酩酊ユーフォリア
リーマンパロディ

「こんばんはー。予約してた光坂です」

平屋の古民家を改装した造りらしく、屋根付近には太い梁が何本も巡らされている。
玄関で履き物を脱ぎ、靴箱に入れて松竹錠の板を抜き取る。大学生風のアルバイト店員が座敷へ案内してくれた。畳敷きの広々とした和室をテーブルごとに屏風で区切っており、隣卓との間隔も離れているのでやかましくない。掘り炬燵に足を下ろし、ひとまず飲み物をアルバイトの彼に注文する。

「あたしは生で。直もそれでいいわね、生二つ。あとは?」と凛。

残った三人はメニューを見開きにして眺める。

「カシオレで」と彩音。

「モスコミュール。水川は――あ? 木苺ヨーグルト? 何だそりゃ」

「はい、ヨーグルトリキュールに木苺のソースを加えたものです」

天子の『何だそりゃ』に店員の彼は律儀に応答し、じゃあそれで、と薫も頷く。注文入りましたぁー!と元気よくカウンターへ戻っていく彼をよそに、腹ペコの彼らは料理メニューをめくって吟味し始めた。

「わー、炭火焼きハラミ! ね、これ食べたい!」

「おれも食べたいな。あ、でも。零先輩も食べたいんじゃないかな」

彩音の歓声におずおずと直が意見を述べれば、じゃあ来てからにしよっか、と彼女は一品おつまみを順繰りたどっていく。

「焼き鳥の盛り合わせと生春巻頼んでいい? 直は?」

手際よくスマホのメモアプリを起動し、凛が順番に尋ねる。

「ええっと、フライドポテト、かな。だめ?」

「お前自分が食いたいなら自信持てよ。どうせ余らねえぞ」と天子。

「じゃ、ポテトね。水川先輩」

「大根、サラダ。和風ドレッシングで。あと、ほっけ食べたい」

「はーい、ほっけはハーフにしときますね。彩音」

「だし巻き卵とからあげとクリスピーピザ!」

「ピザは後にして。それ以外はいいわ。てんこ先輩」

「明太チーズもちと餃子」

「うん、一通りはオッケーね」

備え付けのPUSHボタンを押し込み、程なくして飲み物を携えて来た店員へ、凛がメモを読み上げる。めいめいグラスが行き渡ったところで、凛がごほんと咳払いをした。

「零先輩が来たらもっかいやりますけど、とりあえず乾杯にしますね。今日はありがとうございます。愚痴ばかりになったらごめんなさい! 乾杯!」

かちん、とグラスを軽やかに響かせ、渇いた喉をたっぷり潤す。満足げにはあ、とこぼれる吐息はどれもひんやりと爽やかだ。
早くも大根サラダが到着し、薫がトングで混ぜながら野菜を小皿に取り分けてくれた。シャキシャキと瑞々しい大根を咀嚼していると、彩音が早速凛に本題を振った。

「凛ちゃん、仕事で何かあったの?」

「う。いいのかな、初っ端からこんな話で」

凛はやや気まずそうに眼鏡を専用シートで拭いている。分け終えた薫が今度は店員からフライドポテトをパスされ、片手で受け取った天子がテーブルの中央にドンと皿を置いた。

「早いとこすっきりした方が楽しめるんじゃねえの」

「そうそう。凛ちゃんめったに怒らないんだし、どーぞどーぞ」

天子と彩音に促され、凛は半分ほど減ったジョッキを押しやってぽつぽつ話し始める。

彼女曰く、少し前から同じ課の先輩に目をつけられているらしい。
凛より五つほど上の彼女は、去年凛が技術課に配属された頃にOJT、つまり教育・訓練担当を務めていた。気さくで優しく、気兼ねなく相談できる間柄だったようだが、OJTを終えて同僚兼先輩となった最近では何かとミスを指摘されることが多く、凛の挨拶や質問にもつれない態度で応じているとのこと。

「一応、心当たりがあるっちゃあるんですけどね」

フライドポテトと、追加された明太もちとを酒のアテにしつつ皆は聞き入る。

「先輩方はご存知ないかもしれないですけど、毎年二月に社内技術プレゼンっていう発表会があるんです」

「知ってる。技術部で優秀な研究だの改善だのに取り組んだ成果を個人で発表すんだろ。会社にどんだけ貢献したか、コストを減らしたかが評価されるやつ」と天子。

「はい。技術課は一応全員発表することになってます、本選に進めるのは一握りですけどね。ちなみに直は昨年度びびって辞退しました」

「やめろよぉ。うう、だって怖いじゃん、偉い人から質問責めなんて」と半べその直。

「あたしも一年目ながら、半年くらいの成果をまとめてたんですが」

メインに持ってくる題材の件で彼女と衝突することが多く、凛がどうしてもと己の意志を曲げずにいたためか、勝手にしなさいとさじを投げられてしまったのだという。

「自分では、これが一番って思ってたんです。でも先輩は、お金で貢献してるのはこっち、努力した時間よりそっちの方が大事だ、って。言いたいことはわかりますよ。でもどうせ新人が評価されることはそうそうないし、だったら好きなようにやりたかったんです」

「うわぁ、凛ちゃんすごいなー。総務はそんな大々的な場がないから、ほっとしてるけど」

焼き鳥盛り合わせをテーブルに置き、彩音が改めて友人を労う。と、屏風の裏から零がひょこりと現れた。

「凛ちゃん間違ってないよ、俺もそう思う。あ、あざーす! あと生中二つ下さい!」

ひとつは自分、ひとつは凛の追加分だろう。どしどしとスーツで畳を踏みしめ、零は店員から受け取っただし巻きを置くと、薫の隣に腰を下ろして続ける。

「だって自分がそう思ったらしゃーないもん! 俺も湊先輩の言うこと『嫌です!』って聞かない時もあるよ。先輩は仕方ない奴だなーって笑ってるけどさ」

小宮湊は零の三つ上、営業課の先輩だ。国内営業ではエースと呼ばれる逸材で、新規獲得件数も常に月間トップのイケメンである。これ見よがしに指輪をしていなければ、今頃は社内の苛烈な婚活戦争に巻き込まれていただろう。

「そいつも入ったばっかの頃は、上の言うこと聞くしかなくて悔しかったんじゃねえのか。ある意味お前が羨ましいんだろ。立花んとこの先輩と違って寛容にはなれねーみたいだが」と天子。

「そんな感じしますよね」と彩音の同意。

「凛は、できたらその人と仲良くしたいんだよね?」と直。

「そりゃね」と凛も頷き、

「技術ってただでさえ同性少ないし、これから入る後輩に気ぃ遣わせるのもかわいそうだから」

薫はせっせと各自の皿に料理を取り分けている。人見知り故に、対人関係の悩みには滅法弱いのであった。凛もその辺りは察しており、アドバイスを無理に求めることはしない。

「ほとぼりが冷めるまで待つしかないかなぁ。くう、でもやっぱムカつく! 謝らなきゃと思ったらそん時悔い改めるから今は言わせて! 生意気だからって無視されんのは腹立つんじゃあああ!」

ひとしきり喚いた凛はジョッキに残っていたビールを飲み干してから廊下側へ置き、零が注文した新たなビールを手に取る。

「先輩、これありがとうございます。タイミング逃しちゃいましたけど、改めて先輩も乾杯しましょう」

「お、いいの? そんじゃ、みんな遅れてごめんな! 今日はうまいもの食べてぱーっとやって、凛ちゃん応援しよ! かんぱーい!」

再度ジョッキやグラスをつつき合わせ、ささやかな慰労会が続く。オーダーした料理はほとんど届いたようで、先程彩音が頼み損ねたピザとハラミステーキを追加注文することにした。学生時代とまではいかずとも、二十代半ばの男女が集まればみるみるうちに揚げ物や肉料理が減っていく。

next

×