プラトニック【Platonic】[形動]《プラトン的、の意》純粋に精神的であるさま。特に恋愛についていう。「―な交際」
プラトニック‐ラブ【Platonic love】 肉体的欲望を離れた純粋に精神的な恋愛。(デジタル大辞泉/小学館刊/より抜粋)
家の本棚に飾ってある分厚くて重い辞書を開かなくても携帯でぽちぽちっと文字を打てばその意味が分かってしまうなんて、便利な世の中だ。
純粋。精神的繋がり。肉体的欲望を離れた。
今調べたばかりの言葉をもう一度噛み締める。
純粋?純粋なわけない、ドSだドS。
精神的繋がり?精神的苦痛の間違いだろ、ドSだドS。
肉体的欲望を離れた?いつも肉体的に痛め付けられていますが。殴りあいの毎日ですが。やっぱりドSだドS。
これらを総合するとドS。
…なんだこれ。
私にはドS…もとい沖田という彼氏がいる。世にいう「告白」という儀式を通過して男女交際の関係になってはや3ヶ月。
私たちに肉体的関係はまだない。ちゅーもまだない。手を繋ぐだけの清い関係。これが世にいうプラトニックなんだろうか。その意味が知りたくて辞書を開いてみたが、なんの解決にはならなかった。むしろ余計に解らなくなった気がする。
「…はぁー」
辞書を引くなんて慣れない事はするもんじゃない、なんか疲れた。そう机に突っ伏していると、午後の陽射しが暖かくて昼ごはんで満たされた体は自然と眠りへ導かれる。重い瞼に逆らう事をやめるとそれは至福の瞬間。
…。
バコン!
「おいー神楽。授業開始5分で寝るたぁいい度胸じゃねぇか、あぁん?言っとくけどな今日やるとこめっちゃ大事だから、テストでるから、そんな事教えてあげる俺めっちゃ優しいじゃん」
空から現国の教科書が降ってきた…のではなくて叩かれた。立派な体罰、これは訴えていいレベルだろ。折角良い気持ちだったのに最悪。
「だっせぇ」
更に隣のドSがニヤニヤしながら追い討ちをかけてくる。元はと言えばお前のせいだ。
そうやってヤツと口喧嘩からはじまり、殴りあいの喧嘩、そして取っ組み合いの喧嘩になるのが私たちの日常。付き合う前からとなんら変わってない。
そう、変わっていないんだ。
帰りにゲーセンいったりとか家でゲームしたりするのも、そして何事もなく家に帰るのも。
私だって女の子だ、好きな人ともっと触れ合いたい。肉体的アレはまだ早いとしてもちゅーくらいはそろそろ良いんじゃないかなと思うわけで。
はぁというため息と共に自分の胸に視線を落としてみる。良く言えばスレンダー、悪くいえば…ぺたんこ。我ながらちょっとこのぺたぺたさ加減には泣けてくる。
やはりコレが原因なのだろうか。揉めば育つらしいけどそれに至らない私はどうしたら。
「なァ、今日ヒマ?」
コツンと消ゴムが飛んできた。真剣に悩んでいるのにコイツは。えぇヒマですよ、コノヤロー!
「今日はちょっと用事があるネ」
用事なんて何もないけど、このまま家に直帰だけど。駆け引き。押してダメなら退いてみろ、大人のレンアイとはそういうもの、という内容をこの間雑誌で読んだので早速実践してみる事にした。
「…ふーん。遅くまでかかる?」
「うん」
「じゃ、しゃーねぇなァ」
っておい!追いかけて来ないじゃん?!どいうことだよ!私が大人でもコイツがコドモだったら意味がないってことか?
あぁ折角の放課後でーと…。
「…ごめんネ」
「用なら仕方ねぇだろィ。また今度な」
「…うん」
結局は私が落ち込む結果になると。自業自得とはまさにこの事。
**
「ということアル」
「…で、なんで俺?」
「手頃なヤツが居なかったアル」
国語準備室のドアをノックすればそこは煙草の匂いが充満していて、奥にはふんぞりかえって座っているけだるそうな天パがひとり。
「あのなぁ、俺一応教師なんだけど、んなの野郎の前で股開けば一発だろうがよ」
ふざけんな。んなのドン引きだろうがよ。えっちな店に行きすぎだろ、コイツ。やっぱり間違いだったかな、なんて思っていると。おもむろに咳払いをして話をし始めた。興味津々なんじゃん!
「ったくしゃあねぇなぁ…まず、そのメガネ。今時瓶底ってメガネ萌えでも萌えねぇよ」
「実はこれ伊達アル」
「マジでか、どんなマニア受け狙ってんだ?」
違うから。私だって好きでこんなん付けてる訳じゃないから。話すと長くなるから一行でいうと、シスコンDV兄貴のせいだ。
お団子頭と共に私のトレードマークであるメガネを外すと天パがより天パに、ヤル気なさオーラがさらに濃くなって私の目に映る。これはいいフィルターでもあったようだ。
「どうアルか?」
「お、いいねぇ〜。あとは、ん〜そのスカート?パンツが見えそうで見えない短さが男心をくすぐるってもんよ」
「…それセクハラじゃネ?」
「俺は一般的な十代男子の意見を言ってるだけだ。決していやらしい目なんかで見てないぞー」
「当たり前アル。そんなことしたら即訴えるネ」
ってかパンツ見えそうなくらいって寒いんだよアホ天パ。やっぱこいつに相談したのは間違いだったか。
そう思いながらも膝上15センチという健康的な長さのスカートのウエスト部分をひとつ折り返してみると、少し上がっただけなのにスースー風通しが良くなった。
やっぱり寒い。
「っておい!今短くすんの?!そーゆーのはトイレでやりなさいったく、おめえに恥じらいってもんはないのかよ」
「銀ちゃんがそのヤラシイ目を何とかすればいいアル…んしょっと…こんなもんでヨロシ?」
「あぁ、いいんじゃねぇの。後は押して押して押しまくれ!大事なのはレッツポジティブシンキングだぞ」
「銀ちゃんありがと!私がんばるネ」
私の戦いはこれからだ。覚悟しろよドS野郎!!
勢いに任せて扉をガラッと開けた私は固まった。
「早かったじゃねぇかィ」
廊下に出ると壁にもたれかかって腕組みして待ち受けるラスボス…じゃなくて沖田の姿がそこに。
「…どうしたアル?」
「帰ろうかと思ったらお前がここに入るの見えたから。…呼び出し?」
「う、うん。そんな所アル」
ふと気づくと沖田の視線が私を上から下まで見ていた。さっきのアレで、メガネ外したままのスカート短いままの私。どうみても不自然というしかないこの状況。
もしかしたら分かってないかもなんて淡い期待は沖田の言葉によってすぐに打ち消される。
「スカート短くなる呼び出しって何なんだよ。普通逆だろィ」
もっともだ。だけど、お前とちゅーしたくて先生に相談したらこんなんになりました、なんて。
「…」
「俺には言えねえ事してたのかィ?」
「…違う」
「じゃあ何で」
なにもやましいことはしていないんだから本当の事言わなきゃ。そう思っていても自分を見据える瞳が怖くて俯いたまま顔を上げることが出来ない。ゆっくりと低い声で静かに話す沖田からは怒りが滲み出てるのがすごくわかる。
どうしようちゃんと言わないと。
そう思っていると、すっと沖田の手が動いた。
「…っ」
殴られるかもと思って身構えたけど予想を反して私の腕を掴んでその場を離れるように歩き出した。
そして無言のまま私の方を振り向くことなく廊下を歩き進む。
胸が苦しい、喉が苦しい。身体中が熱い。痛いのは掴まれた手首じゃなくて、私の心でもなくて、沖田自身。渡り廊下を渡って階段を上った先の重い扉を開くと、風が吹き込んだ。未だ掴まれる腕を引っ張られて屋上へと出るとその扉はバタンと言うを音を立てて閉じる。
「あの…沖田!本当に銀ちゃ」
「まず拭けよ…ほら」
腕を開放されて差し出されたのは紺色のチェックのハンカチ。
「え?」
そして足元のコンクリートを濡らすそれが自分の涙だと理解した。
「あ…」
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんでィ…だから…」
泣かないで。そういう沖田の顔も今にも泣き出しそうなくらい沈んでいた。なんで沖田が謝るの。悪いのは私なのに、こんな時にメソメソ泣くなんて最低だ。
「あの、違うアル!銀ちゃんとは本当になにも!」
「分かってるよ。だけど気になるだろィ。用事があるっつったのに行き先が銀八のところなんてさ」
「…ごめんなさいネ」
そういうと冷たい指で涙を拭われた。苦しかった胸がすっと軽くなったような気がした。
「で?なんでそんなスカート短いんでさァ」
改めて沖田は言う。今度はいつもの調子で。そうだまだ根本的なことはなにも解決していないんだった。
「え…っと」
「帰るときまでは普通の長さだったよな?」
「う、うん」
「やっぱり何か隠してるんじゃねぇかよ」
「…銀ちゃんにちょっと恋愛相談を」
「なにそれ」
「お…お…」
「…?」
「お、お前とちゅーしたくて先生に相談したらこんなんになりました…アル!!」
ちょっとびっくりしたような表情のあとむすっとした表情に変わる。
「…っ、ごめん…なさいアルっ」
「アホかてめえは?!そのまま襲われたらどうするんだよ」
「…銀ちゃんがそんな事っ」
「ない、なんて言いきれねぇよアホ。つーかなんで俺には言えなくて銀八に言えんの?信じらんね」
「…恥ずかしかったのヨ…ごめんネ」
「ふーん」
「…怒ってる…よネ」
「当たり前だろ。めちゃくちゃ怒ってるつーの」
ちょっと拗ねたように言う沖田だけどその言葉に怒りはなかった。沖田は徐に一歩踏み出すと二人の距離が縮まった。そのまま大きな手のひらで頬を包まれる。その温かさに止まった筈の涙が次々と零れ落ちた。こんなに優しいのに私ときたら変なことばかり考えて。
「泣きすぎ、でさァ」
「ごめん…」
頬に添えられた手がそのまま顎まで滑り落ちてくるのと同時に沖田の顔が近づいてきて心臓がドクンと鳴った。それを直視することが出来ずにぎゅっと瞳を閉じると柔らかい唇が掠めるように触れる。そして空いている方の手が後頭部を支え今度は強く押しあてられた。そこから伝わるお互いの体温で冷えた体が温まっていく。
唇が離れて頬を伝う涙をぺろっと舐められてびっくりして沖田を見るとニヤっと口角を上げて笑っている。
「いい加減泣き止まねぇと襲っちまうぜィ?」
「なッ…」
さっきまでちゅーとか全然興味ないようにしていたコイツのどこからそんな言葉が出てくるのか。…男子の考えることはよくわからない。
「嘘、冗談でさァ。とにかく…んな顔すんな」
「うん」
自分がどんな顔しているのか、なんて考えたくもなかった。きっと泣いたり緊張したりでものすごく酷い顔になっているんだろう。
「あと…何かあっても他の男のとこになんか行くなよ」
「…うん」
気づけばもう日が落ちかかっていて、背中に回された手が離れて肩をぽんぽんと叩かれた。それに促されるように手を取り指を絡めて屋上を後にした。
**
教室にカバンを取りに戻ると当たり前だけどもう誰も居ない。薄暗い教室は総じてちょっと不気味なものだ。こんな場所さっさと後にしたい、と急ぎ気味にしていると隣にいる沖田の指先がスカートを掠めた。
「…つーかスカートこんなに短くしちゃって…」
「ちょっ!!」
「エロい事まで考えちゃったりしてたんじゃねーの」
そして耳元まで顔が近づいて吐息を吐くように囁かれるとぞわっと背筋が震えて胸がきゅっと締め付けられる。
「…し…してない!!」
「どうだかねェ。チャイナの考えてる事なんて分からねえからな」
スカートを弄んでいた指が太腿を撫で上げる。ちょ、これは…くすぐったい。ちゅーの先は考えて…いなくて頭が追いつかない。
「だ、大体お前がいつまで経っても草食系装っているから悪いアル!」
「草食系?何ソレ」
「だって、そうだロ?!」
「全然そうじゃねーけど、つか男で草食系って居るわけねぇだろアホチャイナ」
「今日まで…ちゅー…しなかったヤツがよく言うアル!」
「あぁ、それは」
太腿を触っていた手が腰に回って抱き寄せられた。手の位置が位置だけにさっきよりもより密着しているような気がする。そんな行動にドキドキしている私をからかう様に耳朶を舐められた。
「く、くすぐったいアルヨ…」
「ちゅーしたら、その先止まんねぇっつーの」
「なっ!!ば、バカじゃないアルかっっ」
逃げようともがけばもがく程腕の力が強くなってそれは逆効果でしかないという事気付くのが遅かった。
クラクラ目眩がしてくる。体が今までに無いくらいにくっついて嫌でも体は熱くなり呼吸は息苦しくなる。
それは緊張なのか、期待なのか。
私が力を抜けば沖田の力も緩んで少し隙間ができた。これは逃げてしてしまって良いものか、と思っていても体は全く動かない。そして再びぎゅっと腕に力が籠り、顔が近づいて熱く囁かれる。
「な?もいっかいちゅーしてい?」
後頭部を押さえられた。
「…う、うん」
そのまま顔の角度を変えられた。
「やっぱエロいこと考えてるだろィ」
違う!と言いたかったけどその前に唇が重なった。
さっきよりも深く長く。
[おわり]