「私を誘拐して下さい」
ある日、私はそう、唐突にネットに書き込んだ。
理由なら、たくさんある。
一昨日、幼なじみのヨウくんに、大切にしていたCDを割られた事とか、友達のニナちゃんに笑顔で話しかけたら、気まずい空気が漂って返事をしてもらえなかった事とか、バイト先で立て続けに注文を取り間違えて店長に小言を食らっていたら後輩に「店がいつもの倍近く混んでたんだからしかたないですよぉ」とフォローされた事とか(彼女自身は全くミスせず涼しい顔で仕事をこなしていた)、バイトの帰りに電車の中で酔っ払ったおじさんに理不尽な説教を受けた事とか。
でも、不幸だらけの私の人生、これくらいの事は日々当たり前のように起きていた。
だから、こんな嫌な出来事の中のどれかが理由だったりとか、まとめてどうこうとか言うわけじゃない。
書き込んだ時はいつも通り晩御飯を食べ終えた直後で、私は部屋に流したクラシックを聴きながらいたってリラックスした心境で携帯画面と向き合っていた。文字を打つ時も、送信、のボタンを押す時も、一切ためらいはなく、書き込んだ直後には書き込んだ事すら忘れて、気に入りの写真サイトのページをめくっていた。
自分で忘れてしまった書き込みを思い出したのは、中間試験が終わった時。
午前中で嫌いな化学と歴史と数学をやり遂げて――もちろん、私に好きな科目なんて倫理以外にないのだけれど――午後から自由時間、さあ遊ぶぞ、と浮かれたのに、私の残念な運が発動して、教室の掃除当番に当たってしまった。覚えているのかいないのか、同じ班の男子は全員とっとと帰っていなくなったし、女子はと言えば私以外には無口で誰とも会話しようとせず休み時間もずっと本を読んでる新里さんだけ。二人で合わない呼吸を必死ですりあわせながら掃除を終えた頃、廊下には誰の人影も残ってはいなかった。
私はクラスの女子からも、三組にいるはずの中学来の親友からも、存在を見捨てられたのだ。
新里さんはトイレに手を洗いに行ったまま帰って来ない。どうせ、新里さんと一緒に帰るつもりもないけれど、なんだか最後の砦も崩れてしまったような気がして、私は無償に腹立たしかった。
教室の角の席に腰掛けて携帯電話をネットにつなぐ。
いつもの写真サイトを見て和もうか、それとも新規開拓しようか、さすがにあのサイトも隅から隅まで見尽くしてしまったし。
思いつつ、適当に検索ワードを入れてサイトを探す。
そこで私は、以前と同じ検索ワードを入れていたらしい。
過去も今も同じ残念な私である限り、検索画面で心を惹かれるフレーズも似たりよったりというか、同じなわけで。以前ふらっと立ち寄って意味不明な文句を書きなぐった掲示板のページを、再び開いていた。
あ、懐かしい、こんなのあったなあ、と皆のちょっとした日常が書き込まれている掲示板をさかのぼる。
そこにあるのは普段の会話では口にするのをはばかられる、友人や隣人や家族、境遇に対するささやかな愚痴だ。
この掲示板が創設された目的はわからないけど、存在意義はそこそこあるみたいで、私は自分の書き込みに行き当たるまで十数件のトピとレスを読んでいた。愚痴は私に私と似たような気持ちで毎日を生きている人がいる事を教えてくれる。
レスはきれいごとだったり、愚痴に対する愚痴だったり、時たま炎上したりしていた。
あまり真面目に読むと気が滅入ってしまうので、さらさらと流し読む。自分の書き込みに来た返信が気になった。
ドキドキしながらページをめくる。
携帯電話は、パラパラと上から文字を読み込み、私のスレタイトルを表示した。
Title:私を誘拐して下さい
Name:ミィ
Text:私を誘拐して下さい。どんな所でもいいです。お願いします。
Re:誘拐? とかそんなこと書き込んだら危険ですよf^^;
Re:Re:この掲示板は個人情報を書くの駄目なルールになってるから、マジに取らなくてもよくね?
Re:板違いじゃないですか? 出会い目的ならこういう所に書き込まないで下さい。雰囲気悪いです。
Re:××な娘大募集! 簡単にお小遣稼ぎするならココだよ!! http://docodemook.free2096538.biz/
Re:ちょwww変なの湧いたじゃねーかwwwwwwトピ削除依頼して来るわ
Re:主さん一回もレスしてないね
Re:何となく立てただけだろ。
Re:管理人放置気味だからねw早く削除されるといいね
ここでも私の残念スキルは大暴走していて、レスの全てが「そんな書き込みするな」の意見で一致していた。
やっぱり見るの止めよう。
何か特別な事を期待していた気持ちは消え失せ、私は憂鬱な気分になる。それでも惰性のまま画面を下へスクロールする。
Re:本気で誘拐されたいのですか?
それなら、今日の午後三時までにメール下さい。
ドキン、とした。
萎んでいた期待がむくむくとさっきまでと比較にならないくらい急速に肥大し、脳の辺りを走る血管がずきずきと疼く。緊張、期待、恐怖、喜々。感情がぐるぐる渦巻く。
私の書き込みに、正面から応じてくれる人がいた。
感情の中でまず、喜々がその他を制圧した。少し、理性が戻る。
今日の午後三時までにメール下さい。
私ははっとしてレスがあった日付を確かめた。生唾を飲む。それから、携帯の画面右上と照らし合わせる。
まさか。有り得ない。
私は、自分自身を疑った。自分の残念さを疑った。
今日は、今日、だ。
そしてこのレスがあったのは正午。何と言う運命の巡り会わせだろう。
私は、偶然にも刻限の二時間前にレスに気付いたのだった。
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