導入編5_番人の行方
「……やっぱり最近、魔物が増えてきた気がするんだよなぁ」
それを真っ二つにした感触は固体を切ったような、液体を切ったような、その中間のようななんとも形容し難いものだった。それでも目の前の生物は残骸となり再び動き出すことは二度となかった。
振るった剣を鞘に納めて一息つく。すると隣にいた相方がお疲れさんと肩を叩いた。
「気のせいじゃないか? 魔物が増えてきたってより、俺らの巡回当番の回数が増えただけだろ」
「……一理あるけどな」
昼間は平和の一言に尽きるスカイロフトも、夜になればこうして魔物たちがどこからともなく現れる。
出てきたところで大きな害はない小物ばかりではあるが、それでも小さな子どもが誤って遭遇するなんてことがあれば一大事だ。
故に、自分たちのような衛兵や騎士学校の上級生が毎夜スカイロフトの見回りを任されていた。
なお隣の相方が話している件については、この当番を割り振ってる隊長が最近の訓練模様を見てたるんでるやつを選抜しているという噂に関係しているのだろう。だからといって上に歯向かうのも後々面倒なので今日もこうして真面目に巡回してるわけだが。
「それに出てくるって言っても夜だけだし、俺らみたいな下っ端兵でもやれるやつなんだから増えたところで変わらないだろ」
「……それもそうか」
「とりあえずとっとと終わらせないとパンプキンバーのイベント始まっちまうぞ。今日はパナンちゃんが歌う日なんだからさ」
そう聞いて思い浮かぶのはあの綺麗な声の看板娘だ。
最近は訓練漬けでろくに酒も飲めていないし、これはタイミングの良い誘いなのかもしれない。甘い勧誘に覆われた頭からは先ほどまで燻っていた不安の種はすっかり抜け落ちていた。
* * *
悩み顔だった衛兵は引きずられるように相方に連れられ去っていく。
寄宿舎へ戻った彼らは上長へ判を押したような報告をするのだろう。
『スカイロフトは今日も平和でした』──と。
……哀れなくらいのんきなもんだなぁと、賑やかな後ろ姿を見送った私は一つため息をこぼす。
身を隠していた背の高い木から飛び降り周囲を見回すと、先ほどの衛兵が切り捨てたチュチュの残骸が目に留まった。
「……見殺しにしてごめんね」
その残骸のもとで屈み、手を合わせて黙祷する。主人に言わせれば下位の魔物たちに私たちのようなはっきりとした意思は存在しないらしいけれど、それでもそのまま捨て置くことには抵抗があった。
祈りを捧げた私は羽織っているケープについたフードを被り忘れていることに気付いて、すぐさま目深に被る。いくら私の姿がスカイロフトの人間と同じと言っても顔を見られるメリットは一つもないからだ。
私が空に浮かぶ女神の島──スカイロフトで活動をするのは大抵が夜、人々が寝静まるころだった。
主人、ギラヒム様の力により地上からはるか離れた天空の地に降り立ち活動するのは少ない機会だが初めてではない。
当たり前だが魔王様復活のための鍵はすべてが大地に揃っているわけではない。むしろ聖域でもあるこのスカイロフトのほうが可能性としては非常に多くの割合を占めている。
だが手っ取り早くギラヒム様自身がここに来ることは叶わない。
長年の時を経て地上で女神の力を弱めていったからこそようやく干渉が出来る状態になったが、スカイロフトを覆う結界そのものは顕在だ。
ギラヒム様のような強い魔力を持った魔族にとって、その結界に入るのは燃え盛る家屋に何も持たず突っ込むことに等しい。
……ちなみにマスター曰く、魔族長並みの魔力を持ったまま聖域の結界に突っ込むとその反動で体が弾けてしまうとか。誇張された表現なのかどうかは定かでないけれど大切な主人がそんなことになっては敵わないため、スカイロフトに出向くのはいつも私だった。
それにスカイロフト探索において、私は何かと“都合が良い”。
空の住人は魔物に対してはともかく、ヒトに対する警戒心はごく薄い。少なくとも史書に残っている範囲でヒトによる女神への反乱は起きていないからなのか、そもそもの気質なのか。
そういうわけでスカイロフトの住人と同じような身なりをし、最低限印象に残らないよう顔を隠せばまず怪しまれることはない。
──そして何より、スカイロフトを覆う結界に“私は引っかからない”。
それが意味することを考えるのは少し頭が痛くなる。……だから主人にとって都合が良い、ということだけを頭に置いて、今日も私はスカイロフトの夜を歩いていた。
「……とはいっても」
小さくぼやいて辺りを見回す。空に囲まれたといってもこの地は一人で探索するには広大すぎる。
普段私がスカイロフトに来る理由は情報収集や物資の調達が主だ。もちろん今回も名目上はその理由で来たわけだけれど──私自身の目的は別のところにある。
……封印の地の監視の目をなくしたい。
あの日、魔王様の封印の石柱を前にしたギラヒム様を見て、その野望にも近い願いはずっと燻り続けていた。
しかし魔王様復活の足がかりと同様に、核心的な情報はそれ相応の危険を伴わなければ得られない。文献など形で残っているものならまだいい。厳しいのは口承で伝えられている場合だ。
スカイロフトの人間と同じ姿であっても、本来ならばそこにいないはずの人間なのだ。名前や姿を明かすのは危険すぎるし、何より明かしたところでその秘密が手に入るとは限らない。
そういうわけで一通り心当たりのある場所を散策したが今のところ収穫はなかった。
だから今足が向いているのは心当たりの最後の場所。……もとい大本命の場所だ。
ならば最初から来ればよかったのではとも思うが、どうしても決心がつかなかった。が、主人のためそうもいってられない。
「……着いちゃったなぁ」
──騎士学校。
女神の兵隊……スカイロフトでは騎士と呼ばれる、未来の戦力を育てていく場所。そしてここはスカイロフトの中で最も知識が集まる場所でもある。
正直ここに侵入するのはいろんな意味で気が引けたが、可能性は一番高い。
覚悟を決めた私はまず手近な木によじ登り、極力音を立てないよう騎士学校の屋根へ飛び移った。
スカイロフトの中でもかなり広い部類に入るこの建物は、侵入経路自体は豊富だが、その分内部の人間に見つかる可能性も高い。
それを加味し、人に見つかる可能性のごく低い経路を選ぶ必要がある。
私は屋根から屋根へ飛び移り、目的地近辺の足元を念入りに探る。そうしているとひやりとした金属の感触が手に伝い、そのまま力を入れると重たい蓋のようなものが引き上がった。長いこと誰も手をつけていなかった格子だ。
格子を外すと人一人分通れる穴があり、私は内部へ体をねじ込ませる。中まで入り込むと入口と同じく身を屈めてようやく通れる程の狭い通路となっており、足元には先ほど外した格子と同じものが埋め込まれている。そこから光が漏れている場所もあれば、なんらかの話し声が聞こえる場所、またごそごそと物音だけが聞こえる場所と様々だった。
つまりここは、各部屋の換気口として使われている通路だった。
騎士学校は古い建物のため、各部屋の換気口はこのように簡素な作りとなっている。昔はこの通路に火の魔石を置き灯りとして使っていたと聞いたことがあるけれど、今はほとんど使われていない。故に私がここを出る頃には服も顔も真っ黒になっているだろうけれど……仕方ない。
私が目指す部屋は、この通路の一番奥だ。
騎士学校は寄宿舎も兼ねていて多くの生徒がここで寝泊りしている。もし私以外にここに初めて訪れる侵入者がいたとしても、数多くある部屋の中から目的の部屋を探し当てるのはそこそこ骨が折れるだろう。
しかし私の足は迷いなく目的地へ進む。
慣れ親しんだ、という言葉が頭をよぎって即座に振り払う。……そう言えてしまうのが嫌だった。
なるべく物音をたてないよう歩き、私は目的の部屋──資料室の部屋の上に辿り着いて、格子の隙間から部屋を覗いた。
室内は真っ暗で何の物音もしない。熱心な学生でもこんな夜更けに本を漁るなんてことはしないようだ。
私は目の前の格子を外し、頭を突っ込んで逆さまの状態で室内を覗き込む。再度誰もいないことを確認してから室内へ侵入した。
……さて、ここまでは良いが問題は何を持ち帰るべきかだ。
資料室といっても女神にまつわる重要な秘密を人目に触れるところに置いておく訳がない。歴史の本、伝承の本、大まかな分類でもその数は計り知れない。まさかそれらをごっそり持ち帰るわけにもいかず、私はしばらくその場で逡巡をする。結局は片っ端から読み漁るしかないのだろうか。
「──誰かいるのか?」
「!」
その時、思考に耽っていた私を一つの声が貫いた。
咄嗟の判断で先ほど潜んでいた天井裏へと飛び込む。油断をしていたせいで一瞬動き出しが遅れてしまったが何とか逃げ切った。その様はまるでネズミみたいだと自分で思ったがなりふり構っていられない。
私が天井裏に身を隠したすぐすれ違いで、扉の隙間から室内に光が差し込んでくる。先ほどの声の主が室内を覗いているようだ。
「……誰もいない、か?」
一通り確認し、小さく呟いたその声に心臓が痛むほど早鐘を打つ。そのまま隠れていれば見つかることはないと頭では理解していたのに、早くどこかにいってほしいの一言に尽きた。
「どうしたんですか? 先生」
「いや、誰かいた気がしたんだが……ネズミか何かだったのかもしれない」
私の切実な願いは叶わず、扉を開いた人物の背後にいたもう一人が訝しげに声をかける。まさに今自身がネズミのようだと考えていたことを口に出され、見透かされているようでさらに心臓が叫んだ。
入室してきた二人は何かの資料を探しにやって来たようだ。先生と呼ばれる男と、もう一人はおそらく生徒か衛兵か。タイミングが鉢合わなかったのは不幸中の幸いといったところか、それとも私のいつもの無計画が祟ったのか。
「魔族に関する資料だったな」
「はい。最近増えてきているように思ったので……」
「……そうだな」
その会話の内容から、先ほどの呑気な衛兵以外の市民たちも魔物の活発化に勘付いていたことを察した。
ちなみに彼らの悩みの解答は、私は大まかにわかってしまう。
おそらく地上での女神の封印が徐々に解けつつあり、もともとスカイロフトに居ついていた魔物たちがその影響を受け始めているのが大きな原因だろう。これはギラヒム様が意図的に行ったことではない。あくまでも目的は魔王様の封印を解くことのため魔物の活発化はその副作用といったところなのだけれど……。
「……もしこのまま魔物が増えていったり、あるいは凶暴な魔物が出てきてしまったら市民に危険が及んでしまいます」
そんな私の考えとは裏腹に、青年の懸念は切実なものだった。
たしかに平和に浸り切ったスカイロフトはいくら騎士を育てていても魔物討伐に関するノウハウはそう多くはない。大地で闊歩している上位の魔物を一匹でも放てば大混乱は免れないだろう。……だが、
「そういえば、このスカイロフトには島全体に女神様の結界が張られていると聞いたことがあるのですが」
その魔物を放せない理由がたった今衛兵さんが話した結界の存在だった。
どうやら衛兵たちや騎士学校の人間にとって結界は共通の知識として持たれているらしい。私は息を潜めたまま二人の会話に耳を傾ける。
「それが弱まっているってことはないですか?」
勘の鋭い衛兵さんだなぁと素直に思った。今のところ推測としては花丸だ。私が心の中で拍手を送る一方、先生と呼ばれる人物は難しい顔をする。
「君の指摘は間違っていないのかもしれないが……残念ながらそれを確かめる術がないんだ」
「何故ですか? 結界が女神様のお力で作用しているのであれば女神像の調査と警備の強化をするべきだと思うのですが……」
「いや、これは確証のない話になってしまうのだが……スカイロフトの結界は女神像のみの力によるものではない可能性が高いんだ」
それを聞いた私は衛兵さんと同じように目を見開いていた。
スカイロフトで祀られている巨大な女神像。たしかにあの近辺は魔物も近づけないしスカイロフトに入ることが出来る私ですら気分が悪くて仕方がなくなる。だから本格的に乗り込むのはさらに封印が弱まってからだと思っていたのだけれど。
私が思考を巡らせている間にも階下ではごそごそと何かを漁る音がし、続けて先生と呼ばれる男の「これだ」という小さな声が聞こえる。本棚から一冊を手に取ったようだ。
「皆の知る女神はたしかにこのスカイロフトの守り神と信仰されていてそれ自体は間違っていないんだ。ただ文献によれば……スカイロフトの結界そのものはシーカー族という一族がつくったという説がある」
「シーカー族……ですか?」
衛兵さんは初めてその単語を耳にしたらしい。
対し私はその一族に聞き覚えがあった。とは言え主人の口から忌々しげに吐かれていたような……というなんとも曖昧な記憶で、いつ何を聞いたのか細部までは覚えていない。
ここぞとばかりに私もその教授に耳を傾けることにする。
「文献によって多少表記の差はあるが、歴史の暗部に存在しながら古来より秘密裏に女神へ従っていた部族なんだ。その一族による術式でスカイロフトの結界は張られているらしい」
「その一族はもう残ってはいない……ですよね?」
「少なくともスカイロフトには残っていないな。遠い子孫くらいなら残っているかもしれないが、一族としての機能は残ってないだろう」
パラパラと頁をめくる乾いた音が響く。衛兵さんはもちろん、私もその講釈の続きを待つ。
教授をする低く落ち着いたその声の安心感は──昔からずっと変わっていないものだった。
頭にチラついた余計な記憶を振り払うことすら忘れていたまま、私は彼の言葉に耳を傾けていた。
「残念ながら結界というのは我々一般市民には察知できないものだから、発生源やその維持機能について調査するのは困難だと思う。スカイロフト誕生前の大地ではシーカー族の封印や結界の技術を様々な場所で用いていたそうだが……」
「そこまでくると……もはや神話ですよね。雲の下の世界ということは、存在していない世界の話ということになってしまいます」
「────、」
その時、先生と呼ばれた男が返答に詰まったことに私は気づく。
それは衛兵さんが不自然に思うこともないほんの数瞬のことだったが、彼と……そして私には、長い静寂の時間のように感じられた。
「……ああ、そうだな」
それだけを返し、彼はすぐに話を切り替え今度は魔族についての教授を衛兵さんに始める。
衛兵さんも違和感を感じることなく真面目に彼のミニ講義を受けていたが、私にとってそこから新しい情報が得られることはなく話半分で彼らが去るのを待っていた。
「……とにかく、結界については私のほうでも調べてみよう。それより今は魔物の出所や増加の原因を探ることが先だな」
「そうですね、出現の根本を調べた方が良いのかもしれません」
そろそろ天井裏の空気の悪さに耐えきれなくなってきた頃、長かった話し合いが一段落したらしく数冊の本を抱えた二人はようやく資料室から出て行った。
冷や汗とともに深いため息をつく。あれだけ緊張したのは見つかりそうになったからというのもあるけれど、先ほどの人物に見つかれば厄介なことになるからでもあった。これだから騎士学校に潜入するのは避けたいんだ。
心の中で悪態をつきながら人の気配が完全に消えた室内に飛び降りる。
先ほど二人が調べていた本棚を見に行くと魔族に関する本が何冊か抜けていたが、運が良いことに私の目当ての本は残されたままだった。
「……封印、結界、シーカー族……」
聞きたての言葉を復唱しながら脳内に刻み、古びた一冊を手に取る。その一族の記述を再度確認し、私はそれを抱えたまま騎士学校を後にした。これ以上ここにいたくないと、焦る気持ちを抑えながら。
収穫がなかったわけではない。が、結果が伴うかどうかはなんとも微妙なところだ。
私は外の夜風を浴びながら少しだけ悩んだ後、主人へのご機嫌とりのためのお酒を買いに夜の市場へと走った。
* * *
資料室を後にし、衛兵に別れを告げ自室へ戻る。
彼が話していた通り、たしかに最近魔物の動きが活発化しつつあり、時折嫌な胸騒ぎがすることがある。……何かの前触れ、なのだろうか。
すっかり夜の帳が降り、黒く塗りつぶされた空を眺める。次いで静かに瞼を閉じ、衛兵の言葉を反芻した。
「──雲の下の世界は何もない、か」
彼が言ったのは常識の一端に過ぎない。その言葉に一瞬でも動揺し、今もこうして反芻している理由は自分でも呆れてしまうほど明白にわかりきっている。
疲れているのかもしれない、と自嘲しながら自身の長く白い髪を撫で付ける。明日の授業の準備をして、早々に眠るべきだろう。
騎士学校、実技講師の夜は更けていく。