働かざるもの居るべからず
 約束していた時間にソルムとマリアが来た。二人は恋人同士だが孤児院時代からの長い付き合いもあって熟年夫婦のように落ち着いている。
 そして俺の家族のようなものだ。

 だから隠すことなく説明した。ついさっき起きた信じがたい出来事を。

「一度、訓練兵団に問い合わせるか。その話を信じるにしても確認は必要だ」
「信じるのか?」

 俺が驚けばソルムは肩をすくめる。

「この世界には巨人みたいにわけのわからねえヤツがいるんだ、未来から過去に来るヤツがいてもいいだろう」
「何よ、その理屈は。――でも訓練兵団に確認を取るのは私も賛成かしら。兵服は本物みたいだし」

 マリアが呆れたように首を振ってから、ガキへ目を向ける。

「私は駐屯兵のマリア・カールステッド。あなたの名前は?」

 そういえばまだ名前聞いていなかったな、と俺は気づく。

 ガラクタとも呼ばれる試作品やら発明品に埋もれ、とにかく散らかった俺の開発室――私室も兼ねている部屋にそれぞれが腰を下ろす場所を見つける中、ガキは落ち着きなく立ち尽くしていた。

「私は……リーベです」
「名字も」
「え?」
「名字よ。フルネームを知りたいの。訓練兵団の名簿を調べてくるから」
「あ、ええと…………ファルケ」
「リーベ・ファルケね。ちょっと行ってくるわ」

 名前の綴りを確認したマリアが席を外して、沈黙するのもどうかと思ったので俺も名乗ることにする。

「俺はアンヘル。アンヘル・アールトネンだ。この工房で働いてる。こっちはソルム・ヒューメ。調査兵団の期待の新人」
「よろしくな。リーベって呼んでいいか?」
「は、はい、どうぞ」

 ソルムの言葉にガキが――リーベが頷いた。

「別にかしこまらなくても構わない。兵団じゃ規律もあるが、ここで気にするヤツはいないからな」
「……うん、わかった」

 ぎこちないながらも応じたリーベに、ソルムが身を乗り出す。どこかで試作品の山が崩れる音がした。

「なあリーベ。お前が未来から来たなら、そこはどんな世界なんだ?」
「どんな世界って……ええと……」

 戸惑っていることがありありとわかるので俺は口を挟む。

「こいつが兵士なら人類はまだ戦っているってことじゃないか?」
「巨人はいるのか?」
「うん……私は見たことないけど……」

 するとソルムはがっかりしたようにうなだれる。

「相変わらず壁の中か……外の自由を勝ち取るには遠いな……」

 ソルムはずっと『外の世界』を目指している。そのために調査兵団に入った。

 敵は巨人だ。しかし弱点も何もわからない相手に俺たちは今のところ為す術もない。

 だが――いつまでもその立場に甘んじてやるつもりはない。

 人類の叡智は巨人に立ち向かえるのか?

 わからない。でもやってやる。そのために俺はここにいるんだ。

「それにしても」

 ソルムが眉を寄せる。視線の先はリーベだ。

「あちこち怪我してるな、お前。未来の訓練は一体何をやってるんだ」
「単に向いてないんじゃないか?」

 勝手に言葉が口を突いて出た。自分で思ったよりも鋭い響きがあった。

 するとリーベが顔を上げる。

「この怪我は訓練と関係ないよ。兵団には入ったばかりでまだ何もしてない。だから勝手に決めつけないで」

 強くはっきりとした声だった。意外だと感じたのは俺だけではないようで、ソルムも軽く目を見張る。

 気を悪くしたなら謝るべきかと口を開いた時、マリアが戻って来た。さすが仕事が早い。

「どうだった?」
「ソルム、わかってて聞いているでしょう。――全ての訓練兵団のリストを見たけれど、リーベの名前はなかったわよ。戸籍も照合したけれど皆無」
「この短時間でよくそこまで調べたな」
「書庫で暇にしていた同期にも手伝ってもらったから」

 マリアが積み上げている試作品を避けつつ腰を下ろして続ける。

「それに考えたのだけれど、今優先して考えるべき問題は未来云々じゃないわ。これからこの子をどうするのかよ」
「……確かにそうだな。現時点で優先すべきはそっちだ」

 するとリーベは俺を見た。

「どういうこと?」
「元々いた時代じゃ訓練兵団がお前の居場所だっただろうが、この時代は違う。お前に籍はない。これから一体どこでどうやって過ごすんだってことだ」

 無関係だと決め込んで追い出すには良心が咎めるので俺は頭を働かせた。

 この時代の訓練兵団に行ってもらっても根本的な解決にはならない。そもそも身寄りも戸籍もないヤツが入れるのか怪しいところでもある。

 そうなると――

「……行き場のないお前がここにいるとなれば、何かしてもらうことになる。そうでないと工房長が黙っちゃいない」

 俺は言葉を容赦なく畳み掛ける。

「お前、何が出来る?」
「え?」
「何が出来るかって訊いてるんだ」

 するとリーベは唇を引き結び、目を伏せた。

「私、何も出来ない……」

 それじゃあ駄目だ。何にも出来ない人間を置いておくことなんか誰も許さない。
 さて、どうしたものか。そろそろ俺は職人が出揃う会議に出なければならないし。

 俺はざっと周りを見渡して、

「とりあえずこの部屋を可能な限り片付けろ。二時間後にまた来るからな」

 そう告げてからさっさと外へ出た。後から慌ててソルムとマリアが追いかけて来る。

「おいおい、あんなちびっこいガキにあんまりじゃないかアンヘル」
「ソルムの言う通りだわ、どういうつもりなの?」
「あそこには混沌という名の悪魔がいるぞ」
「あの子、たくさん包帯を巻いて怪我しているのに」
「片付けるには童話にでも出てくる妖精の魔法が必要だな」
「嵐で荒らされた部屋を掃除する方がマシよ。――ちょっとアンヘル、聞いているの?」

 咎めるような声の連鎖に俺は言い訳する。自分自身にも言い聞かせるように。

「『可能な限り』ってちゃんと言っただろ。それに……後で手伝うつもりだ」

 そう思って二時間後。

「…………」

 俺たちが部屋に戻れば、混沌という名の悪魔はすでに追い出されていた。清潔と秩序の精霊がいる。

「『何にも出来ない』って言ってなかったか?」
「え?」

 床を磨き、バケツの上で雑巾を絞っていたリーベはきょとんと瞬きしている。そして首を傾げた。

「だって、掃除くらい当たり前のことでしょう?」
「……なあ、リーベ」

 俺はきっちりと並べられた設計図やら工程表を確認しながら言った。

「その『当たり前のこと』が出来るのが、俺はすごいと思う」

 決めた。工房長を説得しよう。こいつがここにいられるように。


(2015/05/23)
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