5. [しおりを挟む] 午前零時二分。 あの頃を思い返すと、どうしても負い目ばかり感じてしまうの。そう零した彼女の丸まった背中を、夫である彼は優しく撫でた。全てを包み込むように、理解したうえでの愛情だと伝えるように。柔らかい手つきと、慈愛に満ちた表情。そんな彼の愛に包まれながら、彼女はぽつぽつと忘れられない存在のことを語り始めたのだった。 彼女の口から語られることを、彼は待ち望んでいた。ずっと隠し続けてきたあの子のことを、彼女が語ることを。話してくれたとき、きっと二人は本当の信頼関係を築けるだろうと、彼はずっと考えていたから。 「私ね、成実がすきだった」 ぽろり、彼女の瞳から雫が溢れた。知っていたよ、わかっていたよ。言わなくたって、君のことをずっと見ていたから。だから、もう、引け目なんて、負い目なんて、感じなくていいんだよ。 そう言葉では伝えず、彼はただ彼女を抱きしめる。温かな腕の中で、彼女は泣きながら微笑んだ。彼女の持つ弱さが、優しさが、綯い交ぜになったような不思議な表情。 「それでも、今が幸せなの」 ありがとう。 彼女の言葉を聞いて、思わず彼は笑みを漏らす。彼女を幸せにしたかった。ずっと、ずっと。かけがえのない存在を失い、今にも崩れそうな彼女を支えるのは自分でありたかった。それが、今ようやく認められた。彼女の隣にいるのは自分で良かったのだと、そう言われたような気がした。 「吉住くんと結婚して、良かった」 懐かしい呼び方をした彼女の表情は、自分が恋をしたあの頃のまま。 二人の会話を聞くことはない愛するあの子も、今はきっと夢の中。ここまで歩めてきたことに、感謝しなければ。いつも抱いていた想いが一層強くなる。彼女の隣を歩けて、良かった。彼女の手を取れる位置にいるのが、自分で。 「これからも、よろしくね」 いつの間にか変わっていた日付。そう、今日は、二人が永遠を誓い合った日。 二人で酌み交わしていた葡萄酒が再びグラスの中で揺れる。硝子と硝子から生み出される軽やかな音が、天国にいるであろう彼女が言う「おめでとう」に聞こえたのは、独りよがりな願望のせいなのか。 ――日陰の想いを大切にしながら生きてゆく彼女の、大切な一歩。 |