序章-狐の導き-

都からの客人が山で怪異に遭遇した。
そんな報告がちらほら聞こえるようになったのは、ここ一ヶ月のことだ。
神域にほど近い山道で青い炎が宙を舞い、それは不気味な光景だったという。
山の神の怒りに違いない。
いずれは人里へ影響が出るかもしれない。
真っ青な顔で訴える人々の顔をよく覚えている。
彼らのおびえた顔を見た時、私の決意は固まった。
皆の平穏な暮らしを守るためならば何でもできる。
命だって掛けられる。
そう腹を括り一人神域へと分け入った。
それがこの土地を守る私の、巫女の役目なのだから。
…しかし、一晩中歩き回ってようやく見つけた”山の神”は、そんな私の覚悟を嘲笑うかのような存在だった。

「お嬢さんも芋掘り?わりーけど、この辺りの芋はほとんど銀さんが制覇しちゃったよ?」

両手いっぱいに芋を抱えたその男は、人ではなかった。
黒地と白地の二色の生地で織られた片身替わりの着物を身に纏い、頭には狐面。
紅の瞳には覇気がなく、銀色の髪はぼさぼさに跳ね回っている。
しかし、何より異様なのは彼の身体よりも大きな尾だ。
九本の尾が、それぞれが意思を持っているかのようにゆらゆらと揺れていた。

狐の妖(あやかし)だった。



「…ここで何をしているんですか?」

とりあえず、無難な質問をしてみた。
先ほどの彼の第一声から、人語が通じることはわかっている。

「あー?見りゃわかるでしょーが、芋掘りだよ。芋掘り。」
「…。」

何言ってんのこいつ。
と言わんばかりの呆れた表情を返された。
確かに芋を抱えた彼の手も、身に纏う着物も泥だらけだ。
ついでに加えると、九本の尾にも泥がこびり付き、元の毛色が何色かよくわからない。

「…なんでこんなところで芋掘りなんてしているんですか?」
「腹が減ったから。」

実にあっさりとした回答だった。
こちらが拍子抜けするくらい簡潔な。
目前の男は鼻歌を歌いながら辺りをきょろきょろと見回した。
あの辺にすっかなー、などと呟き九本の尻尾で地面を掃き始める。
尾を箒のように扱いながら枯葉を一箇所に集めだした。

「な、なにしてるんですか?」
「何って焼くんだよ。オメーさんは生の芋を丸齧りすんの?芋は火ィ入れないと美味くないっしょ。」

抱えていた芋を枯葉の山へ突っ込み始める。
本当に焼き芋を始める気だ。

「あ、あの!」
「なんだよ。芋なら分けてやんねーぞ。食いたきゃテメーで掘ってこい。」

しっしっ、と犬猫を追い払うような仕草で手を振る男に、わなわなと全身が震えた。
なんなんだこの狐は。

「最近この辺りで青い炎を見たという話を聞いたのですが、あなたの仕業ですか?」
「青い炎?あー狐火のことね。それ俺だわ。」

ほれ、と枯葉の山を指差すと虚空から青い炎が出現し、枯葉が燃え上がる。
もくもくと上がる煙。

「こ、ここで毎日焼き芋やってたんですか!?」
「さすがに銀さんも毎日芋は食わねーわ。焼き栗と焼きりんごはやったけど。あと焼きマシュマロも。」
「はぁ!?ここ神域ですよ!常世(とこよ)と現世(うつしよ)の境って言われてるんですよ!?そんなところでキャンプファイヤーやってたんですか!?」
「だいじょぶだいじょぶ。俺お稲荷さんだから。そーゆーミステリアスゾーンは大体俺のキャンプ場だから。マイムマイム踊り放題だから。」
「どこの世界にボーイスカウトごっこする守り神がいるんですか!?」
「ここでーす。」

第一声から何度も自分のことを「銀さん」と称しているが、それが彼の名前なのだろうか。
よく見ると狐面の額には”銀”と書かれていた。
持ち物に自分の名前を書くとは、模範的ボーイスカウトといえる。
…いや、問題はそこじゃない。
思わず現実逃避してしまった自分の思考を慌てて手繰り寄せた。
山の神の怒りを鎮めるべく神域を訪れたというのに、ボーイスカウトの狐に遭遇する羽目になるなどと誰が思おうか。
悲壮な決意で山を歩き回った私の1日を返して欲しい、と切実に思った。

「信じられない…。」
「ならとっとと山を下りるんだな。俺ァ、これから焼き芋パーティーだから。」

芋のセッティングが終わったのか、男は私に背を向け焚火の前にどっかりと腰を下ろした。
九本の尾が一斉に揺れ動き、ずいぶんと楽しそうだ。

「ちょ、ちょっといいですか?」
「うっせーな。銀さん今忙しいの。」

こちらを振り向こうとしない男の背後へそろそろと近づく。
接近すると目前の男が人ならざるものであることがよくわかった。
肌をぴりぴりと刺すような妖気を感じる。

「私は●●と申します。この土地を守護する役目を仰せつかっている巫女です。」

恐る恐る名乗ると、左右に揺れていた尾がぴたりと止まった。
一応こちらの話は聞いているようだ。
私は、背筋を伸ばし襟を正した。

「最近この辺りで起きているという怪異を治めるため参りました。あなた様がこの山の主なのですか?」

男はゆっくりと振り返った。
振り向いた男の眉間には皺が寄せられている。
感情の読み取れない紅の瞳が私を射抜いた。

「人の振る舞いにより国津御神(くにつみかみ)のお怒りに触れたというのならば、お鎮めいただけないでしょうか。」

この男が国津御神―――土着の神―――であるならば、”山の神の祟り”とは彼の怒りに触れたということになる。
この土地の巫女として私は対峙した。

「…。」

私と視線を合わせた男は無言のままにゆらりと立ち上がった。
その途端、ざわざわと山の木々が騒ぎ出す。
息苦しいくらいの重圧を感じた。
私は息をのむ。
先ほどまで肌を這う程度だった妖気が、私を包み込むような莫大な力へ膨れ上がっていく。
山全体が警鐘を鳴らすかのようにざわつき始めた。

「あ、あの…」

芋を焼き始めた時とはまるで違う雰囲気に、困惑した。
私は息を詰めて彼の動きを見守る。

「…。」

男の眼には仄暗い狂気が浮かんでいるようにも見えた。
私は、一つ深呼吸して彼の眼を見返す。
やはり、最近の怪異はこの狐…山の神の怒りによるものか。
覚悟を決める。

「供物…御神饌(ごしんせん)を献上致します。お納めくださいませ。」

抱えていた三方(さんぼう)に被せた白布を取り、男へ差し出した。
三方の中央には土器(かわらけ)に盛られた油揚げが2枚。
青い炎が宙を舞っている…という報告からその正体は狐火、つまり稲荷神の類であろうと検討をつけていたからだ。
無論、こんな簡素な供物で鎮められる程度の怪異でない可能性の方が高い。
できるすべての手を使って化生を退けねばならない以上、こんな手段も馬鹿にはできないと新八くんが用意してくれたものだ。
目前の男は、すっと目を細めた。

「世のため人のために白す(もうす)事を…」
「阿呆か。」

男は、ばっさりと私の祝詞を切り捨てた。
私は唇を噛む。
人間の行いによって神の怒りに触れたのなら、人間である私の存在もまた彼にとって許しがたいものなのだろうか。
たとえこの地の巫女であろうと、神域にまで上り込んだことは逆効果だったのかもしれない。
ならば。

「では…!」
「だめだわ。ぜーんぜんだめ。なーんもわかっちゃいねぇ!」

突然、男は絶叫した。
先ほどまで周囲を満たしていた凶暴な気配が霧散する。
胃の底が重くなるような重苦しさが遠のいた。

「何その塩っ辛そうな匂い!塩漬け?塩辛なの?揚げをそんなんにしちゃうなんてふざけてんの!?全然食欲そそられねぇんだけど!」

男はふんふんと土器の上の油揚げを匂った後、大げさにのけぞってみせた。
頭を掻き毟り、びしりと私を指差す。
急に変貌した男の雰囲気についていけない私は、ぽかんと口を開けたまま彼を見返した。

「銀さんはあまーいお揚げが好きなの!とん兵衛に入ってそうなたっぷりの砂糖で煮た甘―いやつが好みなの!それをまぁ、こんなんにしちゃって!信じらんねぇ!」

男は喚きながら、ぶんぶんと頭を振った。
頭と一緒に九本の尾も盛大に振り回され、辺りに風を巻き起こした。
木の葉が舞い上がる。

「…甘い揚げ?」
「そんなもんがお供え物とか認めません!銀さんに献上するならちゃんと銀さんの好み把握しろ!ちゃーんとプリンといちご牛乳とパフェ持って来いよ!」

そんなピンポイントな好みわかるわけがない。

「いや、そんな細かい嗜好なんてわかりませんし。」

なにが『ちゃんと』なのか。
それに塩を多めにしたのは、長時間移動することになっても油揚げが傷まないように、という新八くんの配慮だ。
第一、狐が甘党なんて聞いたこともない。

「はァ?何のためのお供え物だと思ってんの。あんたらの自己満足じゃ意味ねーんだよ。もらう銀さんが喜ぶものじゃないと何の意味もないの。銀さんは砂糖が大さじ5杯以上含まれたものしか受け取らねーの。」
「そんな細かい規定なんて余計にわかるわけないじゃないですか!」

思わず大声で反論すると、これ見よがしにため息を吐かれた。
男は煙が上がる落ち葉の山へ戻ると、枯葉を足でざざっと払う。

「俺ァ、定期的に甘いモン摂取しないとイライラすんだよ。なのにそんな血圧上がりそうなもんで俺のご機嫌なんてとれるわけねーだろーが。」

男は、枯葉の下から顔を出した芋を拾い上げた。
熱っ熱っ、と騒ぎながら芋でお手玉を始める。

「とりあえず油揚げの件は許してやっからよォ。生クリームか蜂蜜持ってねーの?バニラアイスならなお良し。」
「神域へ登るのにそんなトッピング持参する巫女なんていません。」
「使えねー巫女殿だな、おい。」

呆れたようなじっとりとした目を向けられても困る。
私は困惑を隠すこともできず、男を見つめ返した。
彼はそんな私に再びため息を吐くと、のんきに焼き芋を頬張り始める。
…先ほど感じた威圧感は、甘くない油揚げの匂いを感じ取ったことによるものだったのか。
それだけのために山を揺らすような怒りを発したというのだろうか。
どれだけ油揚げの煮方にこだわりがあるのだ、この狐は。
男の行動がまるで読めないのは、彼が人の理とは外れたところにある存在だから…だけだとは言いがたいような気がしてきた。
予測不能な振る舞いに頭痛すらしてくる。

「あの…。」
「んだよ。焼き芋ならやらねーってば。」
「いりません。」

即座に否定すれば、じゃあ物欲しそうな目で見てんじゃねーよ、と返された。
被害妄想も大概にしろ、と返してやりたかったが一向に話が進んでいないことに気が付く。
一つ咳払いをした後、私は始終芋に執着する男へ向き直った。

「そうじゃなくて、この山を通れなくて困っている人がたくさんいるんです。あなたが狐火で人間を脅かしているならやめていただけませんか?」

怪異の正体は、この男の狐火であることに間違いない。
しかし、それは”山の神の怒り”などではないのだろう。
この現象が起き始めたのが一ヶ月ほど前であることを考えると、一ヶ月前に人間が山の神の怒りに触れたのではなく、この狐が山に住み着き始めたのが一ヶ月前であると考える方が自然だ。
この男は山の神などではない。
そう確信した私は穏便に事を済ませられる方法はないかと模索するが、そんな私を嘲笑うかのごとく、男は次から次へと芋を口へ放り込んでいる。

「いちゃもんもいい加減にしてくれますぅ?人間驚かせて喜ぶとかどこの昔話よ?妖怪ウォッチの見過ぎじゃね?」
「…現に、狐火に怯えてこの山を越えられない人がたくさんいるんです。」
「何それ?俺ァ、ここで焼き芋してただけなんですけどォ?この山が焼き芋禁止なんて誰が決めたんですかァ?人間の住んでない山で焚火して誰の迷惑になるんですかァ?」
「シーズンオフのキャンプ場に不法侵入する若者みたいな屁理屈こねないでください。」
「神域ってなら人間さんのモンじゃねーってことだろーが。だったらお狐様の銀さんのモンでいいじゃん。」

もそもそと芋を咀嚼しながら男はあれこれと反論してくる。
焼き芋を口いっぱいに頬張りながら屁理屈をこねる稲荷神など、ありがたみも何もあったものじゃない。
ため息を吐きたくなるのをぐっと堪えて、私は説得を続けた。

「じゃあ、せめて人間が通る道は開けてもらえませんか?それ以外の場所ならいくらでも焚火して構いませんから。」
「なんでおたくの許可がいるのよ?ロクな貢ぎモンも持ってきてねーのにそっちの言い分ばっか聞く理由なんてねーよ。」
「…わかりました。では後日改めて甘い油揚げを持参します。それで道を開けていただけますか?」
「やだ。」

代替案はあっけなく却下された。
芋をあらかた食べ終え満足したのか、男は腹を撫で幸せそうな顔で横になる。
意地汚く指についた芋をぺろぺろと舐めながら尻尾を揺らした。

「プリンといちご牛乳とパフェ持って来いって言っただろーが。」
「パフェなんてこんな山奥に持ってこれませんよ。アイスが溶けちゃいます。」
「クーラーボックス担いで来いよ。」
「だから、神域を登るのにそんなキャンプ装備持って上がれませんってば。」
「ほんっと融通きかねーのな。これだからお役人はよー。」

胡乱な目でこちらを見てくる男に、私は今度こそ大きなため息を吐いた。
神域であるこの山を登るには、いくつものしきたりを守らねばならない。
滝行で心身を清め、雑念を捨てる。
身に纏えるものも白の単衣のみで草履を履くことも許されない。
持ち物も三方に乗せられる供物のみだ。
定められたその厳しい作法を考えると、クーラーボックスを抱えてパフェの運搬など絶対に不可能である。
なぜよりにもよってそんなチャラ付いた供物を求めるのか。
私は頭を抱えた。

「いやーしかしお嬢さんも大変だねー。狐火が怖いんですぅ、なんてクレームのためにこんな山奥まで来るなんて。公務員の辛いとこだねー。」

挙句の果てに、私を困らせてる張本人がのんきな口ぶりで労いの言葉をかけてくる。
馬鹿にしているとしか思えない。
男は地面に片肘をつき、こぶしの上に頭を乗せるとにやにやとした薄ら笑いを浮かべながら私を見つめてきた。
…確実にこちらの反応を見て楽しんでいる。

「同情してくださるなら少しはご協力いただけませんか?」
「それとこれとは別っていうかー。銀さんグルメだから中途半端なエサにゃ釣られねーのよ。」

得意そうに言い切る男に途方に暮れた。
こうなれば、実力行使でこの妖を調伏するしかないのだろうか。
しかし、先ほど感じた強大な妖気を思い出せば、私の手に余ることは明白だった。
何よりこの呑気な狐を無理矢理力でねじ伏せることは、神道に背くような気さえする。

「せめてクッキーとか日持ちするものじゃだめですか?」
「そんな口ん中もそもそするようなモン大量にもらってもなー。」

大量に要求する気か。
大体、今まで「口ん中もそもそするような」焼き芋を大量に食していたくせに何を言っているのか。

「あー…もう。」

苛立ちを隠すことすら馬鹿らしいと思えてきた。
私は盛大なため息をもう一度吐くと、その場にしゃがみこんだ。
一晩中歩いた疲れが今更体中に押し寄せてきたようだ。

「…ほんっと、生真面目だねぇ。」

絶望を露わにする私をちらりと見やり、男は目を細めた。
一つ大きなあくびを零すと、身体を起こし伸びをする。
気怠げな動きで細々と煙を上げていた焚火の跡を踏み消した。
まだ食べていない芋があったらしく、ラッキー、なんて言いながらそれらを懐に突っ込み私に向かって顎でしゃくってみせた。

「しゃーねーな。行くか。」
「…え?」

やっぱこっちから行かないとだめだわなー、とのんびりとした口調でぼやいた後、男は私に背を向けた。

「え?どこに行くんですか?道を開けてくれる気になったんですか?」
「道を開けてほしかったらちゃんと貢ぎモン持って来いって言っただろーが。」
「だから…」
「お嬢さんのチョイスは不安だから銀さんが直々に指導してやるよ。つーわけで、あんたン家まで案内よろしく。」

よろしくと言いながら、男は一人でどんどん山を下る方へ歩いていく。
私は彼を慌てて追いかけた。
私の家に案内…?

「ど、どういうことですか?」
「あぁ?だから銀さんが直々にパフェ食いに行ってやるって言ってんの。ついでに甘―い油揚げの煮方も指導してやっから。」

それならあんたのお願い通り道は開けてやれるし、俺も好みのモンが食える。完璧じゃね?
と、満足そうに言う男の言葉に私は目を見開いた。
男は機嫌よさそうに尻尾を振りながら頷いているが、私はまるで状況についていけない。

「え…?えええええええ!?」
「あ、そうだ。」

叫びだした私を置き去りにして、男は懐に手を突っ込んだ。

「俺は銀時ね。銀さんでも銀ちゃんでも好きに呼べや。」

取り出した芋を私に向かって放り投げた。
がちゃんと音を立てて三方が地に落ちる。
まだ温かい芋を慌てて受け止めると、男の顔と芋を交互に見た。
一晩中歩き通しで何も食べていなかったことを思い出す。
が、今はそれどころではない。
間抜けにも口を開けたまま男へ視線を固定すると、愉快そうな笑い声が返された。

お近づきのしるしにおすそわけ。

そう言って”銀さん”は、九本の尻尾を揺らしてけらけらと笑ったのであった。




なんちゃって平安ファンタジーなので、この時代に出てこないものがバンバン出てきます。
平安時代にサツマイモはねえよ!というツッコミはしてはいけません。

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