773年の発明王と849年の調査兵団
 集中力、判断力、決断力――そのすべてが著しく低下している、三徹目の朝。

 喉が渇いて近くにある適当なグラスに口をつけたらとんでもない味だった。

「――げほ!? ぐえっ、何だよこれ……!」

 噎せているとゼノフォンが駆け込んできた。

「そんな! 二年間研究に研究を重ねた私の発明が!」
「すぐに吐くから待ってろ」

 一体何を研究しているんだこいつは。
 とりあえずとんでもないものを飲んだことは確実だった。吐き出すために喉の奥に指を突っ込もうとすれば、止めるように腕をつかまれる。

「仕方ありません。アンヘル、君に私の研究成果を発表するとしましょう」
「別に発表しなくていい」
「そう仰らずに」

 本気で遠慮しても聞く耳を持たないゼノフォンは咳払いをしてからもったいぶったように話し始めた。

「実は、二年前から隠れて行っている個人的な研究がありまして」
「個人的な研究?」
「ええ、『時間遡行』に関するものですね」
「…………」

 何で二年前からそんなことを調べているのかは検討がついた。

「実は以前より私を贔屓にして下さる貴族様から素晴らしい書物を頂いたのです」
「火薬貯め込んでる物騒な家か」
「通常なら持ち出すことはもちろん読むことさえ禁じられている書物、つまり禁書の一冊に書かれていたのですよ――時間遡行について」

 どう考えても都市伝説や御伽噺の類だ。まともに取り合う気にならない。
 俺が次の工程表を書類の山から引っ張り出して眺めていても気にすることなくゼノフォンは言葉を続ける。

「この世界には目には見えない『道』があるそうです」
「……『道』?」
「ええ、どれだけ距離が離れていようと関係ない、空間を超越した『道』――条件さえ整えば、それを通じて人智を超える様々な出来事を引き起こすことが可能だとか」

 あまりにも非現実的な話だった。巨人という連中が同じ世界にいる環境を現実とは呼びたくねえけど。

「つまり『道』を使えば人間は時を遡ることも出来るのです! リーベはきっとこの『道』を通ってこの時代へやって来たに違いありません。恐らく本人も気づかないうちに何か『きっかけ』を引き起こしたのでしょう。ならば過去の人間が未来へ向かうことも出来るはず! 現にあの子はこの時代から未来へ戻ったはずですし!」
「おい、そんなに顔を近づけるな」

 血走った眼で鬼気迫る勢いに、つい呑まれてしまう。よく見ればこいつも隈がひどい。最近ろくに寝てねえな。どう考えてもまともな思考回路じゃねえ。

 助手に仮眠室へ連れて行かせようと考えた時、

「だから私は私の実力が発揮出来ないこの時代を離れることに決めたのです! そのために薬を作った! そう、『道』を通るための薬を!」
「はあ?」
「しかしその薬を君が飲んでしまったのなら話は別です!」
「はあ!?」

 とんでもねえもん飲まされた!

 今度こそ吐こうとすれば、またゼノフォンに止められる。こいつ、どこにこんな力があるんだ。

「この期に及べば自分が未来へ行こうが行くまいがもう構いません。ただ、私の研究が成功するか否か、それを見届けたいのです……!」
「ふざけるな、俺を実験台にする気か!?」
「心配せずともこの時代へ戻って来ることも出来ます。『道』を通ってね。ただ、その場合は帰還時に別の時代へいたという記憶をすべて忘れてしまう副作用があるそうです。つまり記憶の持ち帰りは不可ということですね」

 残念ながら薬の作成にあたってどうしても避けては通れぬ方法だったので、と言った。

「しかし記憶をなくす云々に関しては些末なことなのですよ。私が目指しているのは未来技術を持ち帰ることではなく、過去の人間が未来に生きる手段を得ることなのですから」
「何でそんなこと――」
「アンヘル、私たちがこの時代を生きることで果たして報われると思いますか?」
「…………」

 言葉に詰まったのは、相変わらずな毎日だったからだ。

「……お前はこの時代が嫌なんだな、ゼノフォン」
「この時代を肯定出来る人はかなり少ないと思いますけれどね」

 ずれた眼鏡を直しながらゼノフォンが言った。

 こいつの気持ちは理解出来る。俺だって、そうだったから。今だってそう思う気持ちがないわけじゃない。

 十五歳でこの工房へ入った時から何も変わらない。
 この前、十八歳になったのに。
『発明王』と呼ばれる評判が健在でも、変わらない。
 相変わらず、作れと言われたものだけを作る毎日。

 だけど――

「……それでも、生きるしかねえだろ」

 生まれる世界を選べない。
 生まれる時代を選べない。
 生まれる場所を選べない。

 それが人間だ。

「俺は、この時代で頑張るって決めたんだよ」

 約束したんだ。ソルムとマリア、それからあいつと。

 リーベ。俺の発明が、いつかお前の時代に役立つかな。今はまだわからねえけど、信じたい。そのために頑張るから。

 その時、鐘が鳴った。開門の鐘だと気づいてはっとする。そういえば今日は久しぶりの壁外調査の日だった。今になって思い出す。ソルムを見送りに行く約束、してたのに。いや、まだ間に合うか? 同じシガンシナだ。今からでも行ける。

「とにかく俺は協力しない。話はここまでだ、ソルムの見送りに行かねえと」
「薬の力で底上げした熱力学、量子力学、電磁気学――その他諸々の問題はすでに解決済み! あと必要なのは瞬間速度!」

 階段を駆け下りようとした矢先、背中が押された。足を踏み外して、息を呑む。

「この世界が感情や意志で状況を覆せるものではないことはわかっています。――それでも私は信じたい。私たちには『縁』があると。それが人と人を結び付けている。だから信じますよ、君が『彼女』と再び会えることを」

 何言ってるんだと理解する前に、身体が宙に浮いていた。階段を真っ逆さまに落ちる。

「な――!」

 視界が回って、思わず目を強く閉じた。身体の内側に妙な感覚が走る。

 あちこちに身体をぶつけて、落ちて、最終的に茂みへ顔を突っ込んだ。――あれ? いつの間に外に出たんだ?

「おーい、あんた、大丈夫?」
「落ちた先が茂みで良かったなあ」
「つーかどこから落ちてきたんだ?」

 声をかけられて顔を上げると何人かの兵士がいた。
 紋章はソルムも身に付けている自由の翼――どうやらここにいる全員が調査兵らしい。腰に妙な機具を着けている。何だこれ。見たことがない。

「それ、何だ」

 気になって指で差して訊ねれば、相手は怪訝そうな顔になる。

「何って……立体機動装置だけど?」
「は? 立体……?」

 聞いたことがない。調査兵団でそんなものを使っているならソルムから聞いているはずなのに、妙な話だった。

 妙な話と言えば、周りは木々に囲まれて、見慣れない場所にいた。

「こ、ここはどこだ?」
「どこって、調査兵団本部の訓練場だけど」
「何で俺、そんなところに……って、あれ? そういえばお前たち今日は壁外調査じゃないのか? もう開門の時間だろ。ここにいていいのか?」
「いや、今日は壁外調査じゃねえし……」

 一人が怪訝そうな顔をして、妙な空気が漂いだした。俺を除く全員が、敵に回ったような感覚。どう考えても俺は場違いだ。

「急に空から落ちてきたかと思えば妙なことばっか言いやがって――お前、まさか間諜か?」

 その言葉で不穏な空気になる。

「隙あらば調査兵団を解体しようと目論んでる輩が送り込んできたに違いねえ。憲兵団とか憲兵団とか憲兵団とか!」
「なるほど、忍び込んでこっちの情報を盗んで不利益にしてやろうって腹だな!」
「おれたち103期兵を侮るなよ!」
「違うって! 俺は間諜じゃない! 何も目論んでないし、そもそも兵士じゃねえ!」

 慌てて首を振って否定する。

「普通それならもっと紛れ込むもんだろ? 俺の格好見てみろ、どう見ても職人だろうが!」
「その格好で油断させようって魂胆じゃ?」
「違うって!」

 何を言っても納得されない。

「ソルムを呼んでくれ、ソルム・ヒューメだ! 俺はそいつの幼馴染だ!」」

 すると一同が怪訝そうに首を捻って、

「そんなヤツいたっけ?」
「うーん、知らねえなあ」

 何言ってるんだ。ソルムだぞ? 調査兵団の期待の新人として名を馳せているんだから調査兵が知らねえことはありえねえ。

 だが、ちょっと待てよ? 103期? ソルムやマリアと全然違う。どういうことだ?

 その時、どこからか鋭い笛の音が響いた。

「立体機動特別強化訓練参加中の103期新兵の皆さーん! まだコースの途中だけど集まってどうしたのー? 大丈夫ー? もし休憩するなら――」

 よく通るその声に反応して、

「あ、リーベさーん!」

 近くにいた兵士が声をあげた。

「妙なヤツがいます!」
「空から落ちて来た不審者です!」
「どこから見ても怪しいし言動もおかしくて!」
「ソルム・ヒューメって兵士、知ってますかー?」

 周りにいる連中が揃って『上』を見て話し始めた。だから俺も顔を上げた。

「ソルム・ヒューメ?」

 そいつは『上』からやって来た。空から。そう見えた。まるで飛んでいるような動きだった。人間に出来る動きじゃない。そう思っているうちに前方宙返りの要領で俺の目の前へ着地する。

 軽やかな動きと、なびく髪に目を奪われた。

「――うん、ソルムのことなら知ってるよ」

 顔を上げた女兵士が俺を見た。俺もそいつを見た。

「…………」

 知っている。でも、知らねえ。それでも、わかる。

「お前……」

 鼓動が高鳴る。喉が渇く。声が震えそうになった。

 怪我だらけの包帯だらけだった頃とは無縁の綺麗な肌だった。
 相変わらず小せえけれど、それでもあの頃より大きくなった。
 揺らがない力強い光が瞳にあるのは今も変わっていなかった。

「…………リーベ?」

 ゆっくりと名前を呼べば、そいつは目を見開いて驚いてから、笑った。笑ってくれた。その顔に、言いようがないくらい、ほっとする。

「久しぶり、アンヘル」

 名前を呼ばれて、懐かしさのまま動こうとした時、我に返った。

 じゃあ、つまり――

「……教えてくれ。ここはどこだ?」
「849年の調査兵団本部だよ」

 思わず空を仰ぐ。773年ではない、空を。

 ゼノフォン、あいつ、とんでもねえものを作りやがった。

 本当に、未来へ来ちまった。


(2017/05/03)
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