異国より(下)


 




 実に2年ぶりの帰郷になる。

 懐かしの母国語が飛び交う空港ロビーを、私は大型のスーツケースを引いて歩く。
 頼んでいた迎えは来ているだろうか。辺りを見回しながら進むと、派手な花柄のシャツの男がすぐに目に入った。

 先にこちらに気付いていたらしきそいつは、失礼にも私を指差し、腹を抱えて大笑いしているではないか。
 悪目立ちしているその態度に幾分憮然としたが、仕方が無い、あれが何を笑っているのかは聞かずとも分かっている。

 私は足先を花柄シャツへ向け、ゆるりと歩み寄って行った。
 近くにいた数人が、何がそれ程面白いのかといった顔で私に無粋な視線を流してくる。
 しかし残念ながら、印象の薄い地味顔にスーツの私などより、極彩色の趣味の悪い花柄シャツを着て、きついパーマのかかった長髪を振り乱し大笑いしている男の方が、見ていて遥かに面白味があるだろう。

「憑かれてるしッ!あんな出国した癖に憑かれて帰って来るって、アンタどんだけアタシを笑わせんのよ!」

 周囲には「疲れてる」という意味でしか捉えられない言葉だろうが、さっきからこの男が笑いながら指さしているのは、私ではなく私の左肩にいるドールだ。

「ねぇ、おじさま。この方はどなた?」
「家族の臣(おみ)だ」
「……殿方、なのでしょうか?」
「二年前と変わっていなければな。ドール、言語が混じると会話がややこしくなるから、質問は後にしてくれないか」

 ドールには臣の日本語の女みたいなニュアンスは理解出来ないが、臣のくねくねした仕草は、どうやら余す事無く伝わったようだった。

 迎えに来た男、この5つ上の臣と私は家族なのだが、厳密に言えば兄弟ではない。物心ついた時から同じ家で過ごしていたが、私と臣は苗字も顔の造りも、そして愛すべき対象までもが違う。
 しかし血の繋がりは無くとも、私は臣に懐いていた。思い返せば女っ気の無い家の中で、姉といるような安心感を感じていたのだと思う。
 おかげで私は、子供の頃に臣から移った「私」という一人称が今でも抜けない。

「わざわざこっちにまで連れてきちゃって。どうするつもりなのよそれ?」
「支障無い。弱い霊体だ」
「どうだか。可愛い子じゃない、ほだされちゃったって訳?」
「そんな事はない」
「名前は?」
「ドールと呼んでいる」
「そうじゃなくてアンタのよォ」
「……。おじさま、と」
「あっそ。じゃ、行くわよ。車はあっち」

 臣は私の荷物を持つ手伝いをするでもなく、無駄にケツを振る歩き方で駐車場まで私を先導して歩いた。
 現在同棲中の「彼」から借りているという車は赤のマセラティで、一体どんな奴と付き合っているのだと思ったが、敢えて聞かない事にした。霊より生きている人間の方がよっぽど恐ろしい、というのが私の信条だ。深入りはするまい。
 臣は逆に、車に乗り込むと私よりも流暢な異国語でドールからこれまでのいきさつをあれこれ聞き出し、ドールが「おじさまは優しい」と語ると大声で笑った。

 箸より重い物を持たない主義である臣は、ドールのような存在が見えるのは勿論、異形を払える能力も備えているにも関わらず、黒い日本刀を共に振るったりはしない。
 家業を大人しく継いだアンタの気がしれない、アタシは重いのは勘弁、身軽が一番なのだと言い、私がこの役目を父から引き継いでからは尚更自由気ままにふらふらしている。



「ほら懐かしのボロ家、違った、我が家へ漸くご到着よ」

 古く大きな日本家屋の庭に停めたマセラティはかなり浮いていた。とはいえ私の留守中も庭の手入れは抜かりなくされていたらしく、周りよりも肌寒さを感じるような、独特のぴりりとした趣きは健在だ。
 恐らく臣が庭師を手配してくれていたのだろう。父亡き後、私が一人で住んでいた広い平屋。とっくに家を出ているとはいえ、臣はそれなりに気にかけてくれていたのだ。

「……おじさま。ここ、変だわ」 

 庭と家全体に張り巡らせた結界を感じ取ったのか、ドールは怯え、またも例の異形に変化しようとしていた。

「心配しなくていい。違和感があるとすればそれは致し方ないが、私に憑いていれば問題無く入れる。それは既にこの場に立っている事で立証済み……」

 言いかけた所で、ドールはぷつりと糸が切れたかのように気を失った。
 やはりドールは弱く、そして不安定な存在だ。いずれ結界には慣れるだろうが、どう付き合っていけば最良なのかを考えていくべきだろう。


 私が家へ上がろうとすると、臣は帰ってきて早々一人寝では寂しいだろう、泊まってあげると言い出し、再び車に乗り込んで買い出しへ出掛けた。
 臣が食料と宿泊に必要なものを抱えて戻ってくる迄に、私は荷物を片付け、世話になっていた数人に電話をかけ、帰ってきた旨を報告した。
 服もスーツから、箪笥に仕舞ってあった袴へと着替える。久しぶりの和服だが、やはり肌に馴染んで心地よい。
 この御時世に和服を普段着とするのは珍しいのだろうが、冬などはこの上に無頓着にコートを羽織って外出すると、和洋折衷な姿が明治の書生のようだと称賛される事もある。昨今は漸く時代が私に追いついてきたのではと錯覚しそうにもなるというものだ。

 その後私は遅い時刻に湯船に浸かり、風呂上がりから臣と二人で酒を飲み始め、いつの間にか寝ていた。長距離の移動に疲れていた為だろう。

 ドールは私が就寝するまで目を醒まさなかった。
 そして翌朝、自室の布団の上で私が起きた時にはすっかり消えていた。姿も気配も何処にも無かった。




「あらおはよう、アンタも飲む?」

 臣はもう起きており、障子をガラリと開け放った居間から続く縁側で、庭を眺めながら熱い緑茶を啜っていた。
 私は臣の隣に座り、ドールが消えている理由を問い質す。

「……斬ったのか」
「アタシが?やぁねぇ、斬る訳ないでしょ。何も知らないみたいだったから、こっちの事情を二、三教えてあげただけよ」
「人が寝ている間に勝手な事をするな」
「だって名前、お互い呼び合ってなかったじゃない。まだドールとおじさまの間柄だったんでしょ?」
「様子を見ていたんだ」
「何よぉ。責めないでよね、あんな弱くて若い霊体じゃ、いずれこうするしかないってアンタだって知ってた癖に」

 臣の言っている事は正しい。だが私は、何ともやるせない気持ちになった。

 確かに、私はドールの本当の名を呼ぶ事を避けていた。
 名を呼び合うという行為は、憑き物との縛りを強くする。それは相手が使い魔としての契約に見合う、古く強い存在である場合のみを除いて、絶対にしてはならない。術者は憑かれる事で寿命を削るからだ。

 ただでさえ私の家系の当主は、あの漆黒の日本刀を継ぐせいで代々短命である。この世の者ならざる存在を斬れるのは、当然この世のものではない刃なのだ。父や私の存在が、陰で刀憑きと俗称されているのも無理はない。
 事実、「家系」と言っても血統は何度も途絶えている。跡目不在となれば見える能力を持つ他人と養子縁組をする、この家はそうした事を繰り返し、何とか自分の代まで役目を繋いできたのだ。

 幼い頃より力が強いと気味悪がられ、うちに引き取られる子供も時折いる。それが臣である。
 或いは、短命に終わる運命と悟った当主が敢えて結婚しないまま子供を成し引き取り、母親を知らぬまま子が育つ場合もある。私のように。

 祓わねばならなくなった時の手間を考えれば、ドールの名を呼んでやる事さえも叶わぬと知っていてここ迄連れてきたのは、確かに私の甘えであった。
 二年前修行に旅立ったのは、その甘えを正す為であったというのに。自分では手に負えない魔に憑かれた私の為に、あの日臣が一度きり振るった黒い日本刀の動線を、忘れていた訳ではないのにも関わらず、私はーー。
 
「出掛ける」 
「はぁ?何よこんな朝から。朝食位食べてきなさいよ」
「いい。空腹の方が集中出来る」
「ちょっと!眞(しん)!」

 立ち上がった私を臣が呼び止めたが、簡単な支度をして漆黒の日本刀を腰に刺した。
 玄関で私の姿を目にした臣が目を丸くする。

「まさかもう仕事?昨日着いたばっかりなのに、いつの間に依頼なんか受けてんのよ」
「昨日電話で、永井の叔父づてに話を貰ったんだ。長く留守にしていたが、まだここに居場所があったようで良かった」

 出掛けに少しだけ微笑んで見せると、臣は尚も驚いていた。 
 歩みを進め、家という結界を出た所で、私はきりりと表情を引き締める。

「ーー仕事だ」

 誰に言うでもなく、集中力を高める為に言葉に出した。
 使う程に寿命を縮める刀を、私は他の誰にも握らせたくないと、今はただそう思う。
 この刀とこの運命は、私だけのものであると。


 ーー心を鎮め静かに成仏させてやるのが本望だが、仕方なければ私が斬らねばならぬ。





(了)


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