長編小説 | ナノ



 Le monde de arc en ciel d'étoiles


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水路、鉄道、轍道を経て約一日。道中協力関係にある教会を宿としながら、幸いアクマとの遭遇もなく小さな町に到着した。田舎ならではの自然豊かな農村地で、その背に臨む高い山脈を見据える景観はあの町の情景と重なって見えた。
町は陽光が遮りなく降り注ぐ日中だというのに、異様に沈んだ静寂を漂わせている。
現地に滞在する探索部隊と合流し状況は未だ変化がない旨の報告を受け、私達は町の教会に居る司祭を中継ぎとして一軒の民家に訪れた。

「……では、まだニアール君は目覚めないままなんですね」
「病院ではもう出来る事が無いと言われて、今は家に……」
エマティットの問いに、件の少年……ニアールの父親は沈んだ面持ちのまま答える。隣に座る母親も悲しげに顔を俯かせていた。

両親の話を聞く限り、ニアールがイノセンスに関わっていると推察できる情報は無かった。かと言って、アクマの仕業だと考えられる証言も無い。
とは言っても、まだ判断材料も多くは無い状況なので、両親の許可を得てこれからニアールの様子を見させてもらう事とした。そこで何か手掛かりが見つけられればいいが……。そう考えていると、廊下へ繋がる扉が僅かに開いてる事に気が付いた。

確かつい先程までは閉まっていた気がする。視線を徐々に下げていくと影から女の子が此方を覗き込んでおり、図らずとも視線が合った。
少女の面持ちはどこか不安そうだ。突然見知らぬ人間が何人も家にやって来たので怯えてしまっているのかも知れない。
害意は無いと心の中で思いながら笑い掛けてみるも、少女の面持ちは変わらず見つめ合ったまま数秒を経て、扉は静かに閉じられてしまった。

そうこうしている内に、二回の子供部屋に向かおうと周りが席を立ち始めていたので、自身も同じ動作で追随する。しかしどうしてもあの少女が気掛かりで引いた椅子を戻しながら母親に尋ねた。
「あの、この家に女の子は……?」
「妹のイーファがいます。……あの子は幸い例の病には罹っていないのですが、怖がって食事の時以外は殆ど部屋から出てこないんです」
憂いの眼差しを床に落として母親は答えた。

すると、側にいたラビが思い出したように口を開いた。
「あ。そういや、さっき廊下からこっちの部屋を女の子が覗いてたな。気になることでもあんのかね」
何気なく言ったであろうラビの言葉を端緒に、なぜかイーファがあの町にいた頃の自身と重なる錯覚を覚えた。もしかして、兄の病について彼女なりに思うことがあるのではないだろうかと。
私が役に立てる確証は無いが、良ければ彼女と話をさせてもらえないかと母親に尋ねた。すると晴れない面持ちで「もしかしたら不快にさせてしまうかも知れませんが、それでも良ければ」と彼女は了承してくれた。

「じゃあブックマンと俺はご両親と一緒にニアール君の様子を見てくるから。二人はイーファちゃんの所に行ってよ」
私達の会話が耳に入っていたようで、エマティットが私とラビを交互に指差して言う。
ラビは「何故」と言いたげな猜疑の籠った眼差しで提案者を見ていた。
「理由も分からないまま知らない奴らがぞろぞろお兄ちゃんのとこに連れ立ったら怖いでしょ。ラビ、子供の相手得意そうだし丁度いいんじゃない?」
エマティットはラビの肩を軽く二、三度叩いて笑い掛けている。いつから手にしていたのか、後ろ手に持っていた熊の縫いぐるみを差し出す。

「だから、はい。頼んだよ」
「これは?」
「イーファちゃんの。朝飯の時に置き忘れちゃったんだって」
「……。分かった」
ため息に近い小さな一呼吸を吐いてラビは縫ぐるみを受け取った。

又しても周囲に気を遣わせる結果になってしまい、私は二人に声を掛けられず二階の子供部屋に向かう皆の背を見ながら、一拍遅れて階段を登り出した。

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「ごめん。……多分、私がイーファの事を気にし過ぎてたから……」
イーファの部屋の扉の前で私の口をついて出たのは細々とした謝罪だった。
他の四人は既に部屋の中に入ってしまったので、私とラビの二人しかいない廊下が酷く静かに感じる。この取り残されたような空気感に彼を巻き込んでいる状況が心苦しい。

「いや。あいつが余計なお節介してんのはそっちじゃねぇと思う」
ラビは何処か恨めしそうな眼でニアールの部屋の方を一瞥した。しかし直ぐに面持ちを和らげて扉から一歩遠ざかる。
「ま、いいさ。そんじゃ掴みは頼んだ」

ラビの言うエマティットのお節介についてはよく分からないが、ここで立ち話を長々しても先には進まない。一先ず私は彼に向かって頷きを返した。もしもイーファが私を怖がって拒絶してしまえば、着いて来てくれたラビに更に申し訳が立たない。
責任は外大きいのだ。彼に気付かれないように長めの息を一度だけして、扉を小さく叩いた。余り張り上げない程度の声量で、尚且つ室内に届くように告げる。

「こんにちは、イーファ。私、アリスっていうの。良かったら一緒に遊ぼう?」
私の心配を余所に、中からの反応は思いの外早かった。軽く駆ける足音が聞こえてきて、扉が控えめに開く。
その隙間から覗いていたのは下がった眉尻と、あどけない瞳を不安そうに揺らす少女の眼差しだった。

「はじめまして。一緒に遊んでくれる?」
彼女の背丈に合わせて膝を突いて蹲み、笑みを向けると今度は扉を開け広げて此方に近づいて来てくれた。それから、ぎこちなくも可愛らしい笑顔も返してくれる。
「……、うん」

イーファに受け入れてもらえた。それを伝えようとして振り返ると、思いの外近くで彼も既に蹲み込んでいて、自分の顔の前に縫いぐるみを掲げていた。そして熊の両手を、意思があるかのように器用に指で動かしている。
「もう忘れて行かないでね」
熊を隔ててイーファに喋り掛ける彼の姿が無性に愛らしくて、思わず眼が釘付けになってしまった。
そんな私の感情を知り得ないラビは、衒いもなく名乗りながら縫いぐるみをイーファに差し出し、対する少女は無垢な笑みを称えてラビに寄って行きそれを受け取る。細い腕で大切そうに縫いぐるみを抱き締めた。

「ありがとう。ラビお兄ちゃん」
柔らかな微笑を湛えて優しく彼女の頭を撫でる彼は、随分と子供の扱いに慣れている様子だ。憧れと共に又しても強い感情が溢れそうになるのを押し留めて、少女の部屋に入ったのだった。

][

イーファの部屋は幼い体に合わせた大きさの可愛らしい色味の家具が並んでおり、沢山の縫いぐるみが寝台の上に座っていた。
女の子らしい部屋に羨ましさを感じながら軽く見回すと、ふと机の上に幾重にも置かれた画用紙に目が引き寄せられた。

「お絵かき、好きなんだね」
「うん!見て、猫ちゃんだよ」
ラビのお陰ですっかり私達に気を許してくれた彼女は、重なる用紙の中の一つを引っ張って見せてくれる。子供らしく自由であどけない手付きが窺える絵だが、よく観察して書いたのか猫の顔や体付きの特徴は正確に描かれていて、同じ年頃の子供よりも間違いなく上手と言える絵だった。
他にも様々な絵を見せてくれたが、そのどれもがしっかりと特徴を捉えていて、同じように何を描いたのか分かり易い。

不意に、机の下に落ちている酷く縒れた用紙に気づいた。拾い上げて広げると、そこに描かれたいたのは大きな虹を背に少年と少女が笑顔で手を振っている絵だった。
「イーファ。この絵は……」
そう問い掛けると、一瞬にしてイーファの笑顔は消え失せ、忽ち眼に涙を溜めて俯いてしまった。
「ご、ごめんね。嫌だったら言わなくていいよ」
すると大きな眼から雫を落としながらも「お兄ちゃんが……」と呟く。
屈んで頬を濡らす涙を拭いながらイーファが落ち着くまで待つと、しゃくりを上げながらも懸命に話し出してくれた。

「お兄ちゃんが起きたら、元気になってほしくて。でも、お兄ちゃん、起きなくなっちゃって」
まるでその様子は叱られているかのようで、自分自身を責めているようにも感じた。
「イーファの所為じゃないよ」
そう伝えても、拭ったばかりの彼女の眼から落ちる雫は何度も溢れて留まりそうもない。

「レプラコーンが怒って、お兄ちゃんを起きられなくしちゃったの」
「レプラコーン……?」
「うん……。虹の根っこに宝物を隠してるの……」
もしかすると御伽噺の類かも知れない。レプラコーンというのは想像上の人物の名前かも知れないが、馴染みの無い名前だ。

「この辺の地域の伝説だな。レプラコーンってのは妖精の名前で、黄金を虹の端に隠すらしいぜ」
「妖精……。詳しいんだね」
「人から聞いた話を覚えてただけさ」
エマティットとの会話では、ラビは妖精だとか伝説だとか空想には興味が無いと言っていた。任務か或いは記録者としての活動の合間に知ったのだろうが、聞き捨てても良さそうな情報でさえ忘れない彼の記憶力の高さに瞠目する。

「でも、どうしてレプラコーンが怒ってるって思うの?」
「イーファが、レプラコーンの宝物を取っちゃったから……」
そう言って目を赤くしてはらはらと涙を流すイーファの隣にラビが屈み込み、小さな頭を優しく撫でながら問い掛けた。
「その宝物はどこにやっちゃったんさ?」
「レプラコーンに返そうとして……、森で落としちゃった……」

金に光る石を見つけたイーファは、兄の為にそれを持ち帰って願いを込めながら兄の枕元に置いたらしい。しかし、その折柄石が光出しやがて静まったのだという。慌てて元の場所に戻そうと持ち出したが、気付けばどこかに落としてしまい、そのまま石は行方が分からなくなってしまったという事だ。

「なるほど。だからレプラコーンの仕業かも知れねぇって訳か」
「どう思う?」という問いを内在した眼でラビが私を見遣る。しかし「石が光った」と、それだけではイノセンスの可能性があるとは言い難い。何より、光る石の存在を証明できるのはイーファだけだ。彼女の話を信じていない訳ではないが、イノセンスと結び付けるには尚早ではないだろうか。
けれど、決定打がないとはいえ私の胸の引っ掛かりが抜け落ちずに残っているのだった。

私は答えを考えあぐね、手に持ったままのイーファの虹の絵を見て沈思する。
「……ん?」
不意に虹の絵に違和感を覚え、手に取って近付けたり離したりしながら眺めた。
「どうかしたか?」
「ラビ。この絵、なんだか不思議な気がする、かも」
ラビにも見えるように掲げて見せる。
「なんだろう。虹……がなんだか眼を引くような」
すると「うーん」と小さな思案の声を発したラビは、すぐに答えを探り当てたように呟いた。

「これ、色の並びが普通の虹と逆なんじゃねェの?」
「あっ!そうかも知れない!えっと、確か本来なら外側が赤で始まって……?」
「大体は橙、黄、緑、青、藍、紫の順って言われてるな」
虹の配色は太陽光が持つ色を、水粒の屈折率の違いが異なる色として眼に移している現象だ、その配色の認識は各国に於いてほぼ共通と言える。しかし、イーファの絵はその並びが真逆だった。間違えて適当な順序になっているのではなく、きっちりと外側が紫で始まり赤で終わっている。

「ねえ、イーファ。この絵は虹を見ながら描いたの?」
彼女は首を振って答える。それを聞いて確信に近づく予感がした。彼女は情景や物の特徴を記憶する能力が長けているのではないかと。
私はイーファの涙に濡れた目を見つめて告げた。
「……大丈夫だよ。レプラコーンには私達が代わりに謝って許してもらうからね」
「いいの……?」
「うん。でも、もしかしたらイーファが落とした宝物が見つからなくて困ってるかも知れないから、私達も一緒に探してあげたいの。どんな形だったか、描いて見せてくれる?」
「うん!」

そう言って直ぐに真剣な眼付きで小さな手が描き出したのは、二つの歯車とそれの中心に輝く小さな円状の石だった。紛れもなくイノセンスの形状そのものだろう。中心で輝く結晶は黄色で描かれているので、それで黄金だと彼女は思い込んだのだろう。私とラビは互いに顔を見合わせた。
「こりゃー、間違いなさそうだな」
「そうだね。直ぐ二人にも伝えよう」

私はイーファの小さな手を握る。
「必ずニアールは目を覚ますよ。だから、イーファは側にいてあげてね」
「……わかった!」

イーファの部屋を出て行く間際、ラビが彼女の頭を撫でながら問いかける。
「あ。あとさ、空に掛かってた虹は一つだけだった?」
「うん。そうだよ」
「絶対に?」
「大きな虹がいっこだけ。ほんとだよ!」
イーファは大きな目を確と開いて真剣にラビを見上げている。その面持ちを、微笑を湛えながらどこか真摯めいた眼差しでラビは見つめていたが、ふと目を細めて優しい声音で言った。
「わかった。ありがとな」

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教会に戻り司祭たちと原因の追求をすると伝えて、私達は家を後にした。
私とラビは、建物の内に用意された一室で、ブックマンとエマティットに推察を説明した。
イノセンスの引き起こしている怪奇は眠りに就く病だけではなく、配列が逆の虹の発生も有って且つ虹の端には結晶が存在している可能性が濃厚だ。二つの絵を並べて見せると、ブックマンが皺の寄った絵の方を指差す。

「イノセンスが関係している可能性は高いだろう。しかしこれは単に副虹を見ただけではないか?」
――副虹……?
ブックマンの問いの意味を理解出来ずに疑問符を頭に浮かべていると、ラビが私に向かって話してくれた。

「虹の中でも二重にかかるもんが偶にあんだけど、内側が主虹、外側の配色が真逆になってる虹を副虹って言うんだ」
水滴を通る陽光の反射と屈折が虹を生み出す原理だが、副虹が発生する条件は通常の虹とは異なる反射回数に因るらしい。尚且つ主虹と共に現れるのが常であり、それが単体で現れることは科学的にあり得ないのだという。

――そっか、それでラビはイーファに念を押すように聞いていたんだ。
「イーファははっきりと虹は一つだけだったって言ったんだ。それに、こんなにはっきりと一月前に拾った物の形を覚えてるんだから、イーファの記憶力は確かだぜ」
確と答えるラビを見遣って、ブックマンは沈思したように暫く答えずにいたが「そうか」と納得した様子を見せた。エマティットが複雑な表情で告げる。

「ラビが言うと説得力あるなぁ。……でも、もしも二人の考えの通りだったとして。虹が出るまで待たないとイノセンスは見つけられないんだよね?」
「そっか……。近いうちに雨、降るかなぁ」
この推測が正しいかどうかを判断するには、まず雨が降ってくれないと話にならない。イノセンスの発見に近づけたかと思ったが、行き止まってしまった。私は思わず肩を落とす。
すると、ラビが私とエマティットに向かって少し無邪気さを孕んだ笑みを向けた。
「心配しなくても、今すぐにでも虹を掛けてやるさ」

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町へ到着する前、移動の最中に三人のイノセンスの基本的な能力を説明し合った。その際に新しく知った事がある。
装備型のイノセンスは能力の使役にあたって、段階があるという事だ。
発動時後通常使用できる力と異なり、イノセンスの能力を更に引き出す為の過程として「第二開放」と呼ばれる状態にする必要があるらしい。第二開放はイノセンスとの同調率が一定値を超えないと発現できない。
寄生型の適合者はその段階を経る事なくイノセンスの能力を使う事が出来るという。
しかしまだ私にはその感覚がよく分からないので、余り自身の内にはその状態がどのような感覚であるのか理解し切れていないが……。

それはさて置き、ラビの場合、通常の能力は槌の質量変化と柄の伸縮だ。驚く事にどれだけ槌を巨大化させても適合者の彼は一定の重みしか感じないのだという。
アジュールとの戦いで見た、炎の蛇を出現させたり雲を払った能力は、イノセンスの能力を一段階開放した第二開放時に使えるものだという。

ラビの鉄槌の第二開放の能力は「判」と呼ばれる十種類能力を持ったの印を槌で選択する事で、攻撃や判の能力を使役出来る。まだ能力が未知数であったり使用できない物もあるのだというが、装備型のイノセンスの中でもかなり多様性に富んだ能力のようだ。
彼が言うには判の力の一つを使えば空に虹を掛けられるらしいのだが、一体どんな技が見られるのだろうか。教会を出て胸を躍らせながらイーファが石を拾ったと言っていた森へと向かった。

そして、町外れの広野。新緑の森を前にしてラビがイノセンスを発動し、続いて槌を中心として円状に囲むようにして、光を帯びた文字のような印が現れた。これが第二開放なのだろう。
ラビは現れた判のうちの一つに鉄槌の平面が通るようにして地面に叩きつける。忽ち地面に移ったその判は、輝きを増しながら天空に光線を放つ。
――雲を払った時と似てる。同じ能力かな……?

しかし空は雲の無い快晴だ。放たれた光は一体どうなるのかと仰ぎ見ていると、ある程度の高さまで昇った光は分裂しながら四方へと伸びていく。すると俄かに伸びゆく光が弾けて青空に煌めきを散らせた。
煌く粒子は段々と、その色を白から灰へと暗く変化させていき、また姿も霞のように不透明になって青を遮り始める。程なくして膨らみながら黒雲と変貌していった。
濃い雲は森の上空だけを覆い、太陽の光はそのままにとうとう雨を降らせたのだった。

そうして鮮やかに掛かる虹を見て、エマティットと私は大いに感嘆を上げた。私はまるで魔法のようだと感動しながらラビを見遣ると、不意に目が合ったものの何故か逸らされてしまった。
その矢庭、エマティットがラビの背後からやや勢いづいて肩を組んで楽しげに言う。
「あれが逆配列の虹か。にしてもすごいね、ラビのイノセンス!」
対してラビはエマティットを諫めるように冷静な口調で返した。
「そんな大袈裟に褒めんでいいさ。……さてと、虹が消えない内にさっさと行きますか」

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