ラスボスにサヨナラ
「じゃあ、明日朝六時集合で」と言った時にはもう日が暮れ放課後のベルは鳴り終わっていて、だけどまだ削り残したペプシコーラがごろごろと残っていた。
「残りは自分でやるよ」
 帰宅してからが修羅場だった。ペプシコーラだけじゃない、父親が晩酌に飲んだビールの空き缶、食器棚にしまわれたアルミホイル、弁当の小分け用カップ。家中のアルミニウムをかき集め、晩御飯も食べず削り倒す。アルミ粉が部屋を舞い飛んで、僕は激しいくしゃみを数度繰り返し、花粉対策用マスクを装着して作業を続けた。夜が明け、ふと時計を見れば朝の五時半。窓の外は少しばかりしらみ始めている。慌ただしくブルーシートの上のアルミ粉を紙袋に包んで、空き瓶を家捜ししたが、中身の入った料理酢や料理酒しかない。それでも探し続けてようやく、スノードームならぬオーシャンボトルを発見した。何かのお土産かもしれないと一抹の罪悪感を覚えながら、手の平に納まる小瓶のコルクを抜く。中の白砂と貝殻をごみ箱に捨て、水道水を詰める。
 徹夜明けの冴えまくった頭で冷え切った冬の住宅街を駆け、息を切らせて学校に帰還したら京子が「遅刻」と腕時計へ目線を落とした。濃紺のダッフルコートをまとい、細い足をにょっきりと寒風に晒している。彼女はいつも寒そうだ。
「カイロいる? 寒いだろ?」家から持って来たカイロを開封して無理矢理持たせた。
「クソ親父に頭下げる想像してたら、頭に血が巡って寒さも吹っ飛ぶ」
「女の子がクソとか言うのはどうかな」
「それ、削りきれたの?」
「どうかな」
 京子は僕の鞄を勝手にあさって小瓶を取り出す。一晩置き、既に目的と手段を理解しているのだろう、「これやらせて」と言うから「どうぞ」と託す。
 朝まだ誰もいない校庭、旧校舎の窓を順番にがたがた揺すって歩く僕の背後で、京子が紫の唇をぐいっと捩上げて笑った。悪ガキの笑顔だ。
「窓どこも開いてないな。仕方ない。鞄、返して」
 鞄を受け取り、京子が開けたジッパーを閉じる。しっかりとベルト風マグネットも綴じ合わせ、中身が散乱しないようにしたら、「湯潟下がってて」ぐっ、と腰位置で背後に振りかぶり、水平より少し上向きを意識して鞄を遠心力に乗せた。振り回した鞄が窓を突き破り、校舎の内側にガラスを飛散させる。どうせこれから壊れる建物なのだから気に病むことはない。腕が十分通る程度の穴が空き、そこから窓の鍵を開けた。土足のまま、いつもフケ込んでいた資料室に進入する。京子の私物はきれいさっぱりなくなっていて、ホラーハウスみたいなこの資料室は昔々にお役御免したのだと胸を掴まれるように実感した。感熱紙に印刷されたプリントだとか、今となってはもはや時代遅れな手間のかかるファイリング方法、資料のスクラップ、参考図書を管理するための手書きのカード。窓から吹き込んだ風に押されてボールペンが転がる。拾い上げ手近な紙に書いてみたが、筆跡が残るだけでインクは出ない。ここは過去を閉じ込めた部屋なんだと、過去を思い出すための部屋なんだと、二月の気温に血液を冷やしながら思った。ずんずんと頭が冷えて澄み渡って行く。まるで、草原に放り出されたような、世界の澄み切り方だった。
 アルミの粉を資料室中央、頑丈さだけが取り柄の作業台に乗せる。アルミ粉は広げたブルーシートの上でふわりと山になった。ちらちら鈍い銀色の粉末が宙を舞う。
「なんか、さ。これって多分、僕がやりたいだけで必要ないし、何が変わるわけでもないけど」
 拳を作り、僕は飛び出す間接の骨を見る。自室の壁を殴ったときの感覚を思い出す。自分はこの傷付いた壁とずっと付き合って行くのだという天啓に近い悟りの感覚。
「湯潟のお父さんがここを壊そうってのは正しい気がする」
 懐古趣味にもならないこの旧校舎は、新しい校舎と並べて酷くバランスが悪い。痩せぎすな女の子が頭部だけ着ぐるみを装着しているのと同じくらい均整がとれていない。
「誰かに家を壊されました。だから路頭に迷います。次を探します」
 京子が眉をしかめ無言で僕を見る。
「何かそれって、違うんじゃないかな」
 廊下から掃除用バケツを三個拝借し、水をたっぷり入れて机の上に配置する。
「僕たちは自分の居場所を守る義務を放棄していいのか? 僕たちは自分の居場所を壊す権利を奪われていいのか? その家が、たとえば、現実逃避のシェルターだったとしたら」
 僕は使われない資料をかき集め、くしゃくしゃに丸め、その中央にぼろを据えてアルミ粉の上に準備した。僕の手を京子が握る。
「ここは、あなたにとって逃げ場だったの?」
「うん」
 返答にいまさら逡巡するまでもない。頷いた呼気は白くたなびいて、過去だけを抱いた部屋に吸い込まれて行く。京子もまた、白い塊を吐きながら「そう」と頷いた。
「じゃあ、この瓶はあなたが使うべきね」
 彼女の手が一度強く僕の手を握って離れて行く。彼女の体温で温められた小瓶が、最後の夢のかけらみたいに、僕の手の平に残された。
 三本くらいまとめてマッチをする。ぼろの中に投げ込んで、僕と京子は窓の外向けて走り出す。背後で火の手が上がった。新聞紙やコピー用紙を巻き込んで巨大に成長する。アルミ粉に飛び火し、あちこちで小さな火の手が上がり始めた。ビニール袋の周辺も火の粉が舞い飛ぶ。
「湯潟、速く! このままだと巻き込まれる!」
「わかってる」
 火の手の行方をじっと追いかける京子を押し出し、窓枠を乗り越え、校門に向けて走る。全力疾走しながら、手の中の小瓶を背後へ思い切り投げ付けた。
 小瓶は優雅というより、シャープな放物線を描いて黒い煙を上げる窓に吸い込まれる。スローモーションに見えなかった。たった二歩走る間の一瞬の出来事だった。だけど、僕にはくっきりと感じられた。
 厚く重なる煙を、逆流して飛び込む小瓶。古ぼけた木造の室内に入り、アルミ粉を撒いた机にぶつかる。薄いガラス瓶は、その衝撃で弾け。
 閃光。
轟音。
波動。
 ひとつの強力な光と、二つの重たい空気が、至近距離にいた僕と京子に激突し、細胞の隙間をすり抜け、脳髄から心臓、胃袋を揺さぶって、彼方へ駆け抜けた。空気に体を捕らえられ、僕たちは足を止める。
 水素爆弾だ。
 アルミ粉を加熱し、融解させる。融解したアルミニウムは酸素と化学反応し、酸化アルミニウムになる。その際、アルミニウムは数千度を越えて燃え盛るわけだが、そこに水を放り込むとどうなるか。周辺酸素が薄くなって窒息寸前のアルミニウムは、貪欲に水から酸素だけを貪り喰い、水素があぶれる。あぶれた水素は灼熱の資料室、いたる所にある炎に引火し、窓から吹き込む微量の酸素と結び付き、爆発するのだ。要約するっ乱暴過ぎて試験では赤点だが、アルミニウムのせいで水が高速で気化、巨大に膨張すると考えればいい。
「はい零点」
 膨張ののち収縮する空気が引き起こす背後からの風に髪をゆるゆると揺らしながら、京子が冷徹に採点した。
「水素爆発でしょ、今狙ったの」
「え、うん、まあ。何かしくった?」
「さっきの閃光は? 水素が膨張して閃光出る?」
「え……」
 言われて見れば確かにおかしい。爆発の一瞬前、確かに背後で校舎は煌めいた。
「酸化鉄よ。あの資料室古いから、調度品に使われてる釘とか、蝶番とか全部ボロボロに錆びてたのだけど。あの部屋には鉄製の本棚があったから」
「ああっ!」
 言われてようやく意識が向いた。全く酸化鉄なんて想定に入れていなかった。いま頃過ぎる冷や汗が背中や脇からダラダラと流れる。吹きすさぶ寒風にも負けず僕の体温は嫌な感じに上昇して熱い。
「Fe(2)O(3)+2Al→Al(2)O(3)+2Fe」
 京子は大きく息を吐く。彼女は僕以上に緊張していたのだろう。ようやく寒さを覚えたのか、カイロを耳たぶにあてがう。
「テルミット反応。アルミと酸化鉄合わせて十数グラムの火薬量でニメートル弱の火柱が立つ。爆発としての威力もテロに使われるくらいだから、全然油断出来ない。何より問題なのは」
 遠くの方で、騒ぎを聞き付けた住民たちが一日の準備を投げ出し注目を向け始めていた。微睡みを邪魔された犬が吠え叫び、家々の窓が不安そうに開き、遠くでサイレンが高く鳴り響く。
「火災」 僕は嫌々回答する。
「そう」
「水素爆発でアルミについた火はだいたい消し飛ぶと思ってた。火が残ってても風で消えるかなってさ。これじゃあアルミの残量もわからないし、火柱で引火したかもしれないだろ。消しにも行けない」
 頭を抱える。数十メートル離れた校舎の具合は、幸い目立った火の手はないものの、窓の内側から嫌な煙が入道みたいに溢れ続けていた。ほんの少しだけ爆破させるつもりだったのに、事態はそれこそ何倍にも膨張してなお肥大を止めない。
「だから消防車呼んどいたわよ。とりあえず逃げよう」
 消防車のサイレンが、その赤く巨大な車体を感じさせるほど近くまで迫っていた。僕と京子は爆風にあおられてくしゃくしゃの姿を互いに確認し合い、自分たちのやらかしたことを改めて思い、同時に吹き出した。その勢いのまま走り出す。途中、湯潟の携帯がガミガミと彼女を呼び出した。「京子! 部屋にいないと思ったら! お前だろう! 警備会社から連絡があったぞ。一体お前は学校で何をやっている!?」
「ああ、理事長ですか?」
僕は京子がうるさそうに遠ざける携帯電話に耳を宛てる。
「誰だ?」
「全部僕がしたことです。二年二組の桐原拓人と言います。停学なり退学なり土下座なり、なんなり処分を受ける覚悟は出来ています」
「京子じゃ、娘がやったんじゃないのか?」
「そうです」
沈黙があった。僕は全てを捨てた開放感の中反応を待つ。多分僕は責任を負えることが嬉しい。それはある社会に属す物だけに与えられる特権だからだ。
「首を洗って待っておけ」低く怒った声がそれだけ告げて切れた。
「奇跡みたい! 学校爆発させてやった! クソ親父ざまあ」京子が両手を掲げて喜ぶ。
「あーあ学校テロかよ。我ながら無茶苦茶だなーもう」
「今日は授業どころじゃないんじゃない?」
校舎の柵を乗り越え、住宅地と学校敷地の間にあるデッドゾーンに僕たちは寝転がる。切れた息を整えるため、霜の降りた土の上、太陽の上った薄青い空を展望する。
「ねぇ」
 ごろごろと汚れるのもかまわず京子が地面を転がって来て、僕の広げた腕の下に納まる。上着に顔を押し当てて、じっと呼吸が納まるのを待っているらしかった。手持ちぶさたで放置された僕は、彼女の泥が絡んだ髪を一本一本丁寧に梳いて時間を潰す。高まった体温が立ち上って来る彼女の頭皮は、柔らかかった。
「あのさ、湯潟」
「なに」
「リア充爆発しろとか、学校爆発しろとか言うだろ」
「うん」
「これだけは言っておきたいんだけど」
 京子の顎をまさぐって掴み、割れ物を扱う気分でこちらを向けさせる。
「僕が本当に爆発させたかったのは、」
 続きを言う声が途切れた。僕はまじまじと京子を見る。いつも冷たく澄ました表情の京子が、顔面を真っ赤にして、ああこれはもう見た、目尻に涙を蓄えて、涙がこぼれるのも見た、唇を奇妙に綻ばせて、少し違うけど、笑っているのなら何度か見た、そして。
「照れてんの?」
 にやにやと、彼女と初めて出会った時みたいに笑いながら僕は、彼女の額についた泥を拭う。どんな時も強く前を向いていた彼女の視線が、僕から逃れるように泳いで地面に落ちた。
「だって」
「だって?」
「初めてだったから」
「初めて? 何が?」
「一緒に戻ろうって言われたの」
「なんだ、そんなことが!」
 笑い出した。もう止まらなかった。京子の肩を彼女が「脱臼する」と叫ぶくらい叩いて抱きしめて笑って、くすぐって、彼女も無理矢理笑わせる。何度も言ってやろう。僕が欲しかった言葉だ。だし死見する必要がどこにある? 
「それから、あなたはもう大丈夫」
「何が?」
 照れ臭さの仕返しとばかりに京子は身を伸ばし、僕の耳たぶに噛み付かんばかりにして囁く。
「大丈夫。私は知ってる。あなたが爆破したかったもの。私が証人になってあげる」
 顔だけ彼女に向けてねじる。
 意地悪く京子は微笑んでいた。
「ありがとう」
 呆然と言うと、京子は少し物足りなさそうに目を見開いて、でも、ゆっくりと顎を引いた。僕の気持ちは丁重に計重され、過不足なく彼女の胸に担保される。
 僕が爆発させたかったもの。僕が捨ててしまいたかったもの。
 それは、簡単に『居るべき場所』から逃げ出してしまう僕自身。僕の弱さ。僕の逃げ場所。
「後三十分したら起こして。なんか今朝は疲れた」
「え? あ、湯潟?」
 京子はひとつ、縦に大きな欠伸をして、僕の腕の上で眠ってしまった。体重を預かった腕がゆっくりと痺れて行く。
「僕も寝よう」
 ポケットから出した携帯でアラームセット。京子の頭に頬を付けると温かい。徹夜明けで校舎爆破の大活躍をした後だからか、吸い込まれるように眠りに落ちた。
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