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ペテンの鱗を絵空事にしないで 05

また今日もすっきりとしない朝がやってきた。
ここ最近、ずっと目覚めの良い朝というのを体感できない原因はわかっている。
あの日の、別れ際の降谷くんの・・・いや、安室さんの完璧な営業スマイルが頭から離れない。


「・・・あの別れ方はズルいよね」


前まで感じることのなかったインスタントコーヒーの味気なさがより気分を下げていく。もうあのカプチーノを飲むことは叶わない。それをより思い知らされるようだ。


降谷くんと夕飯を共にしたあの夢の様な日から、もうどれだけ経っただろうか。
私の日常からポアロがなくなり、どこか喪失感を拭えないままに過ごす日々は時の流れを狂わせる。その穴を埋める様に色んなカフェやら喫茶店やらに入ってみたが、ポアロとの違いを探すばかりで満たされることはなかった。
まぁ、そうだよね。あんなイケメン店員もいなければ、腕の立つバリスタだって少ないよね。

休日の朝なのにコーヒーひとつでどんどん沈んでいきそうな思考に首を振り、残りのコーヒーを一気に飲み干した。
こんな日は家にこもっていてもいい事はない。買い物でもして気分を変えようと、いつもよりお洒落に着飾って早々に家を出る。憎いほどの晴天が背中を押してくれているようだ。

欲しかった服や化粧品、小物を買ってお洒落なランチをして。充実した―!と言える休日を過ごせばすぐに空に夕闇が差し掛かってくる。
沢山の荷物を抱えて歩き回って、ここでいつもならポアロに行くんだけどな。そう思ってしまって一人、ため息をついた。
気分転換に出かけたというのに、結局ポアロの事を考えてしまうなんて。引っ越してからの私の生活にどれだけポアロが根付いていたか思い知らされるようだ。

この交差点を曲がったらポアロ。真っ直ぐ行けば自宅。近いがゆえに毎日のように通る分岐点。
安室さん、梓さん、常連のおじいちゃん、最近よく見るOL風のお姉さま。女子高生や小学生くらいの男の子。懐かしい顔ぶれが頭をよぎり誘惑してくる。
だけど約束は約束。降谷くんに会いたい気持ちはあるけど、迷惑をかけたいわけじゃない。一瞬躊躇した交差点をそのまま直進した、その時だった。


「あら、今日は行かないのね」


後ろから響いた聞き覚えの無い声。私に向けられたものでは無いかも、と思いながらもそっと振り返れば、しっかりと私に向けられている視線。
その視線の主に見覚えがありすぎて素っ頓狂な声を上げそうなところを大人な理性が何とか抑え込んだ。


「・・・・・・なぜあのクリス・ヴィンヤードさんが日本に??」
「今は休業中だもの。どこにいてもイイでしょ?」


えぇ、そうですね。お休みされていることは存じておりますけども!!!ファンでしたからね!詳しい理由を明かさないままの休業に泣きながらも復帰を待ち望んでいたところですよ。
それが、何故、今、目の前にいて、私に、話し掛けているのでしょうか!?!日本語お上手ですね!
これは普通に驚いていいやつですよね?本来なら叫ぶところですよね?パニックになると人って無口になるんですね。初体験!


「貴方はあそこの常連なんでしょ?今日はどうしたのかしら」


そう言ってクリス・ヴィンヤードが指さしたのは曲がりたいと思っていた角の先。その指先がポアロを示しているのはなんとなく察したが、思考が色々追いつかない。


「え〜と、今日はちょっと疲れたし、戦利品を眺めたいので…って、なぜ私を知っているのでしょうか」
「・・・そう、残念。でもショッピング後にアイテムを広げたい気持ちはわかるわ」


あぁ、何で知ってるのかって質問はスルーなんですね。でもいいんだ。あのクリス・ヴィンヤードと会話しているのだから!
私もポアロに行かない理由は言えないでいるからね。なんか変な間があった気がするけど、お相子ですねって思う事にします。


「あら、そのショップ。私も気に入ってるのよ」
「存じてます!むしろクリス・ヴィンヤードさんが愛用って知ってから通うようになったにわかファンなので」


まさかご本人様とお会いするなんて想定したことないから真似してるなんて言う日が来るとは思ってもみなかったけど。
こっそり化粧品とか香水のメーカーが同じです、はい。手に持っているショップの紙袋でバレバレだと思いますけどね。


「あ、あの!よかったらこの香水、一ファンからの差し入れと思って貰って下さい!」
「あなたが今付けている香りかしら」
「そうです!お気に入りで・・って私と同じものなんて気持ち悪いですね、すみません」
「ふふ、可愛い子。いいわ、頂くわ」


クリス・ヴィンヤードの綺麗な指先が私の指を掠める。それだけでしばらく手を洗いたくないと思ってしまうなんて少し変態かもしれない。
いや、ファン心理というやつだと自分に言い聞かせよう。
私と同じ香水を手にもつクリス・ヴィンヤードが不敵に笑う顔が妖艶で、同性なのに思わず顔が熱くなってしまう。


「あなた素直ね。でもね・・・A secret makes a woman woman」


さっき私の指を掠めただけのキレイな人差し指が、ふにっと私の唇を押した。至近距離で見るクリス・ヴィンヤードの顔が綺麗すぎるからだろうか。彼女を少し、怖いと感じてしまった。
たぶん唇に触れていたのはほんの数秒程度だったはず。それなのにウインク一つ残して去っていく彼女の背中を見つめ続ける間も、唇が熱く感じてしまうほどの衝撃だった。

一体何だったのだろうか。

現実のはずなのに現実味のない。夢をみている様な不思議な感覚のまま帰宅し、そのままベッドに倒れ込んだ。
憧れのクリス・ヴィンヤードに会ったというのに。興奮していたはずの気持ちが嘘のように、最後に見せた彼女の微笑みが私を震えさせた。
その恐怖は、どこか降谷くんを怒らせてしまったときのものと似ている気がする。
A secret makes a woman woman
直訳するとなんだろうか。秘密は女を作る??こういう時、自分の英語力の無さを恨むが今更だ。
もっと秘密を持つ女の方がいいと言いたいのだろうか。それこそ、彼女のように。


「・・・クリス・ヴィンヤード、謎過ぎた」


棚に置かれた愛用の香水は残り僅か。あぁ、また新しいのを買ってこないと。
夢だったと言われても納得できてしまうほど、不確かな時間だった。人に話しても作り話と思われるほどに、非現実的。

降谷くんといい、クリス・ヴィンヤードといい。
今まで私の人生には無かった様な事が、どうして立て続けに起こるのだろうか。あまり信じていないけど、スピリチュアル的に星の巡りでも変なのだろうか。

きっともう早々驚くようなことは起きないと思うけど。

そう考えた私が甘かったのかもしれない。
まさか、私がクリス・ヴィンヤードに香水をプレゼントしたことによって、更に摩訶不思議な日常へと変化するなんて夢にも思わなかったのだから。


「お久しぶりですね、山崎さん」


そう、今までと変わらない笑顔で私の目の前に安室さんが現れるなんて。


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