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幕間_魔族長の憂鬱なる一日



 柔らかく目元を撫でる陽光に誘われ、ゆっくりと瞼を開いた。
 火の魔石が吊り下がる見慣れた天井。薄ぼんやりとした視界を数秒眺め、自らの手の甲でそれを塞ぐ。頭は重い。気分は悪い。これだから朝は嫌いなんだ。

 ──魔族長ギラヒムの朝は、相も変わらず最悪だった。

 本来、精霊の体に睡眠は必要ない。それでもギラヒムが他の生物と同じく睡眠をとり始めた理由は、目覚めている間巡り続ける思考の渦を無理やり断ち切るためだった。
 数百、数千の時を越えて、魂に刻まれ続けた『忘れるな』という命令。たどり着けない封印の解放。
 それは膿んだ傷のように彼を苛み、呪い、思考を絶ったとしても悪夢として彼を縛り続けてきた。

 しかし、リシャナにその命令のことを明かしてから、悪夢を見ることはほとんど無くなっていた。
 故に、今日の寝起きが悪かった理由は別にある。それは──、

「……チッ」

 傍らに視線を投げだし、大きめの舌打ちがこぼれる。
 眠った時には隣にいたはずのリシャナが、いない。

 剣技の早朝練習は大地で生きるようになってからのリシャナの日課だ。普段ならば主人の目が覚めるまでに練習を切り上げてくるが、詩島跡地から帰ってきた以降は特に長く打ち込んでいるらしい。
 ……かと言って、主人との時間を削っていい理由にはならない。隣に横たわる空間を睨み、ギラヒムは再び舌を弾く。

「………… ふふむふ馬鹿部下

 枕に顔を押し付け、漏れるのはくぐもった文句だ。
 脳内の部下が「下位の子たちが見たらびっくりしますよ」と、煩わしい進言をするけれど、そうする前に叩き斬る、と同じく脳内で言い返す。

 諦めて眠りにつこうとするも、覚醒してしまった頭は再びの微睡みの中に落ちてはくれなかった。
 それが余計に苛立ちを助長させて、ここにはいない部下にさらにもう一つ舌打ちをこぼして──、


「マスター、朝で、」
「遅い」

 ──本物のリシャナがギラヒムを起こしに来た時。絹糸のような白髪は盛大に散らばり、しなやかな半身はベッドからはみ出していた。

 乱れた前髪の隙間から冷たく睨みつけられたリシャナは「ヒッ」と喉をひくつかせたが、辛うじて踏みとどまり、主人に視線を返す。

「ごめんなさいでした。スタルフォスたちに剣技の練習、付き合ってもらってました」
「……そのままあの亡霊どもと同類になってしまえば良かったのに」
「うう……不機嫌絶好調……」

 付き合ってもらったなんて平和的な言い回しをしているが、亡霊であるスタルフォスに意思疎通を図るための高い知能はない。
 リシャナが自分と戦え──否、殺しあえと命じ、あくまでもそれに従ったまでだろう。

 故に“練習”と言いながら、一瞬でも気を抜けば呆気なく彼女の命は失われる。それが魔族の日常だ。
 だから彼女の言う“練習”とやらに文句をつける気はない。気はない、けれど──、

「……リシャナ」
「あ、ダメです」
「は?」

 無性にその肌に齧り付きたい衝動に駆られ、自身が横たわるベッドに誘う。が、返ってきたのは部下にあるまじき拒絶の言葉。
 ギラヒムが眉間の皺を深めると、リシャナは両手でばつ印を作って一歩距離を取った。

「いつもより割としっかりめに体動かしてきちゃったんです。だからベッドに入るのはシャワー浴びてからでお願いしたいかなって……」
「……ほう?」

 部下の切実な訴えに、ギラヒムは目を細めて間髪入れず立ち上がる。
 真上から見下ろされる捕食者の眼光にリシャナの本能はけたたましく警鐘を鳴らして、

「だ、だからマスター、私今、すごくいい汗をかいたばっかりでして……!!」
「いい汗……ね? 実に興味がある」
「だめです!! 嗅がないでーーッ!!」

 逃げ場のない部下の悲鳴は、飄風のように暖かな森中を駆け巡ったのだった。


 * * *


「……ンあ」

 主従が彼に会ったのは昼下りの魔物部屋だった。

 隻腕に短刀を括り付け、もう片方の手には乱雑に重ねられた紙束が。黄色の両眼には「今頃お目覚めか」という感情が走ったがそれは出さず、大トカゲ──リザルは軽く頭を下げる。

「おはようございマス。ギラヒム様」
「…………もう昼ですけど」
「まだ躾け足りないようだね、馬鹿部下。ワタシが目を覚ましたなら、その瞬間が世界にとっての目覚めなのだよ」
「うぎ、足、踏まないでください……!」

 余計な付け足しをするリシャナのつま先を踏みつけ、ギラヒムは悠然と白髪を掻き上げる。
 悲鳴をあげる後輩に憐れみの視線を送り、リザルは気を取り直すように顔を上げた。

「森の南東の調査報告、上がってるッすよ」
「なら、そこの馬鹿部下に渡しておけ。今日中にまとめてワタシに寄越すそうだ」
「うい」
「私っ、そんな了解っ、してないっ……!!」

 リシャナが両腕を振るって猛抗議をするが、聞く気がないギラヒムと手慣れたリザルは当然のごとくスルー。
 問答無用で地図と紙の束を渡されたリシャナは頬を膨らませたが、諦めたように肩を落とした。

「それで? あれだけの数を割いたんだ。収穫はあったのだろうね?」
「一応は。俺ァ大まかに聞いただけッすケド、勇者がまた動き出してるらしいすね。フィローネ地方から離れる気配は今のところ無さそうかと」
「……ふむ」

 となれば、勇者の次の目的地はフィローネ周辺である可能性が高い。
 物資を調達しているだけという場合もある。が、ここ数日で森の魔物は大幅に増員をされている。そのような危険な地に何日間も身を投じるほど、勇者も愚かではないだろう。

「一応言っとくと、森の魔物の警備は既に強化してるンで、あとは勇者の目的地を探るだけですね。……ちなみに、その指示出したのはお嬢ッす」
「わ、さりげなく持ち上げてくれるリザル先輩、優しい」
「フン、お前のようなトカゲごときがこの極貧を持ち上げたところで見栄えは何も変わりはしないとも」
「……さりげなく極貧言ってくるマスター、いじわる」

 リザルが付け足した事実は言われずともギラヒムの知るところにあった。日夜訓練に明け暮れているかと思えば、存外魔物たちの統率にも精を出しているらしい。
 その程度でご褒美を与えるつもりはないけれど、考えナシの天邪鬼にしては随分と周到に用意を進めているようだ。

 砂漠と封印の地での一件で大きな打撃を受けていた魔物たちも、だいぶ回復をしてきた。
 それでも、勇者は規格外の早さで成長を見せている。中上位の魔物を中心に集め、万全の体制を整えておくに越したことはない。

「それでねリザル。言ってた魔物の子たちのことなんだけど……」
「準備出来てンぞ。後で連れてく」
「おお……リザル先輩、仕事早い」
「うるせッての。先輩魔族サマをこき使いやがッて」
「感謝してます、先輩。……あ、トカゲ族の子、呼んでるよ」
「ンだな。行ってくるわ。……では失礼シマス。ギラヒム様」
「……ああ」

 リシャナと軽く言葉を交わし、最後に長へと頭を下げてリザルは仲間の元へと去っていった。
 リザルが筆頭のトカゲ一族は過酷な環境下での探索に特化しているため、引き続きオルディン、ラネール地方の調査にあたっている。
 基本、帰属意識の強い彼らの統率はリザルに丸投げをしており、彼の姿を見る限り特段大きな問題はない。強ささえ示せば扱いやすい一族だ、というのがギラヒムの評価だった。

 ──それはさておき、

「……で、何」
「あ、えーと……リザルと夜の“こそ練”をする予定でして。次の戦いはたぶん夜になるので、特訓です」
「……ふぅん」

 先ほどの会話の詳細を求めると、リシャナはすんなりとその答えを明かした。
 “こそ練”とやらが何なのかは知らないけれど、空で待ち受けている敵──大精霊との争いに向けて、何やら下準備を進めているらしい。おそらく、夜目の利かない空での戦い方について、対策を立てているといったところか。

 別に、今さらリザルフォスごときがこの部下と何を企てていようと自分には関係がない。それに対して何かを思ったりはしない。絶対に。けれど──、

「っだぁ!! なんでですか!!?」
「……別に」

 なんとなく癪に障って、腹いせに部下の足を踏みつけてやった。


 * * *


 日が暮れ、雑然とした魔物部屋を後にし、対照的に無音だけが支配した地へと足を運ぶ。
 騒がしさの要因の一つである部下は主人がこの地に訪れる際、命じない限り自らどこかへ姿を消す。
 姿無き王との謁見に、下位の存在である自分は同席すべきでないという考えなのだろう。馬鹿部下のくせに、そういう察しは良いのだから生意気だと思う。

「────」

 ──森が夕闇に包まれる時、陽光も月光も差さない封印の地の大穴は黒一色に染まる。
 その光景はまるで、地獄への入り口が開いているかのよう。奥底に立つ石柱は、さながら地獄に垂らされた一本の糸。
 それを求め、追い縋り、手繰り続けて。足掻いた先に極楽とやらが待ち受けているなら、数千年という時も瞬き一つの苦しみだと思えるのだろうか。

 封印の石柱に変化はない。黒き怪物となった魂が勇者の力により再び封印された後、石柱は変わらぬ静寂をたたえ、最奥に佇んでいる。
 ただ、以前よりも魂の持ち主の気配は濃くなっている。それは何千年もの間この地を見守り続けたギラヒムにしかわからない、微細な変化だった。
 そんなものにすら希望のよすがを見出そうとする自身を顧みると、あまりの愚かしさに苦笑がこぼれてしまう。が、それでも抗い続けると、部下に背中を託したあの日に決めた。

 ──時折、思う。次なる手がかりを見つけ、空へ帰還していた勇者が再び大地に降り立つ時。この地で静かな時を過ごすことも次第に失われていくのだろうと。
 全ての結末にたどり着くまで、あと何度ここに訪れることになるのか。益体のない考えだとわかっていながら、思考を巡らせてしまう。

 そしてもう一つ。ここに立った時、必ず蘇る記憶がある。

『……がぃ……ぇ…………て……』

「────、」

 両手を濡らした、冷たい赤色の温度。部下の命が流れ出る、死の感触。
 封印の地に訪れるたび、その記憶は生々しい傷口のように存在を訴えかける。

 こうしてギラヒムがあの瞬間を思い返していることをリシャナは知らない。
 あれの望みは、どんな未来が待っていようとただ一つの願いに向けて主人が歩き続けることだ。故に、その記憶が主人の中に残ることを良しとしない。たとえ主人が命じたとしても、彼女の頑なな意志は折れることはないのだろう。

 再び始まる争いの中。主従のどちらかがあの時と同じように命の危機に曝される瞬間が必ずある。
 何かを失うことも、何かを捨てることも。時の神の意志に抗わない限り絶対に訪れる。そのはずなのだ。

「……誰にとっても、『時』は戻れないものでしかない」

 ──そのはず、だったのだ。


 * * *


「……遅い」

 時は流れ、雲の向こうに浮かぶ月が真上にまで昇った頃。苛立ちに染まった恨み言がぽつりと落ちた。
 それに対する返答はどこからもない。主人の膝上にも、主人の私室にも、部下の私室にも、文句の相手はいないからだ。

 大きな嘆息をこぼし、ギラヒムは私室の窓から外の世界へ視線を送る。
 リシャナの大体の居場所は掴めている。既に暗闇に支配された森の中。そこで日中に言っていた“こそ練”とやらを未だ続けているのだろう。
 魔力によって位置を掴める程度の距離にいるからこそ、その状況がかえってギラヒムの苛立ちを増長させていた。

「……チッ」

 舌を強く弾き、感情に煽られるまま立ち上がる。
 ……もうじき就寝の時間だ。主人の神聖なる眠りに居合わせない馬鹿部下は、無理矢理連れ戻して然るべきだろう。そうに違いない。

 理屈などお構いなしの結論へとたどり着き、ギラヒムはリシャナの魔力を再び探る。
 彼女の生命を維持する最低限の魔力。その糸を手繰り、ギラヒムは夜の森へと歩き始めた。

 生き物たちが眠る静寂の森の向こうから、時たま何かを打ち付けるような軽快な打撃音が聞こえてくる。おそらく、木刀を使い剣技の訓練でもしているのだろう。

「……?」

 その時、森をひた歩くギラヒムの背後から、何かの羽ばたき音が聞こえてきた。
 立ち止まり、何気なく頭上を見上げると、ほぼ同時に大きな影が空を一直線に突っ切った。

「……ヒドリー?」

 正体は、赤い四枚の羽根と長い尾を持つ飛行型の魔物、ヒドリー。
 フィローネの森ではあまり見かけず、拠点で飼われている魔物の中にもあの一族はいなかったはずだ。

 ヒドリーはギラヒムの進行方向へと迷わず飛んでいく。同じ目的地を目指しているのか、高度は徐々に下がっているようだ。
 その姿を視界の隅に捉えながら、ギラヒムは足早に森の中を突き進む。

 やがてヒドリーはある場所に降り立ち、ギラヒムも木々の隙間を抜けてその地に到着する。
 彼がそこで目にしたのは──、

「あ」
「ンあ」

「────」

 リザルの片腕に抱きかかえられ、青い顔をしたリシャナの姿だった。


 * * *


「……あの、マスター」
「………あ?」
「うう、誤解なんです……」

 主人にとっての戯言に返されるのは舌打ちのみ。
 半泣きのリシャナは床に正座をし、真上から突き刺される冷ややかな視線を一身に受けていた。

「空中戦の特訓をしてたんです……。空の大精霊対策に、一人で戦えるようになるために……」
「へぇ……。それ故に、ワタシに対する裏切りを働いていた、と」
「裏切ってないですっ! 全部、マスターの、ためです!!」

 必死な弁明を図るリシャナの言い分はこうだ。
 大精霊との対峙の時に向けた、“こそ練”。リシャナはリザルに協力を仰ぎ、ヒドリーやスカイテールといった飛行手段を持つ中型の魔物を使って訓練をしていたそうだ。
 彼らの体に木製の的をつけ、周囲の木々を空に浮かんだ廃墟と見立て、それらを駆使しながら空中で剣を振るう手段を身につけていたらしい。

 そして体の回旋に失敗し、着地の出来ない姿勢で落下したリシャナを側で見守っていたリザルが受け止めた。──その現場にギラヒムが遭遇した、とのこと。

「……まあいい。仕置きは後でたっぷりと、心行くまでしてあげる」
「あうう……」

 部下に対する文句は留まるところを知らないが、先に話を進めるため一旦それを隅に置く。
 後に待つ仕置きに戦慄するリシャナを無視し、ギラヒムは「それで?」と視線を注いで、

「飛べない極貧であるお前が、空中でどのように戦うという結論を導き出したのかな?」
「極貧禁止です。……結論というか、いくつか手段は考えました。例えばこれです」

 言いながら、リシャナは腰のポーチから束ねられた縄を取り出す。その先端には金属で出来た三又の爪が取り付けられており、見るだけなら単純な作りの道具のようだ。

「カギ爪ロープ、って言うらしいです。ずーっと昔、鳥乗りの技術が発展していない頃の人間が使っていたとかいなかったとか」
「ふぅん。お前はその道具で先祖返りをしてあの大精霊に挑むつもりだと」
「ふふん、いろいろ策は考えてますよ。これはほんの一部です」

 主人の悪罵にも動じず、リシャナは薄い胸を存分に張る。
 その策の詳細を聞くことはしない。リシャナが生きて手元に戻ってくるということがわかっていれば、その手段の内容にギラヒムの興味はなかった。それに、

「そうであったとしても主人を放っておいて良い理由にはならないけれどね」
「もう……どう考えても分身しないと体が足りないです」
「なら、すればいいだろう」
「無茶言わないで下さい……」

 こんな具合に傾き通しの主人の機嫌に、リシャナは再びうめき声を上げた。
 実際のところ、時間が経ち、ギラヒムの怒りの炎はとっくに鎮まってはいた。が、一日胸中を掻き乱された憂さ晴らしをしてやりたい感情は変わらず居座っている。
 それ故に、今晩はこのまま弄び続けてやろうとギラヒムが内心で決めた──その時だった。

「えい」
「────、」

 唐突に腕を引き寄せられ、抵抗する間もなく体が倒される。次いで後頭部から伝わる微妙な柔らかさ。
 ギラヒムが顔を上げると、それを覗き込む姿勢のリシャナと視線が交わる。彼女は両手を持ち上げたままの中途半端な姿勢で固まり、その頬は自分でやっておきながら赤く染まっていた。

「ひ、ひじゃま、ひざまくりゃ……です」
「誤魔化すな」

 極めつけに盛大に噛み、誤魔化そうとする部下を当然のごとくギラヒムが捕まえる。
 何を思ったのか前置きなく膝枕とやらをしだしたリシャナを、怪訝な視線がじっと射抜いた。

「この期に及んで不敬を働くなんて、一体何のつもりなのだろうね」
「何のつもりってわけじゃないですけど……」

 歯切れの悪い言葉を返し、リシャナは唇を噛む。が、少しだけ逡巡した後、主人の頭を柔らかく撫でて、

「こうしたいなって、思ったんです」
「…………」

 穏やかな眼差しが注がれ、ギラヒムはわずかに目を見開いた。そのまま何か言いたげな視線を数秒向けた後、短く吐息して目をつむる。
 ゆっくりと、彼の肩の力が抜けたことがリシャナの手にも伝わった。そして、

「……リシャナ」
「はい」
「明日から、無様なお前のためにこのワタシが空中での剣技について教えてあげる。せいぜい心から感謝をするんだね」

 一息に告げられた言葉に、今度はリシャナが目を押し開く。やがてその口元を綻ばせ、「ありがとうございます」と微笑んだ。

「……おやすみなさい、マスター」

 そうしてリシャナは主人が眠りにつくまで、ずっとずっと、頭を撫で続けていた。




「……幸せ、でした」

 主人が眠りについた時。ぽつりと、リシャナの声音が落ちる。

 彼の頭を撫でながら、巡らせていた“でぇと”の回想。
 大切な主人とのかけがえのない時間を過ごし、次への手がかりも見つかって、始まりから終わりまでこれ以上にないくらい幸せなひと時だった。

 ──でも、

「本当はあの場所で、何も見つかって欲しくない気持ちもあったなんて言ったら……怒りますよね」

 そんな本音も心のどこかにあって。それだけは最後まで彼に見つけられずに済んでよかったと思う。

 手の甲で主人の前髪を除ける。整った寝顔と、規則正しい寝息。以前までは度々悪夢に襲われていた彼の眠りが、今は穏やかなものであることを願う。

「大丈夫です。今は……貴方の役に立てることが、心の底から嬉しいと思えてます」

 膝に乗る感触が心地良い。触れ合った肌の体温が愛おしい。手放し難い時間が、存在が、何よりも大切で。

 だから、

「……さよならを、しに行ってきますね」

 眠る主人の額に、唇を落とした。