「よっ、お嬢さん方。」 「シェンリェさん。」 篝火と賑やかな声に囲まれる火の灯りを背に立っていたのはシェンリェだった。 背の高い彼の影が顔に掛かり、視界を暗く染めている。 「なぁ、あれ何やってるんですか?」 テントから体を出して背の高いシェンリェを見上げながら軽快なリズムを刻む打楽器と弦楽器、それに混じるバグパイプの物に似た音の響く場所へと指差し問いかけるシグレに、シェンリェは指差す向こうへ顔を向けて「あぁ」と楽しげな顔をしてシグレを見下ろした。 「あれは、旅芸人達が盛り上げてるんだよ。ここは夜は静まり返ってるからなぁ、宣伝がてら踊り子が踊ってくれてるんだ」 「へぇ…」 「お嬢さん方も良かったら見においで。…っと、お呼びだ、じゃあ後でな」 説明をするシェンリェを呼ぶ声が聞こえれば軽く手を振り彼は駆け足で芸人らを囲う輪に入っていく。 顔を見合わせたシグレとミズチはテントに戻ると荷物の確認を終えていたレイルの側に歩み寄っていき挟むようにしゃがんだ。 「どうした?」 「外で旅芸人が踊ってるんだって。見てきて良いでしょ?」 「好きにしろ」 「だって。行こ、シグレ」 素っ気ない了承を得ると嬉しげにミズチはテントからテント内に置いてあったサンダルを履いて出ていってしまった。シグレはまだレイルの背中を見つめている。 その視線に気が付いたレイルが振り返ると、三人寝る用にと揃いの黒いタンクトップに麻のフィッシャーマンパンツを履いた姿のシグレがむすりとレイルを見つめていた。 「どうした?」 座っているせいで少し見上げる形にシグレの顔を見ると何か用でもあったかと首を傾げる。 「レイルは行かんの?」 「…」 掛けられた言葉は、子供のようなそんな様子で。 「後で行く。」 「分かった、待ってる」 短く答えるとむすりとした顔はそのままではあったがどこか満足げに頷いてシグレはテントを出ていった。 出入り口の幕が閉まり外の賑やかな音が籠って聞こえる中、レイルは二人が出ていった名残に息を吐き出すと先程のシグレの顔を思い出す。 まるで拗ねた子供のような表情は、彼女の下がった口角のせいで真顔になればそう見えるせいなのだろうが、どうにも親がついて来なくて拗ねた子供のようであったと思えばレイルはふ、と息を漏らすだけの笑いをひとつ溢す。 出会った当初は無気力で何に対しても覇気の無い様子であったシグレは、どうやらミズチの気にやられたのかこの短い期間に少しずつ本来の性格なのだろう部分が見え始めているようで。そのどこか子供の成長を見ているような感覚にレイルは自分の中でも何やら少し気持ちの変化を感じては複雑なような、しかし重い部分が軽くなるような感覚を覚え荷物を纏め直すとゆっくり立ち上がる。 まるで手負いの小動物が徐々に懐いていくような、そんなシグレの様子はおおよその感情の起伏を見せない己の心を少しばかり揺らしているようだとも思った。 しかし、とレイルは閉じた幕を見つめる。 しかし、その感情は使命には必要ない。と、大きく息を吐き出して切り替えると、レイルはテントを出ていった。 果たすべき使命に、救世に、己の安穏は必要ない。 そうして、言い聞かせて割り切っていかなければ。これから先の未来の為に。 それでも、ただ少しの温もりに似た感情は酷く懐かしく愛しく思えた。 夜の湖に煌々と反射する篝火と大きく燃え上がる火の灯り。 それを囲う旅人や商人、シャンマオの男達の笑い声や歓声が森の夜を賑やかに照らしている。 先に出ていったミズチの姿を探して一層強く響く太鼓の音色の方へと歩んでいくシグレ。時折、シャンとした鈴のような軽い音が聴こえ、その度に一際大きく歓声が上がる。その体の芯から揺さぶられるようなリズムと声に惹かれるように人の壁へと歩んでいくと人と人の間から様子を伺おうと右往左往していると、不意に体が宙を浮いた。 「うわっ!」 「よぉ、お嬢さん来たな。」 「シェンリェさん、」 途端に開けた視界に思わず両手が踊れば驚きに顔を見下ろし、股にぐ、と固い物が挟まるとそれがシェンリェの首だと気付いた時には既にシグレは肩車されていた。 どうやら右往左往しているシグレを見兼ねたのか面白半分にかシェンリェが抱き上げ軽々と肩車したらしい。一気に開けた視界には大きな篝火を囲う人々の頭、頭、頭。その先には独特な形の楽器を奏でる楽団と、その軽快なリズムに合わせて歪曲した剣を手に舞う二人の踊り子の姿。そのどれもが揺れる炎の橙に照らされていて。 「…すごい」 思わず呟いていた。 今まで、生きていた場所では見ることの無い場景。きっとあのままあの世界で生きていれば、一生の内に見ることは無かったろう世界。 顔を空へと上向けると一面の星空。橙色の光の向こう側に暗い空に散りばめたような細かな星々にシグレは開いた口を閉じた。そして顔を踊る影と楽しげに演奏する楽団に向け、上機嫌に指笛を鳴らすシェンリェに視線を下ろした。 自然と笑顔になる。楽しい。そう思ってシグレは何だか胸が締め付けられる思いがして眉を寄せた。ここに来る前は何もかもが退屈で、生きてる意味さえ見出だせなくて、そこに居る必要性が見出だせなくて。そうして、世界に決別を決めた。生きていても仕方ない。自分の代わりは幾らでも居るのだ。 (でも、ここは…) この世界─ミストラル─では、自分は必要とされていて。最初はそれだけで言われるままになっても良いと思っていた。 だけど、目に映る景色はどこまでも広くて、風が柔らかい。訳も分からず頷いた自分の立場は、この広い世界を守る事なんだと改めて思い、シグレは妙に感慨深くなってしまった。 (らしくないなぁ) 思って、苦笑いする。 本来持ち合わせていた喜怒哀楽、そういった感情の起伏は全部"向こう"に置いてきたと思っていた。しかし、ミズチの明るさで徐々にそういった気持ちの上下がはっきりと出て来はじめている事はシグレ自身でも分かっていた。釣られて、とでも言うのかそういった変化は自分でも居心地が少し良いような悪いような。 と、そこで漸くミズチの存在を思い出した。 「シェンリェさん、ミズチ見んかった?」 「お?あの神子さんか?そういやさっき、旅芸人の長に話があるからって場所を聞かれたな」 「そうなん?なんやろ、話って…」 「さぁなぁ…と、剣舞が終わったみたいだぞ」 見てみれば剣を手にこちらに深く礼をする踊り子の姿。それに合わせて拍手と喝采が夜の森に響き渡る。 |