異国より(上)


 


 随分と遠い所迄来てしまった。
 眩しい緑の中、目的の地まで二キロと書かれた標識が落とす影を過ぎた所で、とうとう私はそう呟いた。
 ハンドルを握る私の隣には、人形(ドール)だと偽っても通用しそうな見かけの幼女が座っている。
 背中に大きなリボンのついたペチコート付きの水色のワンピース、天然のウェーブのかかった金髪、青だ緑だ、などと一言で表現するのがはばかられる、複雑な色味の瞳。淡い光に溶けそうなこの幼女を天使と形容するならば、横に存在する黒いスーツを着た地味顔の私はさながら悪魔、さもなくば誘拐犯といった所だろうか。

 私の先程の呟きは耳に届かなったのか、幼い顔つきの彼女は相づちを打つでもなく、白くか細い手で所在無さげに髪を弄っているだけだ。
 白いエナメルの靴を履いた小さな足の先が、床に届かないせいでゆらゆらと揺れ続けている。


 ヴィネットを貼り付けてアウトバーンを走行中のレンタカーは、全くもってごく普通の、この国では一般的によく見かけるタイプの乗用車である。
 国境近くのこの辺りには目立つ建物も少なく、何処までも続く平坦な景色は広い草原を思わせた。目的地への下り口まで500メートルを切った所で、私は車線変更する為バックミラーに目をやる。予想通り、後続車など一台も見えやしない。
 遠い母国への帰郷を間近に控えた身で、まさかこんな辺鄙な場所へと赴く羽目になるとは、今朝迄は考えもしなかった。小さなドール嬢を遠方へと送り届ける事になると知っていたならば、軽い気持ちで最後の依頼など受けなかっただろう。自慢じゃないが子供のお守りは苦手なのだ。

 ウィンカーを出してハンドルを切る動作に、ふと自分と異なる私の容姿が気になり始めたのだろうか。大して興味は無いが、という口ぶりで、隣のドールがおもむろに私を見上げ、小さな唇を開いた。

「ねえ、おじさま。」
「何だ」
「東洋人というのは、皆貴方みたいなものなのかしら?」 
「まあ、そうだろう。ステレオタイプの東洋人と思われるのは心外だが、東洋人の目や髪は総じて黒いのだ。君から見て私の足が短く見えたとしても、私の国ではこれが標準だ」
「そういう事ではなくて……」

 ドールの言いかけた言葉に、ざざ、とラジオのノイズが被る。アウトバーンに沿って設けられている電波塔から離れた為に、電波の調子が不安定になってきているのだ。
 私は慌てて周波数を切り替え、ドールの様子を伺う。ラジオからゆったりとしたカントリーが流れ出した中、ドールは不思議そうに私の動作を眺めている。
 この分ならば大丈夫だろうと、私は深く安堵のため息をつく。
 

 カントリーは好きではない。老けて見られるとはいえまだかろうじて二十代、おじさま呼ばわりされるのも癪ではある。
 だが今はそれどころではないのだと、私は無言で耐えた。隣のドールを刺激してはならない、それだけを念頭に車を走らせる事三十分、漸く目的地である古びた洋館が見えてきた。



 ドールは洋館を認めた瞬間、あ、という一言を小さく洩らしたような気がした。
 敷地内に乗り入れ、ラジオをつけたまま車を降りる。既に車外に立ち、辺りを見回していたドールは徐々に唇を震わせ始め、そして泣き喚きだした。

「知っているわ……!ここは私の、家……!」
「ああ」
「でも何も無いの、誰もいないの!おじさまの言っていた事、本当なのね……!」
「……ああ」

 ドールが記憶を取り戻したのを確認し、私は用済みとなったラジオを切った。呑気なBGMが消えた中、悲痛な叫びが空家となったぼろぼろの洋館に跳ね返りこだましている。

 長い間ドールと呼ばれていたこの幼女は、文字通り人形に憑依していた存在なのだ。
 自分が何処の誰であったかも忘れ、夜な夜な徘徊を繰り返すうちにすっかり悪霊となり果てていた。
 依頼を受けた私はまず「君が世を去ってから150年が経っているのだ」と説明してみたが、案の定要領を得なかった為、何とか宥めた後にこうしてここまで連れて来たのだった。

 子供の霊は純粋であるが故に負の感情をも純粋で、尚且つそれを持て余しがちである為、非常に質が悪い。おまけに感情に流され、すぐに何もかも忘れてしまう。
 これだから子供の扱いは苦手なのだ。

「どうしてなの酷い私が私だけが酷い酷いどうしてこんなめに酷い酷い酷い酷い」
 
 ドールは嗚咽と共に感情を狂ったように吐き出し、今や宥める以前の悪霊の姿に戻りつつある。
 道中では下手に記憶を取り戻してしまわないよう、ラジオの電波を呪術に用いていた。それが消えた今、鮮明に蘇る未練に呑まれた彼女の皮膚は干からび、太陽を避ける為建物の影によろよろと歩み寄る姿はミイラの如く、独特の異臭までもが私の鼻をつき始めている。

「心を鎮め静かに成仏させてやるのが本望だが、私とて仕方なければ斬らねばならん……」

 漆黒の柄と鞘があるのみで、刃の無い日本刀を携え、私は慎重に泣き叫ぶドールとの距離を縮めた。本来ならば目がある位置にぽっかりと開いた二つの穴がこちらを見つめている。

「最後に言い残す事はあるか」
「私は、おじさまはおじさまはおじさまはどうしてアアアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ーーーッ!!!」
「……ッ!南無三!」 

 片膝を付いた姿勢で鞘より刀を引き抜く。術師と生かざる者のみ可視可能な刀を、ドールに向けて構え、振りおろすーー。

「おじさまはア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!どうしてどうして私の話を聞いてくれたのオォォ!とおよお、東洋人はアァ!皆あなたみたいに優しいものなの、私はずっとずっと、意地悪ばかりされて怖かったのオォォ!!」 
  
「……何、だと……?」

 刀を止めた私の眉間に自然と皺が寄る。
 未だかつてこの手の悪い予感には出会った事がない。
 子供嫌いの私が子供に好感を持たれているという、背筋のうすら寒い展開の、予兆である。



(下へ続く)



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