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やきもち焼いたんですか?
「第五十四回『調査兵団女子部有志の会』はこれにて閉幕! 解散!」
訓練を終えて通路を歩いていると、会議室から号令が聞こえた。そうかと思えば女兵士がわらわらと出て来る。
「エルヴィン、何だこれは」
「『調査兵団女子部有志の会』だ。兵士とはいえ女性だからな。男にはわからない問題や不安、疑問を集まって解決することが主な活動になっている。最近はニファが仕切ってくれているらしい」
「……ああ、あれか」
たまに女だけで集まって話し合っているのは知っていたが、そんな長ったらしい名称がついていたとは初耳だ。
『有志の会』と称しているためか調査兵団に所属している女が全員集まっているわけではないようだがかなりの参加率だと思っていると、ニファが出て来た。
「あ、団長に兵長、お疲れ様です」
「ニファ。ご苦労だった」
「いえいえ、堅苦しいことばかり話しているわけでもないので息抜きに丁度良いですよ。皆で雑談もしています。この前は初恋の思い出に花が咲きましたし、今日盛り上がった話は――むぐっ」
「ニファさん!」
慌てたようにその口を塞いだ女がいた。リーベだ。
「言っちゃだめでしょう! 女子部の掟、第七条! 徒に異性へ会合内容を話すべからず!」
「具体的なことは何も話してませんよ、それに団長と兵長ですし……」
「だめったらだめ!」
何を必死になっているんだ、この女は。
リーベの様子にふと考えが浮かんで、俺はそれを実行することにした。
「――リーベ。ミケへ渡した幹部会議の確認書類がまだ返って来てねえ。早急に確認しろ」
「え! そんな書類あったんですか? すぐ見て来ますっ」
慌てて通路を駆けていく小さな背中を見送ればエルヴィンが呟く。
「……そんな書類あったか?」
ねえよ。適当にでっち上げただけだ。
「で、今日は何の話をしたんだ?」
訊ねれば、ニファは満面の笑みで答えた。
「ファーストキスの話で盛り上がりました!」
自室で立体機動装置の点検を終えてから適当に時間を潰していると、狙い通りリーベが来た。足音でわかる。リーベがノックするよりも先に扉を開け、手をつかんで素早く部屋へ引き入れた。
扉へ背中を押し付けて腕の中へ閉じ込めれば警戒態勢へ入ったリーベだが、俺を見てそれを解く。
「兵長? あの、ミケ分隊長に訊いても書類なんて知らないって言ってましたよ? きょとんとした顔されたんですけど……それにどうされました? 突然こんな――」
「今日の会合は随分と盛り上がったらしいな」
開口一番にそう言えば、リーベは何度か瞬きしてから――何のことを話しているのか合点したらしい。途端に頬が紅潮した。
「ニファさんってば……! 言っちゃだめだって言ったのに! わ、私は話してませんよ! ファーストキスの思い出なんて! 誰かに話すわけないじゃないですか! そんなの、誰にも言えませんっ」
「…………」
相手は誰だ。
貴族野郎か?
訓練兵時代の同期の可能性もある。
考えても面白くねえことを考えながら、リーベの頬を指で上から下へゆっくりなぞった。触り心地の良さにいつまでも触れていたくなる。
「ええと、そ、それよりも書類の話なんですけれど、大事なものなら探しに行った方がいいですか? どうします? ……兵長?」
こいつの唇の感触は知ってる。
だが、俺以外にもそれを知ってるヤツがいるのか?
「あの、兵長――っ!」
そう考えた瞬間には唇を重ね合わせていた。
その柔らかさから、途端に離れがたくなる。
リーベが逃げるように後ろへ身じろぎするのを強く押さえ込んだ。
「ふ、っ……ん、んん……!」
舌を口内に滑り込ませるとリーベが時折苦しげに声を漏らすが、やめてやらない。やめたくない。
胸と胸を密着させれば、その感触に頭が一杯になる。
「く、るし、ぃ……ま、待って……!」
縋るようにシャツをつかまれて、仕方がないので一度解放してやる。とは言ってもまだ鼻先が触れ合うほど近い。互いの息が唇にかかる。
「お前、ちゃんと呼吸しろ」
「だ、だって……!」
「だってじゃない」
また顔を近づければ、慌ててリーベが目を閉じた。不意打ちのように瞼へ口付けると今度は驚いたように見開かれる。
その反応を見るとたまらない気持ちになる。胸が満たされて――同時に、曇る。
リーベのこんな顔を知っているのも、俺だけじゃねえのか。
「相手は、誰だ」
「……え?」
「お前の、初めての、相手」
自分で訊いておきながら、答えを聞くよりも先にまた口を塞ぐ。
舌を絡めていた速度をさっきより緩めてやればいくらか余裕が出来たのか、抱きしめていた身体が弛緩した。
その隙に腰のベルトへ入れられたリーベのシャツを引っ張り出し、そこから素肌をまさぐろうとして――我に返る。俺は何をしているんだ。何をしようとしているんだ。
リーベの様子を伺っても特に拒絶の色はないが慌てた様子で、
「あの、兵長……!」
息を乱しながらも俺を呼ぶ声に耳を貸すことにした。
「何だ」
俺が小さな耳を舐めれば肩を大きく跳ねさせるので、もっとリーベの身体を堪能したくなる。こんなことだけしながら一日を過ごしてみたいと馬鹿げた考えが浮かんで内心苦笑した。
だが、一日くらいそんな日があってもいいと思う。検討しよう。
その一方で、身体を震わせながらリーベが必死になって訴える。
「私が、その……初めてキス、したのは……こ、この前の、私の誕生日で……」
少し乱れていたリーベの髪を直していた俺は手を止めた。
リーベの誕生日?
その日は早朝に会って、ウォール・ローゼの壁上まで一緒に行ったことを思い出す。
それなら――
「だから、知らないです。兵長以外の人との、キス……」
「…………」
「だから、その、は、話せるわけがないでしょう?」
顔を赤くしたままのリーベが俺を仰ぐ。こいつは今の自分がどんな風に見られているかわかってねえだろうなと思いながら俺は口を開いた。
「別に、話したきゃ話せば――」
「話せませんよ!」
「…………そうか」
俺は都合が良くてもリーベには都合が悪いのかもしれない。
こいつにも周りとの関係や立場があるだろうからその点は気にしないが。
それでもリーベの様子を見るに俺を嫌ってはいないと思う。でなければこんな距離は許されないはずだ。
ならばさっさと返事をしろと急かしたくなると同時に、こいつの性格を考えるとそうしたところで良いことは一つもないから待つべきだと自分へ言い聞かせる。リーベが何を躊躇っているのか知らねえが、とにかく待つ。そう決めたはずだ。そして受け止める。どんな答えも。真実も。
とりあえず今、大事なことは。
俺以外にこいつの唇を知っている男はいなかったということだ。
そこでいくらか落ち着いたらしいリーベが戸惑うように声を上げた。
「あの、もしかしてですけれど……やきもち、焼いたんですか? 私が誰かとキスしたと思って……」
「…………」
真っ直ぐな眼差しに言い当てられて、ぐっと言葉に詰まる。
わかったことがある。
俺は自分で考えていたよりも心が広くないらしい。
こいつに関しては、尚更。
「……だとしたら何だ。悪いか」
開き直るように訊ねれば、リーベは目を伏せる。
「ええと……そんなの、やきもち焼くほどのことじゃないのに……ひゃっ!?」
「覚えておけ」
顎を持ち上げ目元へ軽く口づけて、俺は続けた。
「俺は、妬く。お前のことなら何だって」
そう宣言してからまた唇を塞いでやることにした。
リーベをずっと腕の中に閉じ込められたら、と考えることがある。
何もかもが自分のものになってしまえばいい、と思うことがある。
そう望んでしまうのはそれが叶わないと心のどこかでわかっているからだろう。
だからせめて、今だけは。
(2015/10/18)