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長編4-8_信じてあげよう



「──こうして大精霊は堕ち、この地はあの方のものとなったのだよ」

 主人が朗々と告げた幕引きの言葉。それは回想録の主役──魔王様がつくり出した地を一望出来る丘への到着を以って宣言された。
 なんともタイミングの良い、と思ったけれど、大胆な演出を好む主人のことだからこの時を計っていたのかもしれない。

 私と主人、ギラヒム様が見下ろす先には、谷の裂け目に隠されるように廃墟群が存在していた。
 起伏の激しい土地に折り重なるように連なる石造りの家々。一見すれば、まるで巨大な迷路だ。
 大地で見かける建造物はほとんどが崩れ落ちた残骸だけれど、この地はかなり原型が残っている。魔王様が火山を噴火させた地だから、焼け野原になっているとすら思っていたのに。

 ただし私たちが目指しているのはあの廃墟群を抜けた先にある大穴だ。
 岩肌の目立つ急斜面を下り、廃墟の隙間を縫うように伸びる道を抜ければすぐたどり着けるだろう。……物理的には。

「あれが、マスターの言っていた……」
「ああ。タートナックどもが作り上げた闘技場、だよ」

 周囲を見渡していた私の視線は一つの建物のもとへとたどり着く。
 斜面に連なる廃墟群を越えた先。小さな街の風景に比較し、異様な光景がそこにはある。
 瓦礫を円形に積み上げ作り上げられた外観は建物と言うにはあまりに粗雑。しかしそれにしては規模が大きすぎる。

 ──あれが、タートナックたちが日夜剣を交わす闘技場だろう。
 目先の光景に言葉を失っていると、傍らに立つギラヒム様が唇を震わせた。

「さて、リシャナ。戦う準備は出来ているね?」
「……、……はい?」

 言われたことの意味がわからず私は主人を仰ぎ見る。
 敵の気配でも察したのだろうかと思ったけれど違うらしい。整った顔を彩る美しい笑みはどう見ても最初から戦闘があることを知っていたように見える。
 言葉の意味が飲み込めていない私を鼻で笑い、ギラヒム様は悠然と答え合わせをして、

「あそこには天地分離後に離反したタートナックどもが未だ棲みついている。目的地にたどり着くには、ほぼ間違いなく戦闘は避けられないだろう」
「で、でも、離反したからって、私たち同じ魔族ですよ……!?」
「あの一族にとって、忠義を尽くす対象はあの方のみでしかなかった。故に、今の彼らはたとえ同種族であろうと自分たちの縄張りを侵す敵を見逃しはしないだろう。実に愚かしいことだよ」

 しれっと告げられた初耳のお話。たしかに戦闘がないとは言われてないし、武器も持ってきてはいるけれど、本当に使う時が来てしまうなんて。

 ……実際、天地分離後に離反した一族は少なくないと聞いたことがある。
 魔王様を崇拝していたが故に離れた者、勝者である女神側に寝返った者、もともと離反の機会を窺っていた者など理由は様々だ。
 ギラヒム様は一からそんな魔物たちを勧誘もしくは支配しにいったわけだけれど、タートナック一族はその例から漏れていたらしい。
 せっかくだから、ついでに魔王軍に加えてやろうという魂胆なのだろう。

「タートナックってものすごく強いんですよね!? 魔王様だったから素手で勝てちゃいましたけど……!」
「このワタシを誰だと思っている。魔族を束ねる長が、一種族ごときに引けをとるわけがない。……それに、」

 わたわたと抗議する部下を軽く一蹴。ギラヒム様は一度そこで区切り、見透かすような視線が交わって、

「お前が、ワタシの背中に立つのだろう?」
「う」

 口角をあげて、目を細めて、美しい笑みがそう言い切った。
 そんなことを言われたなら、私は何の反論も出来なくなってしまう。それどころか、その誓いを交わして数日が経った今でも嬉しいと思ってしまう。

 反論の言葉は喉に詰まって細やかな吐息となって、私はついに肩を落とした。

「……ずるいです。卑怯です。マスターは悪い人です」
「ッフン、勝者への賞賛として受け取ってあげるよ」

 ちなみに、タートナックの寿命を考えるとギラヒム様のことを知る者はほぼいないだろうとのこと。彼の話の中で出てきた緋色のタートナックとやらは、大精霊との争いの中で命を落としている。
 つまり、話を聞く限りまともに交渉が出来そうな人物はいないと考えた方が良いだろう。

 ……戦闘に支障が出ない服を着てきてよかったと思う。反面、魔族長の部下はやはり大変だなとも思った。


 * * *


 谷の深部へと引き込まれるように急斜面を下り、私たちは静寂だけが居座る廃墟群を進む。
 大地に残る建物は神殿や魔族の棲み処を除き、多くが植物に食われ自然の一部と成り果てている。しかしこの廃墟群は人家としての形を保ち、生活の名残を感じさせた。
 人々がここを離れたのは過去の聖戦以前と聞いたが、これだけもとの形を保てているのはタートナックたちが手入れをしているからなのだろうか。
 斜面を駆使して階段状に立ち並ぶ家々を横目に、私は主人の背を追いかける。

「なんだか、建物は多いのに寂しい場所ですね」
「陰気なものだよ。華やかな美を秘めたワタシとは正反対だね」
「……デスネ」

 平常運転な主人はさておき。生命の気配のしない閑散とした場所だからなのか、それともところどころに当時の生活の面影が残っているからなのか。人々に忘れられた場所、という印象が私の頭を過ぎる。
 何にせよ、ここで生活をするには資源面でも生活面でも難しいように思えた。

「……大地に人間がいなくなった今でもタートナックたちがこの場所に居続けている理由って、闘技場だけが理由なんでしょうか」
「さあね。その他大勢の魔物の思考などこのワタシが知る由もない」

 斜め前を歩く主人の返答はそんな具合に淡白なものだ。数千年を生きてきた彼にとって、他の生命の生活の系譜など、想像するに及ばないものなのだろう。
 そうしてぼんやりと考察に耽っているうちに、私たちは瓦礫を積み上げたその砦──闘技場へとたどり着いた。

「近くで見ると、やっぱり大きいですね……」

 主人から聞いていた通り、高く、そして乱雑に瓦礫や鉱物が積み上げられ、刺々しい見た目の壁が立ちはだかっている。ここまでの規模にするまで何百年かかったのだろうか。寿命の長い魔族だから出来ることだ。

 中からは甲高い金属音が何度も響き渡っている。私も常日頃耳にしている音。鋼と鋼がかち合う争いの音だ。
 やはりタートナックたちはこの闘技場の中で日夜己の武力を磨いているのだろう。

 そして私の視線は闘技場を過ぎ、その先へ。私たちが今いる場所の真反対側から、渓谷の裂け目へ続く道が伸びている。私たちの目的地へ至るための道だ。
 つまり、闘技場を突っ切らなければあの道にはたどりつけない。主人が予想した通り、タートナックたちとの戦闘は避けられないということだ。

「どこから忍び込みましょうか……」
「…………」

 なんとか、最低限の衝突に済ます方法があればいいのだけれど……。主人の意見も伺うため水を向けた、その時。

「マスター、って……あれ?」

 すぐ隣の違和感に気づいて私は首をひねる。つい先ほどまで隣にあったはずのギラヒム様の姿が、ない。
 慌てて左右を見回すと、その答えは先ほどまで見つめていた闘技場へと続く道にあって──、

「ま、マスター!?」

 それはもう、堂々と。真正面、ど真ん中を通って歩みを進める彼の姿を私は目にした。

 長い脚が故の歩幅の広さで、既に彼は瓦礫を積み重ねて出来た門をくぐり闘技場の中へと入ろうとしていた。私はどうすることも出来ず、慌ててその背中を追う。
 すると背後からカンカンとけたたましい警告音が追いかけてきて、早速見張りのタートナックに見つかったことを確信した。

「な、なんで真正面からいっちゃったんですか!?」
「フッ……歓声を浴びるならば、演出は大胆かつ華やかにすべきだろう?」
「浴びるのは歓声じゃなくて怒号ですから!!」

 主従漫才をしている間にもわらわらと集まってくるタートナックたち。そんな彼らに構うことなくギラヒム様は闘技場の中央を目指して石造りの廊下を突き進んでいく。
 私は私で背後から剣を構えて追ってくるタートナックたちの勢いに泣きそうになりながら必死に主人の背を追いかけ、そして──、

「ここは……」

 闘技場の中央。その広大な円形の砂地では、様々な武具と武器を身にしたタートナックたちが同族同士で争っていた。しかし紛れ込んだ二人の侵入者の存在によって、その意識は途中で断絶される。

「ああ……豪華なお出迎え……」
「フン、上位の存在の迎え方をよくわかっているじゃないか」

 戦意だけでなく、神聖な打ち合いを邪魔された怒りと侵入者への敵意が入り混じり、タートナックたちの険しい視線が四方八方から私たちを串刺す。
 その手には片手剣、大太刀、斧、槍、鎌。まさに武器の見本市状態だ。魔王様のように百人組手とまではいかないけれど、眼光だけで尻尾を巻いて逃げ出したくなる圧力がのしかかってくる。

「えーと、穏やかにお話し合いで解決っていうのは……」
「無理だろうね。言葉を交わそうとしない様子を見るに、武力行使をする気でしかないらしい。筋肉バカは千年経っても変わらなかったようだ」
「あんまり煽らないでください……! なんでそんなにご機嫌なんですか……!?」

 この期に及んで、と言うよりこうなることをわかりきっていたのか、ギラヒム様の余裕は微塵も崩れることはない。
 何故だかとてもご機嫌に、嬉々として火に大量の油を注ごうとする主人。私の必死の訴えに、彼はフッと形の良い鼻を鳴らして、

「さあ、何故だろうね。だがこうして戦場に立つ昂揚感が、これまでとは違う熱を持っているのは確かだよ」
「……違う熱、って」

 その問いかけに対し、事細かな説明はない。私たちを鋭く睨む何十もの眼光を無視し、彼は傍らの部下だけを見つめる。
 こんな状況でも粋といえる演出を忘れない彼はぴらりと前髪を梳き、「つまり」と言葉を継いで、

「ワタシも、お前を信じてあげようじゃないか。……馬鹿部下」
「────」

 その宣言と笑みに、私の両目は押し開かれ、呼吸が止まる。
 これから戦いが始まるというのに。こんな数の武人を相手にして無傷でいられる保証はないのに。ほんの短い彼の言葉が、私の全身を揺るがして、

「……本当に、卑怯です」

 ゆっくりと抜いた両手の魔剣が軽い。それどころか足を踏みしめ地を蹴りつけたなら、どこまでも飛んでいけてしまいそうな、幸福感。
 たとえ“でぇと”らしい美しい光景を前にしていなくても、甘酸っぱい日常の中でなくても、私の心を突き動かすには充分すぎる威力があって、

「サービス過多ってやつです。今なら何だって出来ちゃいます」
「フ、呆れるくらいに単純なものだね」

 不敵──それこそ目の前の何もかもが敵ではないと言うように笑みを浮かべる主従が、互いの黒刃を煌めかせた。