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Eau de Cologne Impériale
窓の外に広がるのは夜の闇。室内の明かりを受けて、夜のガラスは鏡になる。そこに映った自分の姿を見て、イヴはふと足を止めた。

鏡となったガラスには、物語に出てくるような淡い色のドレスを着た妖精みたいに華奢な少女が写っている。近付いてまじまじと見つめると、ガラスに映ったイヴも同じように見つめ返してきた。

下ろし立てのドレスの裾を広げてくるりとまわる。風を受けて遠心力と共にふわりと綺麗に広がる裾は美しく、幾重にも重ねられた薄い布地が薔薇の花弁のようで、イヴは思わず感嘆の息を漏らした。
普段着るものより幾らか胸元が開いたデザインのそれは、見るからに高価なドレスだった。胸元を飾るのはドレスと揃いで作らせたというネックレス。繊細なプラチナの銀鎖の先には血のように赤い宝石が輝いている。
泡立つ滝のように真白な布地は上品な光沢があって、羽のように軽い。一番上の布は純白だが、下にゆくにつれて徐々に桜色、珊瑚色、桃色へと彩度を増してゆく。遠目から見ると綺麗なグラデーションになっていて、本当に美しかった。

「お気に召しましたか」

突然、暗がりから声がした。イヴがびくりと身体を震わせて声のした方へ向き直り目を凝らすと、薄い水色の目と目が合った。

「やはり、良く似合っておいでだ。気に入っていただけたのなら、妻も喜びましょう」
「アブラクサス……殿」

イヴが振り返った先、廊下の影に 夜空のように深い紺色の上等な燕尾服を着たアブラクサス・マルフォイが佇んでいた。いつもは後ろに流しているか緩く束ねているだけの髪も、今日はきちんと纏めてある。横に流し天鵞絨のリボンで結ばれた銀糸の髪が星の河のように肩口に流れていた。

「これは失礼。驚かせてしまいましたね。まずはご挨拶が先でした…申し訳ございません、イヴ様」
「いえ、そんな。私がぼうっとしていたのも悪いんですから、謝らないで下さい」

そう言って、目を伏せるアブラクサスを慌てて押し留めた。イヴより遥かに歳上の男性────見た目はまだ二十代後半にしか見えないが、リドルよりは幾らか歳上だと聞いている────にそんな態度を取られると、困惑してしまう。

「相変わらず……お優しいのですね。それでは改めまして、御機嫌ようイヴ様」
「御機嫌よう、アブラクサス殿。今日はルシウス殿はご一緒されていないんですね。リドルに御用時ですか? 」
「ええ。今日の役目はルシウスにはまだ勤まりませんから。私は晩餐会での我が君の補佐と、頼まれていた案件についての報告を」
「そう……いつもご苦労様です」

「──アブラクサス」

二人の会話を遮るように、アブラクサスの背後から低めの声が掛けられた。

「我が君」

イヴが驚いて振り返ると、見知ったリドルの姿がそこにはあった。一歩歩くごとに靡くマントからは気品が漂い、磨き上げられた靴がカツンと床を打つ。出逢った時に着ていたような漆黒の上下を身に纏い、背には長いマントが揺れている。服には色こそ抑えたものの、大層見事な刺繍が施されていて、着飾った姿は一段と美しく魅力的だった。

「出席者のリストは? 」
「こちらに」

差し出されたリストを手に取り目を通すリドルを見つめながら、イヴは気付かれないようそっと息を吐いた。

今宵は屋敷で晩餐会が開かれる。
ヴァンパイアの貴族たちは挙って参加し、リドルに謁見を申し込むという。
ヴァンパイアたちは皆、晩餐会がある度に自らの髪や瞳の色を引き立てる衣装を仕立て、髪飾りで彩り、アクセサリーでその魅力を引き立てることに余念が無い。何しろこのヴァンパイアの世界では何より“色”が重要なのだ。肌や髪や瞳の色彩は珍しければ珍しいほど力を持つ。その組み合わせも重要らしく、色から二つ名が付くことも珍しくは無い。
ヴァンパイアにとって色彩は権力の象徴でもあり、目に見えた形での序列を生み出すもの。不思議な世界だとイヴはいつもそう思う。

「……いつもより出席者が多いな」
「今宵は桜の精がお目見えするともっぱらの噂でございますから」
「成る程。砂糖に集る蟻の様だな。何処からとも無く嗅ぎ付けて、皆その甘さにありつこうと血眼だ」
「我が君……」
「わかっている。お前はいつも通り僕の補佐をしろ」
「御意」
「──イヴ」

呼ばれるままにイヴが顔を上げると、リドルはじっとその瞳を見つめた。灯りに揺らめく瞳はルビーのように深い赤。特別な色。リドルの色。

「今夜は僕の傍を離れるな」
「ええ」

その言葉ひとつでじわりと胸の奥が暖かくなる。緊張で強張っていた体から力が抜け、イヴはやわらかく微笑んだ。

「使えるものは上手く使え。君が持つその色彩は稀少で、奴らは喉から手が出る程欲しがっている。けれど決して差し出すな。ただ目の前でチラつかせて惹きつけて、触れる寸前で手を引けばいい。僕の隣に立つならば、それくらいはこなせるだろう? 」
「はい、リドル」

決意と共にそう答えると、リドルは満足そうに微笑した。その表情があまりに美しく優しいものだから、イヴはこの男に何度も恋をする。

「存分に見せびらかしてくるといい。今夜は御披露目だからな」

ゆっくりと開く両開きの大扉。その向こうのホールに揺れる多彩な色。金銀茶色に黒、赤青緑に紫。髪に、瞳に、ドレスに燕尾服。くるくるまわって、混じって、万華鏡みたいに移り変わる景色。
その奥、数段上に置かれた、玉座と見紛う豪奢な天鵞絨張りの椅子に座すのはイヴの主。長い脚を組み、愉しげに微笑する美貌の吸血鬼。

夜の帝王。
吸血鬼の中でも誰より闇が似合う男。呑まれることなく夜を泳ぐ、夜の生き物。

「リドル」

イヴのひと声で、人垣が割れる。香りの余韻を残して左右に引いたドレスの海へ、イヴはひとりで踏み出した。

歩く度、ふわりふわりとそよぐ裾の長いドレス。甘やかな花の香り。緩やかに舞う桜色の髪を背に流し、イヴはただまっすぐに、リドルの元へ。

『これは、契約だ』

かつてリドルが告げたその言葉。
これは契約。その為の儀式。互いの全てを差し出して、互いで補い共に生きる。その契約を、今結ぼう。

イヴは階段を登り切るとゆっくりとリドルの足元に跪き、その滑らかな手の甲にそっと口付けた。

「貴方に、永久の忠誠を」

計り知れぬほど永い時間を、貴方と共に。

「─────許す」

仰ぎ見たリドルは極上の笑みを浮かべていた。

込み上げる、この感情は喜びなんて言葉ではとても言い表せない。
私はこの人のもの。この人は私のもの。
それはこの先永遠に変わらない。

誰より美しく、誰より危険な闇の帝王。この人さえいればいい。この人しか、いらない。

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【香水名】Eau de Cologne Impériale (オー・デ・コロン・イムペリアル)
【ブランド】Guerlain(ゲラン)
【発売年】1853年
【備考】
1853年、ゲランはナポレオン3世の皇后ウジェニーにこの香水を献上し、ピエール=フランソワ=パスカルはこの香りの成功により帝室御用達調香師の称号を得た。
この香水瓶は帝政様式を持ち、ラ・ペ通りにあるヴァンドーム広場の円柱をモチーフに、ナポレオン3世のシンボルである69のミツバチの意匠を側面に純金を用いて描き散りばめていた。


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