大空の英雄と地上の小鳥 | ナノ


Hanji

「え、何? リーベが日中、家にいないって?」

 リヴァイが普段よりも三割増しの険しい顔で私の研究室に来るなり話し始めたのは彼の愛しいメイドさん――いや、現在はお嫁さんのことだった。
 この顔と態度からだと信じられないかもしれないが、リヴァイは彼女を溺愛している。それもかなり。人前でべたべたくっついたりしているのを見たことはないけれど、一緒にいる時の視線や名前を呼ぶ声なんか他の人間に対するものとは全然違う。わからない人もいるだろうが、リヴァイとそれなりに近しい人間――私やエルヴィンからしてみれば歴然の差だ。
 この無愛想な男が恋をして、誰かを愛して求めることに最初こそ驚いたけれど、人の気持ちは理屈じゃないし不思議なことでも何でもない。

 とにかくリヴァイが大事に大事にしているお嫁さん――名前はリーベ、見かけは育ちの良いお嬢さんって感じで目立つ美人とかではないけれど愛嬌があって可愛らしい。一緒にいてほっとするタイプ。
 特筆すべきはリヴァイが一発で合格を出すほどの掃除スキル。あれを目にした日の感動は今でも忘れられない。巨人を前にした時の興奮とはまた異なる種類のものだった。

 リヴァイが惚れた理由はもちろんそれだけじゃないだろうけれど――

「お茶、どうぞ」

 モブリットがカップを置いてくれたので、そこで改めて今聞いた話を考えてみることにした。

「リーベが家にいないのは日中に限るってこと?」
「そうだ。俺を見送る朝と出迎える夜は必ず家にいる」

 ん? もしかしてさり気なく惚気られた? 毎日可愛いお嫁さんのお見送りとお出迎えが嬉しいんだろうなと思いながら気になったことを訊ねる。

「じゃあそれ以外の時間帯は家にいないことが何でわかったのさ。リヴァイは兵団本部にいるのに」

 すると相手は出されたカップに手をつけることなく即答する。

「一週間前、忘れた書類を取りに家に帰ったらいなかった」
「……それだけ?」
「違和感があった。直感だ。それ以来毎日空き時間に家へ帰ってもいつもいねえ。どの時間帯もだ」

 暮らす家が兵団本部からさほど遠い場所にあるわけではないからそんな面倒な芸当が出来たらしい。

「……たまたま偶然うまいことリーベが買い物に行ってる時間とかち合っただけじゃない?」
「それに――」

 ここからが大事だというようにリヴァイが一段と声を低くした。

「夜になって俺が家に帰るとあいつ、かなり疲れてやがる。ここ最近ずっとだ」
「ふーん。他には何かある?」
「……ベッドに入るとすぐ寝る」

 熱いお茶を飲みながら、私は分析を試みた。

「つまりセックスレスが不満ってこと?」
「分隊長!」

 顔を赤くしたモブリットに一喝されたけど気にせず続けることにする。

「家のことに手抜かりは? 掃除がちゃんとしてないとか、ご飯がおいしくないとか」
「一切ない」
「落ち込んでいたり、悩んでいる様子はある? もしかすると思いがけず出会ったろくでもない連中と関わることになってしまっているかも」
「暗い様子はない。疲弊しているが、それを除けば普段通り変わらねえ。……もし仮にリーベが何かに巻き込まれていれば心外だがゲデヒトニスが手を打っているはずだ。あいつ、俺がいねえ時はリーベに気づかれない範囲で何人か護衛付けてやがる。いくら言っても止めねえ」
「じゃあ悪いことに巻き込まれてはいないってことだね。――それなら気にしなくていいんじゃないの」

 そばにあった書類へ手を伸ばす。エルヴィンに提出する新しい巨人実験の企画書をチェックすることにした。昼には渡す約束をしているから最終確認だ。抜かるわけにはいかない。
 しかし納得していないリヴァイの視線が刺さるので仕方なく口を開く。

「モブリットはどう思う? リーベが家を離れて一体どこで何をしているのか」
「え、俺ですか」

 それとなく水を向ければモブリットは顎へ手を当てた。真剣に考え込んでいる。

「俺が思うに、問題はどこで何をしているかではありません。一日のほとんど家を空けるなんて彼女の性格なら理由をきちんと兵長へ説明すると思います。しかし、それをしていないとなると……」
「つまり大元の原因は倦怠期にあるってこと?」

 夫婦だろうと恋人同士だろうと発生するそれは魔の三ヶ月だの三年目の何とかだのと呼ばれているらしいが、そんな基準などあってないようなものだ。早い人間だと初日から倦怠期に陥ることもあるだろうし。

「倦怠期……」

 リヴァイが暗い声で繰り返した。その様子に私は指を振る。

「倦怠期も人間関係が至る自然な過程の一つだよ。悪く考えることは間違ってる。大切なのはそれを受け入れて、それが嫌ならそこからどうしたいのか決めて行動を起こすことだ」

 正直なところ、話を聞けば浮気を疑ってしまいそうになるけれど、リーベの性格を考えるとその可能性は低い。身持ちが固そうだし。
 まあ、いざ実際そうなってしまうとわからないけれど無闇に疑うべきではないだろう。

「私が思うに、はっきり本人に訊くのが一番だ。何でそうしないの?」
「…………」

 黙り込んでカップを手にしたリヴァイに私とモブリットが顔を見合わせたそのタイミングで、

「おはようございます」

 ニファが部屋へ入って来た。普段通りに挨拶をする姿にどこか違和感があったので少し観察してそれが何か気づいた。

「ニファ、目が赤いけどどうしたの? 寝不足?」
「いえ、昨夜ちょっと泣いてしまって……」
「大丈夫? 何かあった?」
「本を読んでいただけです。ご存知ですか? 『鈍足の小人』シリーズを書いた著者の新作なんですけれど」
「へえ、どんな話?」
「とある夫婦が主人公の恋愛小説です。ある病にかかった奥さんが治療の甲斐なく残りわずかな寿命を悲嘆した末に失踪して、必死に探す旦那さんの描写がとにかく切なくて」

 がっしゃーん!と結構な音が響いた。見ればリヴァイが手にしていたカップが床で見事に粉々になっていた。中身もぶちまけられていたので慌ててテーブルやらに散らばる書類を避難させる。

「兵長!? あの、お怪我は……」
「ない。――悪いが片付けてもらっていいか。急用が出来た」
「り、了解です」

 モブリットの敬礼にリヴァイは立ち上がって扉へ向かう。

「ハンジ。今日は早退するとエルヴィンと俺の班に伝えてくれ。班の指揮はエルドに任せると」
「……ああ、わかった」

 どこに行くかは知らないけれど、好きに行動させた方が良さそうだ。

 そしてリヴァイが去った扉へニファが不思議そうに首を傾げた。

「あの、兵長どうされたんですか……?」
「さあ、どうしたんだろうね」

 とぼけることにして、書類へ目を落とす。脱字を発見して即座に修正した。いくら確認してもこういった見落としがあるのが不思議だ。気を抜けない。

 カップの破片を片付けるために道具を取りに行ったニファが部屋を出て、モブリットが息をつく。

「分隊長はもっと首を突っ込むかと思いました」
「夫婦の問題は夫婦で解決するのが一番いいことくらい私も知ってるって。協力が必要ならもちろん手を貸すけどさ。――それにリヴァイだって何とかしてもらおうと来たはずがないし」
「ではなぜ兵長はここへ来たのでしょうか」
「人類最強と呼ばれる男も大事なお嫁さんに関することになると二の足を踏んだだけだと思うよ。彼女がメイドさんだった頃は二の足どころか一足飛びに結婚してたのにね」

 そこでニファがバケツと箒と雑巾を手に戻って来た。モブリットが割れた破片を集めて、ニファがこぼれた紅茶を雑巾で掃除する。

 ふと、かつてここを片付けてくれたリーベの姿がよみがえった。

「――ねえ。リーベのことだけど、前に兵団で一日働いてもらった時に何か気づかなかった?」

 私の質問に、モブリットとニファは顔を見合わせてから答える。

「かなり体幹がいいと思いました。自分の身体を熟知していますね」
「同感です。動きに無駄がないといいますか、ブレがないというか」
「持てないと思っていた重い物も軽々運んでいましたし」
「私たちとはまた違った鍛え方をされているんだなって」

 その通りと私は頷く。見るべき部分を見ていたようで、さすがの部下たちだ。

「ナナバがさ、度胸もあるって言ってた。――絶対に兵士向きだよね。もったいないなあ」

 思わずぼやけばモブリットが苦笑する。

「仕方ないでしょう。使用人とはいえ貴族家で育った箱入りお嬢さんが兵士に志願するなんてことは普通ありませんよ」
「確かにそうだけどさあ。同じ兵士なら一緒に巨人とあーんなことやこーんなことが出来たのに」
「もう、分隊長ったら」

 ニファがはにかむように笑った。私は残り少ないカップの中身を飲み干す。

「…………」

 それにしても――リーベは最近、毎日どこで何をしているんだろう?

(2016/01/11)

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