酩酊ユーフォリア
リーマンパロディ

『お疲れ様です!
薫とてんこが入社してから
みんなで集まる機会がなかったので、
ちゃんと歓迎会をしようと思います!
日にちは24日(金)
六時半から予約しちゃいました!
都合悪い人いたら返事ください』
『なんで24日かっていうと
火野先輩の役員会が23日らしいので』
『あと、ゆきちゃんも22日まで
アメリカ行ってるらしいです!』

ここまでが零のメッセージで、以後は返信である。

『わーい! 楽しみです!』が凛。
『おっけー』の凝ったスタンプが時宮。
この二人はだいたい何があっても返事がすこぶる早い。

『了解です』のスタンプが直。
『承知!』のアニメスタンプが彩音。
『予定調整ありがとうございます。楽しみにしています』が由姫。

やはり既読がついていないのは火野と薫、それと白峰か。天子はスクロールを止めて酸味の増したラーメンに口をつける。

「別に歓迎ってほど大それたもんでもねえだろ。集まる口実ってだけで」

「えー、寂しいこと言わないで下さいよ。先週はほら、先輩方呼ばなかったじゃないですか。それで零先輩が、あのお店おいしかったし、せっかくなら今度はみんなでってことで呼びかけてくれたんですよ」

「いやだからその話に俺と水川出てきてねえじゃねーか」

「あっほんとだ。まあまあ! みんなでこれからやっていきましょう会ってことで」

まぁお馴染みの面子で改まって『入社おめでとう』などと祝われても調子が狂うので、飲みたいなら名目は何でもありだろう。
『歓迎されてやるから幹事頼むぞ』と上から目線で送ると、食べ終わる頃には『任せろ!』とのスタンプが零から返ってきた。記憶媒体を買うべくコンビニへ向かいながら、天子は考える。

(会えるなら、何でもいいか)

贅沢を言えば二人きりで会いたかったが、忌々しい役員会さえ済めばその日以降でもどこかで時間は取れるだろう。いつ空いているかをLINEで尋ねるのもまどろっこしいので、飲み会で会えた時にそれとなく予定を訊いてしまおう。既読を待つ不安もなく、機会としては申し分ないはず。
僅かながら開けた未来に、ほんのりと心の内が温かくなる。
天子はコンビニでUSBを購入し、帰り際に『24日、楽しみにしてます』と火野へメッセージを送った。

◆◇◆

研修、見学、講習、レポート、プレゼン。
日々学ぶべきことは膨大だ。学生の頃とは頭の使い方が全く違う。求められるレベル以上を常に目指し、天子はそれらに追われていった。時にはガス抜きにと同期連中で飲みに繰り出し、あーだこーだと愚痴を吐き合うこともあるが、みな苛烈な選考フローを突破してきただけあってオンオフをきっちり分ける術を心得ている。研修中は真摯な態度を貫き、私情は微塵も表に出さない。そんな彼らの迷惑になってはまずいので、天子も不遜な構えで臨むのは白峰を相手にする時だけにしておいた。彼女は因縁があるので仕方ない。
そうして十日余りがあっという間に過ぎて行く。昨日は朝からエントランスがざわついていると思ったら、役員会の当日だった。役員専用のエレベーターホールにお偉いさんたちが集っており、天子は鉢合わせしないよう裏から遠回りして会議室に向かった。

四月二十四日、歓迎会当日。
日々のレポートは元より質良く早く仕上げることをモットーにしているが、今夜は何があっても残業するわけにはいかない。名目上とはいえ主役の片割れを担っているのだから、気に入らない時宮や白峰はともかく他の面子を困らせてはいけない。きっちり六時に上がれるよう、講習中も普段よりマメに要点をまとめておかねば。
朝、目の前のコンビニで適当なパンとジュースを買い込み、エントランスにタイムカードを通してラウンジへ向かう。来客用のロビーからは死角となっており、社員がくつろげる場として自販機や新聞が用意されている。就業時間中は施錠されているが、飲食も自由でWi-Fiが飛んでいるとなれば居心地はそこそこだ。既に何人かの先輩社員がコーヒーを飲みながら新聞を広げている中、天子は窓に面した丸椅子にぽんと腰をかけた。先輩や上司に遠慮して同期たちはあまりここを使いたがらないが、試用期間とはいえ社員なのだから使って悪いことはない。申し訳程度の鶏肉が入った七味マヨネーズのパンをかじり、スマホを片手にまとめサイトを流し読みする。
天子は大学から一人暮らしを続けているが、自炊の類いはほとんどしたことがない。苦手というより、料理自体に興味がないのだ。朝は適当に、昼は食堂へ、夜はどこかに食べに行くか買って帰るか、はたまた薫の作る飯をあてに零宅へ上がり込むこともある。何にせよバランスのいい食生活とは縁遠いものの、一応健康なのでこれでよしとしている。体に支障が出ないのもあと数年かもしれないが、これだけ食が発達した現代なら金さえ出せばある程度の栄養は補えるだろう。

「ん?」

不意にグループLINEの通知が届く。零からの最終確認のようだ。

『今日は六時に終わったらエントランス集合で!
 遅れそうだったら連絡ください!
 駅前なので、みんなで歩いて行きましょう!』

凛と時宮の素早い返信。返せるうちにと、天子も返答を打ってまたブラウザに戻る。興味の引かれる記事を選んでいるつもりなのに、どんな内容もなかなか頭に入ってこない。今朝目覚めた瞬間から脳味噌を占めているのは、今夜ようやく会えるのだとそればかりで。

(ばっかみてえ。女じゃねえのに)

こんな浮ついた気分では書けるレポートも書けなくなってしまう。時間の制限があるからといって手は抜きたくない。開発課に行きたいとの言を鼻で笑った上層部のあいつやこいつを、いつか必ず認めさせてやるのだ。
紙パックのジュースをぐしゃりと潰して燃えるゴミに放り、ひとつ息をついて天子は席を立った。

ーーー

(くっそ……無駄な時間使わせやがって)

午後は技術部の研修だった。
技術部自体は複数の課から成り立っており、これまでは各課の人員が詳しい業務内容を座学で教えてくれていたが、今日はデスクのある事務や各種設備の見学が許されたらしい。恐らく役員会が終わって緊張が緩んだせいだろう。開発課のフロアは前述の通り雲の上と思しき棟の天辺にあるが、それ以外の課はその雲の下部分――開発棟の九階までと、本社ビルの八階から十階を陣取っている。
一通り見学させてもらい、耐久性や信頼性をテストする設備も見せてもらう。分析系の装置はMSラボにあるものだと思っていたが、技術部や品質関連の課でも所有はしているとのこと。そうでなければ火野たちが夜を徹して作業するのは難しいだろう。どこに配属されようとも、技術部が確定している以上はしっかり覚えておくに越したことはない、と案内の課長は締めくくった。
そこまではよかった。きりがいいので少し早めの休憩を、と同伴していた白峰が口にし、同期たちがフロアの自販機周辺で各々休んでいると、何故か天子だけが彼女にそっと手招きされたのである。

「なんすか」

炭酸飲料の缶を呷るなりぽいと投げ捨て、天子は廊下の角までずんずんと闊歩していく。彼女は冷徹な表情そのままに、さっき提出したばかりの課題をひらりと天子へ掲げた。

「一問ずつ解答がずれていますが、このまま提出してよろしいのですか?」

「え」

ぱっと奪うように紙をひったくり、天子は己の解答に目を走らせる。午前中の最後に取り組んだ、座学の講義内容をもとにテスト形式で出題された課題だ。問題用紙と解答用紙が別々になっているため、対応した欄に解答を書き込む形式だが、名前のすぐ下にある欄を見逃していたらしい。記述式ならスペースの大きさで気づいただろう。番号のみの選択問題で、かつ最後の問が自由回答のアンケートだったので気を抜いてしまった。欄がなんだか狭いなと思った記憶しかない。当たり前だ、そこは余白なのだから。
時間的な余裕があったにも関わらず、とんでもないケアレスミスをしてしまった。ずれているだけとわかれば丸はつけてくれるかもしれないが、甘やかされたところで何も嬉しくなどない。天子は自分の能力を過不足なく認識しているつもりだったが、こんなにわかりやすい油断を犯す奴とは夢にも思わなかった。学生時代、零がこの手のミスを何度となくやらかすのを傍で見ていたはずなのに。もはや怒りを通り越して呆れてくる。
白峰は淡々と続けた。


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