静かに口を開くと、レイルは視線をシグレへと向けて話し始めた。 レイルがまだ、軍に所属していた時期である。その頃は、隣の大陸との戦争が50年余り続いており、レイルも神殿に、国に所属する軍人として戦争に参加した事もあった。もう、10年も前の話だ。 その戦いは、今までの歴史の中で最も厳しいものであったと誰もが記憶している。精霊界も巻き込んで、人は領土を広げようと必死だった。召喚師達は強大な召喚獣、精霊を用いて焔を放つ。剣士達は己の心技を削って命を放つ。血みどろの戦いの果てに、希望を信じていたかは今となっても分からない。 ただ、己の中の正義を信じて、そして忠誠の為に。戦士も剣士も召喚師も魔術師も、皆が皆、戦っていた。 しかし、その戦争は突如として終わる。 ひとつ、息を吐き出すとレイルは視線を落としてゆっくりと瞬きを繰り返した。 人間の醜い争いに嘆いた神々の登場。 神の手によって、戦争は終わった。 どれだけ争っていても、人は神には逆らえない。それが、この世界の掟であり秩序なのだ。もしかしたら、それは嘆いたのではなく、気紛れだったのかもしれないが、そんな事は関係無かった。 長い間続いていた戦争は、あっけなく終了した。しかし…人々の心には救いは無く、漸く10年経って両大陸のわだかまりも薄れ今に至る。 「ちょっと待って、それと何が関係あるん」 いきなりの歴史話に、シグレは眉を寄せて口を挟んだ。 自分が聞きたい答えが、今の話と何が関係しているのだと言わんばかりにレイルを見ると、こちらに返ってきた紫暗の瞳を見つめ返す。 「俺は、その時の戦いに参加した」 「それは聞いたけど…それがなに」 「神と、俺は出会ったんだ」 その言葉に、シグレは言葉を飲んだ。 世界の常識、ルールを身に宿した今なら驚きの理由も理解できる。 「神と交信したってこと?けど、それは…」 「そう、本来は私のような人間や神子、竜王、精霊王などにしか与えられていない権限だ」 信じられないとばかりに言葉を発したシグレに答えるように告げたのは現教皇であるジエルレスタであった。 思わず緑の瞳を見ればシグレは頷いてレイルに顔を戻す。 「だが、レイルは神の声を聞いた。神と会った訳だ。にわかに信じられない話だけれどね」 ふぅ、と溜め息混じりに告げる男にシグレは眉を上げ驚いたように顔をジエルレスタへと向け、見つめた。 その視線の意味に気が付いたのかジエルレスタは柔和な笑みを浮かべてカップに口を付けた。 「私は信じているよ?と言うのも何だが、君の出現で信じざるを得なくなった。」 「あたし?」 「そう、君。」 一体、何故。そう言わんばかりの顔をして視線を落としたシグレに今度口を開いたのはレイルであった。 「異人を迎えろ。世界は崩壊する…それを止めるには、異人を捧げろ」 「…?」 「4つの魂が交わる時、異人の魂を重ね捧げろ…そう、言われたんだ」 「異人なんてモノは、ここ数百年の歴史にも上がらなかった話題だ。誰も信じなかったのも無理はない」 二人の言葉にシグレは何とも言えない複雑だと言わんばかりの顔をしてこちらを見つめる緑と紫暗色した瞳を見返す。どうにも話が己の理解を越えている。 これが本当にゲームや物語のものならば、「へぇ、そうなんや、なるほど」で済ましていただろうが、現実なのだからどうにも理解の範囲を飛び出ている。いや寧ろ、現実ではなくてやはり何かの物語なのだと思い込めば飲み込めるかとシグレは唇を引き締めた。 そうして、今までの人生で培ってきた感性をフル活動させ話を頭の中に組み立てていく。―――と、そこでハッとした。 「異人の魂を重ね、『捧げろ』?…つまりは、生贄、もしくは犠牲になれと?」 ピン、と空気が張りつめた。 言われてみれば、とジエルレスタが顎を指先で撫でた。 「神の言葉をそのまま受け取るのなら、そう意味になるねぇ」 「で、4つの魂って言うのは?」 「…あぁ!それで、竜王に会うと」 シグレの疑問に合点がいったと手を打ったのはジエルレスタで。何やら理解したらしい彼は、顎を撫でていた指を添えたままで眉を寄せている。 「すんません、説明して」 「あぁ、すまないね。竜王…つまり竜属(族)を統べる王はそれぞれの属(族)に一人ずつ。火竜、水竜、土竜、風竜の4族だ。」 ひとつ、ふたつと説明するように出した手の指を折りながらジエルレスタは説明をする。 これは、4つの元素を司る精霊が竜の形をとり、それぞれのバランスを保つ為に存在している。それぞれが4つの大陸のどこかに存在してはいるのだが、実際その姿を確認しているのは、いま我々がいる聖都アルメイシアの北方にある火山帯の火竜王だけなのだ。 そして、その竜の住む巣の場所が分かるのは、限られた人間しか居ない。 「じゃあ、4つの魂が交わるってのは…」 「そう、その竜王の魂…つまりは力を具現化したものを一つにする事を示す」 「ちょ、ちょ、ちょい待って。けど、そんな事したら元素バランス的なのがどうにかなるんとちゃうの?」 そうだ。これがもし自分の知っているゲームなどの物語ならば、と仮定して告げると不安色を満面に浮かべてシグレはレイルを見やった。 「そりゃ、勿論そうだろうねぇ…けど、やるしかないんだろう?レイル」 深刻な顔をして、ジエルレスタも彼を見つめる。 二人の眼に見つめられて、レイルは重々しく唇を開いた。 「世界の崩壊は、既に始まっている…救う為には必要だ」 ハッキリと告げた顔は、とうに決意したという顔で。しかし、シグレには何故そこまでしてレイルが世界の崩壊を止めたがるのか深くは理解出来なかった。そして、それを、その使命を与えられたのが何故に彼であって自分でもあったのか。 疑問はつきないが、今はその疑問を飲み込んで。シグレは長い、長い溜息を盛大に吐き出すことで気持ちを落ち着かせる。 とっくに選んだじゃないか。 例え、全てに諦めて決めた事だとしても、先に進むと。 これが夢でも現実でも構わないと。 (例え自分が死んでも、構わんと) 誰かに、何かに必要とされるのなら。その為に何かが変わるのなら、何があっても構わない。 決めて、ここに居るのだ。 「よっしゃ、行こか。」 随分とあっさりした声だった。 彼女の声に驚いたのは誰よりもレイルだったろう。二人の男が驚いたような顔をしていたが、レイルはその上で心配したような顔をした。 「…良いのか」 「えぇよ。言うたやんか、仕方ないって。こんなん、ここに来てしもた時から思とったわ」 「シグレ…すまない。…ありがとう」 本当に申し訳無いと言わんばかりにレイルはシグレに頭を下げた。 「私からも、礼を言わせてくれ。結果、何があっても君の選択には感謝するよ。世界を、頼む…シグレ。」 二人の男に頭を下げられてしまえば居心地が悪いとシグレは心底参った様子で顔を歪めた。 「けど、何で崩壊は始まってるって分かるん?それに、さっきの…プラチナ、さん?やっけ、あの人は全然信じてへんかったやん」 ふと、気になれば口から疑問が漏れていた。 確かにレイルとプラチナが話した内容からは、全く信じられている素振りが無かった。寧ろ、夢物語だと言わんばかりに嘲るような姿と冷たい眼差しばかりが、印象としてシグレの記憶に焼き付いている。 その疑問に答えたのはジエルレスタであった。 長く節ばった指をティーカップの持ち手に掛けて、すっかりと冷めた液体を揺らしながら答えてくれた。 「崩壊については、実は各国、各大陸に存在している神殿から元素消失や属性崩壊報告が入っていてね。大陸の一部が消失してしまったなどという話も報告されているから分かったことなんだよ」 「そんなん、えらい事やないですか。」 「そう…それと、さっきも言った通り、レイルが神と会話したなんて話はイレギュラー過ぎる。誰も信じちゃくれなかった。勿論、兄弟であるプラチナもね」 「けど、ジエルレスタさんは…」 「私はねぇ、シグレ。レイルを何があっても助けると、彼の父親と約束しているんだ。確かに君を見るまでは信じていなかったよ、正直。しかし、それでも…何があっても私だけはレイルの味方をすると決めたんだ」 そう言って笑顔を浮かべる表情は、息子を自慢する父親かのような柔和なもので。この二人の間に、自分では分からない強い信頼関係があるのだと嫌でも思い知らされる。と共に、妙な疎外感を感じてしまって、シグレは微かに表情を曇らせた。 一体、二人の過去に何があったか気にはなったが、それは今の自分では踏み込んではいけないのだと唇を引き締める。 例え体にこの世界の常識を刻まれ、世界に介入を認められたとしても…自分は部外者なのだ。 そう、思うには十分過ぎるこの何とも言えない感情を、シグレは再び気持ちを飲み込むことで平静を顔に写した。 日は、もう傾いている。 act.01 契約と誓約。 |