鏃 07
蝉の声が降っていた。瞼を透かす光は、血のそれを上塗りして赤く、翳っている。身体の節々が痛い。
笹の葉の擦れる音が、うねりとなって、蝉時雨を呑みこむ。
「まったく、手のかかる」
影と声が、落ちてきた。
「気がついたか。偶々ではあるが、わたしがあいつの声の届くところにいて良かったな。そうでなければ、今頃、この山の上の方で藪の中だ。転がっていたところから引き摺って、ここまで辿りついたところだ。打ち身や擦り傷が増えたかもしれないが、許せ。重くて、抱き上げるのは難儀だった」
瞼を押し開ける。瞠目する。
彼女が、いた。夕陽のいろに染まった笹原で、日傘をさして、僕の頭上にしゃがみこんでいる。僕の顔を覗きこんでくるそのかたちは、記憶のなかにいる彼女と寸分も違わない。幼い頃に出会ってからずっと、彼女は少女のかたちを続けている。
笹原に背を預け、寝そべるような格好のまま呆けている僕に、彼女は問いを落とした。
「用事は済んだのか?」
済んではいないと返そうとして、思い留まる。
「済んだのかもしれない」
「はっきりしないな」
「大輪の花を、見ることはできた」
僕を見下ろしている、月輪の目が眇められていく。
風が吹いて、笹が鳴る。
夕陽の朱が黄金に、空の高いところから青が濃くなってくる。日傘の影と濃藍の夜が融けていく。
「ほどなく夜が来る」
放り投げられてきた声は、離れたところから聞こえてきた。肘をついて上体を起こす。筋や骨が軋み、細かな痛みが肉を走る。
「今日のところは、寝床に戻れ」
先刻よりも遠くから、声が聞こえてくる。
風が吹く。笹が鳴く。
よろめきながら、立ち上がる。
舞い降りてくる夜にいくら目を凝らしても、僕にかざされていたはずの日傘は見つけられなかった。
<鏃/了>
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