097:行き場のない【好奇心が湧いた日】


 高校入学後、桑原にとって初めての夏休みがやって来た。
 ひと月以上もある休暇をどう過ごそうかクラスメイト達と計画を練ったりしていたが、
現実はそんなに甘くない。
 期末試験で赤点をギリギリ免れた桑原には‘楽しい夏休み’ではなく
‘地獄の’とまではいかないが、そんな休暇が待ち受けていた。
 それなりに休みを謳歌しつつ、二学期のために勉強に明け暮れることになるだろう。
 部屋には筆記の音と本の頁をめくる音だけが静かに聞こえる。
 前者は桑原が、後者は蔵馬が出している音だ。
 彼は現在、蔵馬の家で夏休みの課題を片付けている。
 蔵馬は休暇前から、こつこつ進めていたらしく、もう課題はあまり残っていないそうだ。
 そのため読書をする余裕があり、桑原の教師役をやりつつ、のんびり過ごしている。
 桑原の方も休みに入ったばかりなので、焦って課題をこなしている訳では決してないが。
 不意にノックの音がして、部屋の扉が開いた。
「お勉強中にごめんなさいね。秀一。電話よ」
 蔵馬の母親、志保利が電話の子機を持ってやって来て、
読みかけの本を伏せた後に立ち上がって近づいた蔵馬がそれを受け取った。
 聞こえなかったが、小さい声で誰からかかってきたか確認しているようだ。
 すぐに志保利は出て行ってしまった。
 蔵馬は気を遣ったのか、机から少し離れたベッドの隅に移動して腰を落ち着ける。
 もしもし、と気持ち遠くなった蔵馬の声を聴きながら、
桑原は自分にとって難解な数式の答えを導き出していくため、力を注ぐのに集中しようとする。
「用件は?」
 端的な蔵馬の問いは、いささか冷たさを帯びていて桑原は珍しく感じた。
 盗み聞きはよくないと思いつつ、つい聞き耳を立ててしまう。
 しかし、この場にいるのなら聞かれても困らない通話なのだろう、と思い直した。
 それでも、手だけは問題を解こうと本能的に動かすのは忘れない。
「――今から? いや、忙しい」
 もしかして、友人に遊びにでも誘われたのだろうか。
 けれど蔵馬の返答はにべもなく、それは自分のせいかもしれない、と桑原は考える。
 気になって段々、筆記の勢いが削がれていった。
「――またくだらないことを。いい加減、受験勉強に身を入れたらどうだ?」
 思わず、肩が上下する。‘受験勉強’。
 この単語に反応してしまったのは数か月前まで桑原自身が受験生だったせいだ。
 会話を続けながらベッドに腰を下ろしていた蔵馬が近づいて来る。
 いつの間にか桑原の手は完全に止まっていた。
「――二か月くらい前に‘夏から頑張る’とか言ってたのはどこの誰だっけ?」
 机の前まで戻ってきた蔵馬が小さい白紙に何かを書いている。
 ここまで近づくと通話相手の声が何となく届いて、男だろうかと予想をつけた。
「――先輩が知ったらどう思うだろうね」
 電話の相手が慌てているのを感じた。
 書くのをやめて顔を上げた蔵馬が、紙を桑原に見えるようにする。
 ‘どこか、わからない問題でも?’。
 今度は桑原が慌てて首を横に振って否定する番で、勉強を再開した。
 その後も二言三言、会話が続けられて。
「――じゃあ、また部活で」
 締めくくったのは蔵馬のその言葉だった。
(部活? ってことはガッコの知り合いか。確か、蔵馬の部活って……)
 蔵馬が子機を持ったまま部屋を退出する。
 おそらく元に戻しに行ったのだろう。
「――そういやオメー、どうして生物部なんて入ったんだ?」
 蔵馬が部屋に戻って来たところで桑原は切り出した。
 正直、意外だったのだ。部活に入っていたことすらも。
 幽助を助けるために盟王高校に不法侵入した際、見つけ出した蔵馬は白衣を着て何やら実験をしていた。
 その恰好は様になっていて、それなりに楽しそうな雰囲気を感じたのだ。
 蔵馬が最初の定位置に胡坐をかいた。
「盟王は部活入部が必須でね」
 この発言で、本当は帰宅部希望だったと推測出来た。
 もしかして入学するまでその事実を知らなかったのだろうか。
 だとしたら意外に間抜けだ、と思ったがそれは口には出さず
――もちろん知っていて、あえて受験した可能性もあり、
蔵馬の場合はその可能性の方が高いが――桑原は言葉を続ける。
「いや、そーじゃなくてよ、オレが言いてェのは…」
 言いかければ、蔵馬がフッと笑う。
 あ、こいつわざとだ、と桑原は思った。
 わざと、彼が望んだ答えを言わなかったのだと。
 半眼でストローをくわえてオレンジジュースをすする。
「んで、理由は?」
「賭けに負けたからですよ」
 その言葉で理解するのは十分だった。
 つまり、望んで入部した訳ではなかったのだ。
 蔵馬が入学した年、生物部は廃部の危機だったらしい。
 今も状況は大差ないらしいが、とにかく部員があと最低二人必要だった。
 その条件を満たさなければ部活の規則として最低人数に達せず、生物部はなくなるという状況。
「それ、蔵馬が入っても意味なくねーか?」
「実は、一人入部することが決まっていたので、実質あと一人だったんです」
 それで目をつけられた蔵馬は揉めた結果、
 カードゲームの十回勝負で一度でも負けたら入部という理不尽な約束をさせられたそうだ。
「トランプでダウトか。蔵馬なら得意そうなのになァ」
 運が左右するゲームではあるが、蔵馬の表情は読みにくい。
 短い付き合いではない桑原でも隠されたら真意に気づく自信はない。
「勝つ自信はありましたよ」
「けど、結局負けたんだろ?」
 机に片肘をつき、その手の上に顎を乗せて微笑する相手に冷たい事実を突きつけたのは、
過程はどうあれ最重要の結果だけなら見えているから。
 今さら何を言っても言い訳がましいだけだ。
「九連勝した後に、一度だけね」
 蔵馬は困ったように肩を竦める。
 最後の最後で足をすくわれたらしい。
 桑原は呆れとも感嘆ともとれる息を吐いた。
 油断したのか、蔵馬も意外に詰めが甘い。
 生物部が出した条件は狡い気がするが、承諾してしまったなら負けは負け、仕方がない。
 それでも、九連勝したという事実を聞いて流石は蔵馬だ、と誇らしく感じてしまう。
「それにしても、蔵馬を負かした奴らかァ。よっぽど頭いいんだろうな、そいつら」
 まあ否定はしませんが、という微妙な肯定が返ってきた。
 盟王高校に入学したくらいなのだから頭脳明晰なのは当然かもしれないが、
何でも部員の多くが上位成績者らしい。
 その割に部活としては弱小で予算の獲得に苦労しているのだとか。
「オレは三河(みかわ)先輩に負けたと思ってますから。彼がいなかったら生物部には入ってない」
「ふ〜ん。そのセンパイってどんな奴なんだ?」
「面白い人ですよ。柔らかい雰囲気なのに言葉は結構端的で、掴みどころがなくて……」
 不思議な人、なのだと蔵馬は言う。
 その時の柔和な眼差しは慈愛に満ちていて、桑原は思わず目を見張った。
(マジかよ。こいつに、こんな顔させるなんて、一体どんなヤツなんだ…?)
 こんな表情は初めて見たため数秒固まってしまい、それからハッとする。
「………………あ、もしかして、さっきの電話のヤツか?」
 思いついた桑原は何気なく尋ねてみたが、いや、と短く否定される。
 そういえば、電話の相手に対してはどこか冷めた態度だったのを思い出した。
「じゃあ、オレが扉で踏み潰した眼鏡のヤツ?」
「違います」
「気の弱そうな茶髪のヤツ!」
 蔵馬が首を横に振った。
 これで生物部部員らしき人物は全員挙げてしまった、
 だから正解は、‘会ったことがない’という訳だ。
 途端、桑原は頭の中が物凄くもやもやし始める。
「何が何でも会いたくなってきたぜっ」
 負かした人間に俄然興味が湧いた。
 二手も三手も先を読む蔵馬に勝つのは容易ではない。
 たとえ油断していたとしても、だ。
 そんな蔵馬に『彼がいなかったら生物部には入ってない』と言い切らせ、
あんな顔をさせた人物に関心を持たないはずがなかった。
「機会があれば、そのうち」
 蔵馬は軽く微笑むと、勉強の続きをするように桑原を促した。
 けれど、気になってしまって身に入らなかったのは言うまでもない。


END.

2014.12.30.



Title List
Story(YUHAKU de Title)
Story(YUHAKU/TOI-R)
Site Top


[ 5/5 ]

<<< | >>>

しおりを挟む





◆◆◆サイト内の小説などで誤字、脱字、矛盾などございましたら、ぜひご連絡ください◆◆◆




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -