「……それ、リドルにだけは言われたくない」

自分が誰より捻くれているくせに、とライムは不満げにつぶやいた。
だけど捻くれきった者同士だからこそ、こうして一緒にいられるのかもしれないとも思った。

「君って本当に変わっているよ」
「私からしたら、リドルだって変わってるけど」

似ているようで違う。理解できるようでできない。だから気になる。だから知りたい。

だから時折、恐くもある。
ーーーーそれでも、いい。

「帰ろう、リドル」

一緒にいたい。生きていて欲しい。
それがどんなに困難な道でも、もう二度と、諦めたりしない。

振り返りざまにライムが笑いかけると、リドルは少し躊躇ってから、ゆっくりと歩き出した。


長い廊下を並んで歩く。会話は無い。歩幅は違うけれど不思議と重なる足音が、今はただ心地よかった。


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