「おはようございます」 いつもこの笑みを崩さず、人前で泣き言や弱音の一つも言わない彼女は、もしかしたらギリギリの精神状態なのかもしれない。綺は、いつものように挨拶をしてくる紺野に、小さな声で挨拶を返しながらそんなことを考えた。 そんな彼女の斜め後ろでは、やはり一ノ瀬奏がふわりと浮かんでいる。以前、表情は暗く、悲しそうな瞳で紺野を見つめていた。 「紺野さん」 深々とお辞儀をしている奏の意図を汲み取り、綺は静かに話し掛けた。 椅子に腰を下ろした紺野は、低い位置で一つに結われている黒髪を背中でさらりと揺らし、綺へと顔を向ける。 「今日、部活が終わった後、長瀬くんと一ノ瀬さん、それと、貴方のお兄さんが集まることは可能?」 「な……、一ノ瀬、って、私、兄がいるとは、」 驚きのあまり、いつもの落ち着きなどは一切消えている。途切れ途切れに、完全な文にならない言葉を並べる紺野。騒がしい教室の中で、二人だけが異質な空間にいるかのように、奇妙な沈黙が流れた。 「詳しくは、後で話すわ。可能な人だけでも良いの」 口を開きかけた紺野だったが、担任教師がやって来てしまった為にその口は音を発することなく閉ざされた。 警戒されたかもしれない。内心、自分の行動に後悔しつつも、静かに長瀬の傍へと移動する一ノ瀬を見つめながら覚悟を決める。 同じことを繰り返したくはない。だが、一人でも笑顔になる人が増えるのなら。 |