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真影編epilogue



「……室内無人、確認よーし」

 十二分に五感を働かせて、おそるおそる窓から室内を覗き込む。そこに人影はなくて、私は内心で安堵のため息をついた。
 明かりがなく静まりかえった部屋を目で確認した私は、ケープの中に手を突っ込んで銀色のナイフを取り出す。
 磨かれた金属には、やや疲れた顔をした自分が映り込んだ。

 ──ダークリンクとの対峙から数日後の夜。
 私は騎士学校にこれを返すため、スカイロフトへ来ていた。

 あの精神世界から抜け出し、視力を取り戻すきっかけとなった銀色のナイフ。
 わざわざ返しに来るほどのものでもないと思ったけれど、何となく手元に置いたままにするのが憚られたため、私は律儀にもここへ来てしまった。
 ちなみにあの一件を終えた後、ギラヒム様の独占欲が大爆発したことにより普段の倍は頼み込み、ようやくここへたどり着いた次第だった。

 あれから、私の体は呪いの後遺症が残ることもなく以前通りの体へと戻っていた。
 一方、精神世界でかなりの魔力を使った主人は、さすがの疲労感で数日間はほぼ寝たきりのままだった。
 幸い、命に関わるほどの損耗はなく、あと数日で完全回復が出来そうとのこと。

 一歩間違えれば命は無くならずとも精神が壊されていたかもしれない状況に鑑みると、主従共に運の良い結末だったと言えるだろう。

 ──しかし、互いに口に出しはしないものの、あの反転世界で見せられた光景は、未だ二人の奥底に爪痕を残している。

 主人は長きに渡り自身を縛り続ける過去を。部下は目を背けたくなるほどに不安定な中身を抱えた今を。
 それぞれの傷を内側に秘めたまま、それでも戦いの時は無情にも訪れてしまう。

 そう遠くない未来の戦いに憂いの吐息をこぼし、私は音を立てないようゆっくりと窓枠へナイフを置いた。
 月明かりを反射する銀色は、しばらくの間、私の目を引いた。

「──から、絶対……だって」
「……!」

 その時、物思いに耽っていた頭をどこからか聞こえた会話が覚醒させた。
 反射的に身をかがめると、今しがた覗いていた部屋に眩しい明かりが灯る。どうやら誰かが入ってきたようだ。

「絶対寝ぼけてただけだろ」
「だから、ほんとにお化けと話せてたんだって!」

 騎士学校の子どもだろうか。高さの違う二つの声が窓の向こうから聞こえる。
 そしてどこか聞き覚えがある片方の声音に記憶を巡らせていると、その正体にすぐ行き着いた。

「話してたって、そのお化けの声、聞いたわけじゃないんだろー?」
「そうだけど、お姉ちゃんが話した後、あのお化けが言うこと聞いてたし……」

 聞こえた会話で確信を抱く。あの夜、ホーリーアゲハを探していた少年だ。
 少年は同年代の友人くんと、偶然にもあの時のことを話しながら部屋に入って来た。

 少年が必死に説明しているのはおそらく私のことなのだろうけど、傍から聞くとどっちがお化けなのかわからない言い回しだ。
 友人くんも半信半疑といった口振りで少年に反論をする。

「だいたい、夜中に見回り以外で外に出てたならその人もやばいやつなんじゃねーの?」
「……そうかもしんないけど」
「だろ? 俺の父ちゃん、言ってたぞ。今はお供え用の大きなかぼちゃが採れる時期だから、夜になるとかぼちゃ泥棒が出てくるんだって。その人も、本当はかぼちゃ泥棒なんじゃね?」
「そうなのかなぁ……」

 顔は見えないけれど、なかなかに警戒心の強い友人くんだった。
 かぼちゃを狙った覚えはないけれど、怪しい人間にはかわりないわけなので、少年と同じく私まで言葉が詰まってしまう。

 少年が私のことをどう弁明するのか気になるところではあるけれど、窓枠に置いたナイフの存在に気づかれれば私の姿まで見つかってしまうかもしれない。二人が話に熱中している間に離れるべきだろう。
 私は小さく息を吐き、低い体勢のまま騎士学校から立ち去ろうとして、

「……でも、」

 その足を、続く少年の声が引き留めた。
 私は誘われるように視線だけを窓の向こうへと注ぐ。少年の姿は見えないけれど、声色から表情が伝わってくるようだった。

「悪い人だったとしても……優しくてかっこよかったから」
「────、」

 それだけを聞いた私は瞼を閉じ、星の瞬く天を一度だけ目にして、空を去る。


 二人の少年が残された教室。
 その窓枠に置かれた銀色のナイフへ、一匹の青い蝶がとまった。


真影編 Fin
(231111改稿)