一体何を歌っていたんだ?
「今日からこの家に仕える女性の使用人たちのことを『メイド』と呼ぼう!」
ある日、ゲデヒトニス家の当主様がそう言った。何だか由緒ある書物にそんな言葉が載っていたらしい。
次期当主である一人息子のアルト様はその発言に呆れていたけれど、私は気にならなかった。呼び名こそ変わったけれど、結局やっていることは変わらないからだ。
そう、私は使用人である。いや、命令に従うなら今はメイドか。
そんなメイドにも色々な種類がある。台所のキッチンメイド、部屋を整備するチェインバーメイド、洗濯物を担当するランドリーメイド、これら以外にもたくさん、色々ある。
そしてゲデヒトニス家に仕える私のような者は基本的にハウスメイドだ。ハウスメイドとはつまり、家中の仕事を一通り行うことである。
「リーベならオールワークスも可能でしょう。もうどこのお家へ出しても恥ずかしくありません」
「オールワークスですか?」
「ええ。一人で家中すべての仕事をこなせるメイド、ということです。このゲデヒトニス家のような規模なら必然的に人数も必要ですが、そうでないお家も多くあります。あまり人を欲しがらない方もね。そういった方はオールワークスを求めるものなのですよ。もちろん、一人ですべて行う大変な仕事ですが……あなたなら大丈夫でしょう」
いつだったか、メイド長にそんな有難いお言葉を頂いた。
食事を作るのが楽しくて、洗濯をしていると幸せで、掃除が好き――そんな私にとって、どうやらメイドとは生まれながらにして天職であるようだ。もちろんここで生まれたわけではないが。なぜなら私はみなしごだから。まあ、そんな話はどうでもいい。
毎朝、二階の隅にある小さな部屋で起床してから、身に付けるのは黒のワンピースドレスと白いエプロン。髪は乱れがないようにきっちりとシニヨンでまとめる。さらに白のキャップをセットすれば準備は完了だ。
「さて、今日も働きますか!」
ゲデヒトニス家のメイドとして、こんな毎日が続くのだと思っていた。ずっと、ずっと――。
世界には巨人なるものが跋扈しているけれど、ウォール・シーナで生きているとそんな現実は遠い世界のようだ。
もちろん、数年前にウォール・マリアが突破されてからはそう言っていられなくなったのだけれど、それでもまだ巨人なんて無縁の生活である。
そんなことを考えながら、私は屋敷の裏の日当たりのいい場所で洗濯物を干していた。
とても天気が良くて、やさしい風でシーツが揺れる。
そのことがとても嬉しかった。こんな瞬間がとても幸せだった。
『いにしえに出会えたあなたと
とこしえに生きていられたら
いとしさが私のすべてとなる』
少し強く、風が吹いた。
「おい、そこの女」
声が降ってきた。
低いその響きに、私は動きを止めて周囲を眺める。誰もいない。
「上だ」
声に誘われるまま顔を上げる。人がいた。男の人だ。木の枝に立っている。
その衣服から兵士だとわかった。名称は忘れたけれど特別な装置も身に付けている。でも、胸のマークはいつも見る憲兵団のものと違うような。
あの翼は、確か――。
「貴族の家を探している」
「この辺りは貴族様が住まう通りとなります。その方のお名前は何でしょう」
「ゲデヒトニス」
「でしたらこの家でございます」
「そうか」
すると男の人は高さに躊躇することなく、軽々と枝から地面へ飛び降りた。
私が驚いていると、その人は近づいてくる。
その時になって気付いた。
どうしよう、現在私が身に付けているのは来客用のエプロンじゃない。ハウスメイドはたくさんの仕事をこなすから、エプロンは仕様によってその時々で使い分けなきゃならないものなのに。でも、こんなところで人に会うとは思わなかったし。いや、考えるべきは言い訳ではなくて、失礼のないようにどうするかだ。
ぐるぐると考えていると、男の人が私の目の前に立った。
「…………」
「…………」
鋭い眼光に、つい緊張してしまう。
私が普段お世話しているアルト様のような上背はない。もちろん背の低い私なんかよりは大きいけれど。
威圧感、と呼ぶのだろうか。それが凄まじい。
「調査兵団の男が来ているはずだ。そいつの所へ案内しろ」
「か、かしこまりました」
今日来ると言っていたお客様は誰だっただろうかと思い出しながら、私は洗濯用のエプロンを外し、屋敷へ向かう。男の人がついてきた。
扉を開け、中へ案内する。
私の知る限り、家の正面入口ではなくこんな裏手の場所から入って来た人は初めてだ。
「おい」
「はい、何でしょう」
心を読まれたかと身を硬くすれば、
「さっき、何を歌っていた」
「歌?」
「洗濯干しながら歌ってただろうが」
「ええと……」
私は首を傾げることしか出来ない。
「無意識、だったので……深い意味は……ないような……」
一体何を歌っていたのだろう。
洗濯物を干していると何だか機嫌よくなってしまって、つい歌がこぼれてしまう。
昔はメイド長に「その癖を直しなさい」と叱られたが、アルト様が「リーベの歌を聴くのが好きからその教育はやめよう」と言って下さったのでそのままだ。
しかし、こんな風に初めて会った方に指摘されてしまったら、直した方が良いかもしれない。
「ご気分を害されましたら申し訳ございません」
視線を伏せて謝罪すれば、男の人が何か言いたげに口を開く。だが、その声を聞く前にアルト様が通路で誰かと話しているのが見つけた。その相手の方は兵士だ。
もちろん気付いたのは私だけではなかった。
「エルヴィン」
彼らに近づきながら男の人が低く名を呼べば、声をかけられた兵士の方がこちらへ顔を向けた。
「リヴァイ? どうしたんだ」
「どうしたじゃねえよ。クソメガネに頼まれてお前の忘れた物を届けに来てやったんだろうが」
そう言って彼は何かを鋭く投げた。
難なく受け取った大きな手を見れば、それはループタイのようだった。
「ああ、それはすまない。馬で来たのか」
「途中からはお前を探して立体機動だ。行き先は聞いても場所は聞かなかったからな」
「……憲兵団に見つからず済んで良かったよ。シーナでは使用許可が必要だ」
ループタイを身に付けて、彼は続けて言った。
「だが丁度良い。お前にも同席してもらおう」
「冗談じゃねえ。貴族の機嫌取りに俺を使うな」
はっきりものを言われる方だなあと思っていると、アルト様が私に言った。
「リーベ、この方は調査兵団の団長さんだよ。君が案内してくれた彼は……部下の方かな?」
「左様でございますか」
普通、貴族の方はメイドへこんな風に話しかけたりはしない。しかしアルト様は幼い頃から仕える私に文字を教えるなど大変良くして下さって、いつも親しげに接して下さる。
とても立派な方が来たんだなと思っていると、団長様が口を開いた。
「彼はリヴァイです。兵士長を務めております」
「兵士長……とすれば、こちらの方が人類最強と呼ばれるあの……?」
アルト様が目を丸くして、男の人――兵士長様を見下ろす。
「ええ。彼なくして人類の反撃は不可能でしょう」
「そうですか。では、詳しい話は部屋で伺いましょう。――リーベ、お茶を頼めるかい?」
「もちろんでございます」
私は静かに頭を下げ、その場を離れた。
角を曲がるまでの少しの間、兵士長様の視線を感じたけれど――メイドが珍しいのだろうか?
(2014/01/03)