みじかいゆめ | ナノ



それぞれの出発準備



「こら!ハンネス!まーた酒浸りしてっ!」

「ゲッ!ナマエだ・・・。」


赤ら顔で後ろ手に隠したスキットルを取り上げる。

全く・・油断も隙もありゃしないんだから・・。

返して欲しいとチラチラ視線を寄越してくる子供みたいな隣のオヤジに溜息をついた。

それでも顔の筋肉は緩く、決して怒ってなどいない。目についたから性格的に見逃せなくて注意しているだけだ。
こうやってハンネスや駐屯兵のほとんどの兵士が出勤して日が暮れるまで呑んだくれている内が一番平和なのだと、私も分かっている。私たちの仕事がなくて働こうにも働けない内が一番いい。一層の事こういうぐだぐだな状況でも永遠に続いてくれればいいんだけど・・・その平和がいつ終わるかの保証もないし、ね・・。


「あ!ハンネスさん、またナマエさんに酒取り上げられてるぜ。」

聞こえて来た幼い少年の声に振り返る。

「三人組!学校は終わったの?」

久しぶりに会った毛の太い男らしい黒髪を、いつもの様にわしゃわしゃ撫でつけた。

挨拶代わりのいつものこの仕草の頭の高さに、ふと違和感を感じる。ほんの少し見ない内に背が伸びたみたい。

「やめろよ、もう!」

赤くなり、乱れた髪を撫で整えるエレンに、背だけじゃなくてそういう年頃を迎えたのだと、自分の子供扱いな行動を反省した。
これからは子供じゃなくて一人前の男として接して行かなくちゃいけない。


「今から、壁外に行くの・・?」

腰に着けられた装備を指差し、白い肌に映える可愛い気のある黒い瞳をこちらに向けてミカサが聞く。いつ見ても、綺麗な子だと思う。いつも二人の横にいて、全くこの二人も隅に置けないよねぇ。

「そうよ。今から調査兵団が壁外へ出るから、少し外をお掃除しなくちゃ。」

「え!ナマエさん今から壁外に出るの?!」

「そうだけど・・・エレン。壁外の話にそんなに食いついて目をキラキラさせるのはいいけど、隣でミカサが心配してるわよ?」

「ナマエさん!外の話してよ!ずっと前から言ってるじゃんか!」

相変わらず外に行きたがる死に急ぎなエレンに苦労してるらしいミカサの心配そうな瞳に自分が重なり、少し悲しい気持ちになってしまう。

きっとエレンとアルミンは調査兵団に入るはず。ミカサもまた、そんな二人を放って置けないで同じく調査兵団に入る事になるんだろう。
そんな風に着いて行ける勇気が私にあれば、どれだけ良かったか・・。
ただ安全な壁の中で壁の外の彼の身をひたすら案じても、何の気休めにもならずに壁外調査中は不眠の日々だ。
きっと今日からもしばらく眠れないだろう。


「なぁ!聞いてんの?!」

「え・・?あ、ごめんごめん!その話はまた今度ね。」

「何だよそれ!いっつもそう言うじゃねーか!」

「エレン、ナマエさん困ってるよ!今から仕事なんだし集中させてあげないと!」

ミカサとアルミンにしっかり腕を掴まれ引きずられて行くエレンに、いつも今度ばかりで少し悪いなと思いながらも、苦笑いで手を振って見送った。

エレンに壁外の話なんかしたら大変大変。
ミカサの気もしらないで、もっと死に急いじゃうんだから。
話を聞きたいのは、本当はアルミンも同じみたいだけど。

エレンと同じ目の輝きのアルミンがいた事は、ずっと前から気づいていた。

「ハンネス・・あの三人大丈夫かしら・・。」

周りに馴染めない壁外を夢見る二人と、そんな二人にどこまでも付いて行きそう(というか行くだろうね)な女の子。

度々悪餓鬼同士の喧嘩を止める事で交流のあった三人の将来が、何かと気になっていた。こんな世の中だし・・。


「大丈夫だろ。今のところ平和だしな。」

「ちょっと・・ちゃんと考えてるの?いい加減酔い冷ましてよ!」

「いてて!ナマエ!痛いって!」

赤い頬を抓ると、お酒の匂いが鼻をついた。
まったく・・これだから酒呑みは嫌いなのよ。


「ナマエ。何してる。」

「!リヴァイ兵長!」

今までへらへらしていたのが嘘みたいに敬礼するハンネスを横目に振り返ると、そこにはリヴァイがいた。

「げっ!もうそんな時間?!」

「そんな時間じゃねえよ馬鹿。俺が早く来ただけだ。」

その言葉に胸を撫で下ろす。

門の外の巨人を片付ける前に調査兵団が出て行ってしまったら、元も子もないのだ。

「お前、今から外門の巨人共の掃除か。」

「そう。これでも駐屯兵団の中では精鋭ですから。調査兵団の中ではぺーぺーだろうけど。」

「その通りだろうな。」

「リヴァイ・・そこは否定してよ、そんな事ないよ、とか、お前がいてくれたら助かるぜ、とかさ。」

「気持ち悪ぃ。そんな嘘つけるか。」

相変わらず手厳しい恋人とのやり取りに顔を引きつらせながら、これから壁外に行ってしまう恋人に胸がそわそわして妙な気持ちだ。


「どのくらいで帰ってくるの?」

「分からねえ。兵士の損失や収獲次第だが・・そう長くはないだろう。」

それは、短い間に沢山の兵士が死んでいく事を含んでいて・・一体どのくらいの巨人がいて、どんな環境でどんな状況なのか。
壁の中と周りでしか生きていない私には全く想像も出来ない。


もはや、リヴァイ達調査兵団とは住む世界が違うのだ。


「・・何だ。その辛気臭い面は。」

「ねぇリヴァイ兵長?私も調査兵団に入れてくれない?」

明るい冗談に隠れるのは、私の本当の願い。


「てめえみたいな平和ボケした奴はお断りだ。さっきの餓鬼共のお守りでもしてろ。」

やっぱり貴方はあっさり切り捨てるのよね・・・。

「リヴァイ、いつから見てたのよ・・。あの三人はね、多分調査兵団志望よ。」

「ほう。珍しい餓鬼もいたもんだ。さぞ学校で浮いてるだろうな。」

「・・・貴方って人は・・。」

「・・・入って欲しくないんだろう?お前は。」

鋭い切れ長の瞳が、前髪の間から私を覗く。

「・・・・・・入って・・欲しくない。」

こんな事、彼に言うべきじゃないと心の底から分かっている。

でもあの瞳に映されると全て見透かされて、いくら隠してもすぐに本心を射抜かれてしまう気がして、結局どんなに言いたくない事でも言わされてしまうんだ。


「俺も同じなんだよ。」


言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。

頭に乗せられて髪をかき乱す手は、私がエレンにしていた仕草と重なって、「ああ。私に入って欲しくない」って事、と今まで胸につかえて苦しかったわだかまりを、ストンと落としてくれた。

「そろそろ時間だろ。掃除して来い。一匹も残すなよ。」

「頼りにしてる、ナマエよ。」頭を撫でていた手はそのまま耳の上辺りを押さえて私を引き寄せ、耳元で素敵な言葉を囁いてそして口付けを落とす。

耳に直接響くリップ音がいやらしく、腰が抜けそうになる。

「おっと、大丈夫か。このくらいで腰抜かしてんじゃねえよ。
俺が帰って来たらこのくらいじゃ済まねえんだから。」

「な・・・な・・!」

何て事言うの?と、言いたかった台詞は口から出せずに熱い耳を押さえる。

「覚悟してろよ、ナマエ。
だからちゃんと寝て、ちゃんと食っとけ。
出迎えが弱ったお前じゃ、遠慮しちまって抱き潰せねえだろうが。」

・・・気付いてたんだ。

壁外調査中、私が眠れない事・・。

「分かってんのか?返事は?あぁ?」

「わひゃりまひた・・。」

頬の肉を引き伸ばされ、何とか間抜けな返事を返した。
「よし」と満足そうに少しだけ微笑んでそのまま手の平は両頬を包み、そっと優しい口付けが降ってくる。


「んっ・・。」

「・・・俺がいない間に死ぬんじゃねえぞ。」

リヴァイこそ、と言いかけて、言えなかった。
言ったら現実に引き寄せてしまいそうで・・・。

そんな弱気な私もリヴァイは上手に見つけて、「大丈夫だ」と笑う。

「よし。行って来い。」

「いてて!・・・行って来ます!」

割と強めの張り手にお尻を押され、そのまま役目を果たす為に駆け出した。

人類最強の恋人が、穏やかな顔をして後ろで見送っている。

これから壁外調査に向かう彼や他の兵士の為にも、たった少しだけでも役に立てるのならそれを全うして送り出してあげようと強く思って壁にアンカーを突き刺した。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「おい・・・アルミン、見たか今の・・・。」

「うん・・。確かあれはリヴァイ兵士長だよね・・。」

「ナマエさんとリヴァイ兵士長が・・・って事か・・?」

「うん。口付けもばっちり見たし、ナマエさんの様子を見てもそれは間違いない。いつもの凛としてるナマエさんとは思えない色っぽいカオしてたね・・・。」

何か見てはいけない物を見てしまったような背徳感に顔を赤らめるアルミンとは対照的に、エレンはむっつりとして不満そうだ。

「もしかしてエレン・・・ナマエさんの事・・・。」

「エレン、ナマエさんはあのチビのもの。辞めておいた方がいい。」

「うるっせーな、そんなの分かんねえだろ!」

分からないとは、自分自信の気持ちだろうか。それとも、辞めておいた方がいいという助言に対しての反抗だろうか。


「おい、餓鬼共。」

慌てて草むらから顔を上げると、そこには人類最強の男でありナマエさんの恋人の・・・。


「コソコソ隠れて盗み見とは、いい度胸だな。」

「・・・・・・。」

こうして間近で見てみると背はさほど変わらないが、威圧されるものがある。

「お前ら、調査兵団に入りてえのか。」

「!!はい!」

むくれていたエレンの表情が急に明るくなる。

本当にエレンの壁外に対する執着心には頭が下がる。

「・・・そうか。だったらもっと強くなれ。
好きな女に心配されてるようじゃ、まだまだ調査兵団に入る資格はねえ。周りを納得させてみろ。

まずは、くだらない喧嘩でナマエの手を焼くのを辞める事だな。」

多分リヴァイ兵長が言う好きな女っていうのはナマエさんの事なんだろうけど、マフラーに顔を埋めて頬を染めてるミカサに言うのは止めておこう。

「・・周りは馬鹿にするかもしれねえが・・・俺はお前達みたいな死に急ぎが来るのを楽しみにしている。少なからずな。」

遠征前に人混みから遠くに見る馬に跨った顔よりずっと柔らかい顔でリヴァイ兵長はそう言って、歩き出した。

その背中は大きくて、見惚れる程に自由の翼が似合っている。

「兵長!!俺・・必ず調査兵団に入ります!!待っててください!!」

向けられた横顔は、確かに笑っていた。

「ナマエを頼んだ。」声は聞こえなかったけれど確かに伝わった言葉は、僕たちを喜ばせて、少し重みがあった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「そろそろ開門するぞ!そっちはどうだ!」

「ナマエ班、片付きました!」

煙を上げる屍となった巨体を目下に、壁に張り付く。

今回も壁の高さを上手に使い、怪我人を出す事もなく無事に片付けを終える事が出来た。


「よし、開門ー!!」

開門の鐘が鳴り響き、門を引き上げる音が聞こえてきてそこから次々に馬が飛び出した。

最後の兵士が門から飛び出し、つむじ風が吹いている。

まさに違う世界へと駆けて行く小さな人間が集まった大きな旅団の後ろ姿は、何回見ても見惚れてしまう。本当に美しく、この自由こそ人の在るべき姿なんだろう。


「あ・・リヴァイ・・。」

これだけ頭が沢山並んでいても、すぐに見つけてしまう。

リヴァイも壁に張り付いている私を視界の隅に捉えているらしく、手綱を離して片手を少し上げてくれた。

その手に応えたくて、体を装置に預けて両手で精一杯大きく手を振る。

リヴァイが前を向いても振り続けて、旅団が遠くに点で見えても振り続けた。

「ふ・・・っ!」

いつの間にか泣いていたらしい頬の涙を袖で拭って、壁の中へ戻る準備をする。

今回はきちんといつもの私で出迎える事が出来るようにしっかりしようと少しは気持ちが前向きなのは、リヴァイが出発前に置いて行った悪態に隠れた優しい気遣いのおかげだろう。本当に、彼には敵わない。

「行ってらっしゃい、リヴァイ。」

もう何も見えない、ただ広くて綺麗な世界に向かって発した言葉は景色に溶けて、また何事もなく世界は澄んだ空気を湛えていた。

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