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06 水曜日の衝動


カァン。甲高い打撃音を立てながら自分の頭上遥か高くへ上がる白球。慣れた動作でキャッチャーマスクを外すと、走りながら落下点に移動して落ちてくるボールを衝撃と共にしっかりとキャッチした。
よし、あと一つ。「ツーアウト!」士気を高めるために声を上げながらマウンドの方へ振り返ると、そこには今の今まで居たチームメイトも審判も誰一人として居らず、ただ広大な空間が広がっていた。


「・・・夢か」


上手く息が吸い込めなかったのか、ヒュッと自分の喉が音を立てた感覚で目を開ければ、暗闇の中にここ最近で見慣れた家具がぼんやりと映る。身に着けていた防具もミットも、ボールすらここにはない。自分を包む布団の感触に夢だと自覚して、それと同時に漏れた呟きは思いのほか掠れた声になった。

5日目。どういう訳か飛ばされるようにここに来て、もう5日だ。こんなにもボールに触れていないのはガキの頃以来な気がする。あの人に並ぶためにもっともっと練習しなきゃなんねぇのに、何も出来ないし戻る方法すら分からない。ただ焦りだけが募っていく毎日。いつも練習漬けで足りないと感じていた時間さえ、今は持て余している。

そろそろ寮や学校でも問題になっている頃だろうか。
監督や礼ちゃん、野球部の面々・・・そして親父。頭の中に次々と浮かんでくる顔に、胸の奥から何かが込みあがってくるような感覚を覚えて、息と一緒に飲み下した。

ダメだ、水でも飲もう。中途半端に眠ってしまった頭はろくでもない事ばかり考えてしまって、気が重くなるだけだ。
どこか重く感じる体を無理矢理起こして、コップ一杯の水を勢い良く飲み干せば多少頭の中がクリアになった気がした。


「・・・ん?」


暗闇の中、ふと視界に入った光。奥のドア――楓ちゃんの部屋の方から漏れている光に首を傾げる。今はもう深夜といってもいい時間なのに、まだ起きているんだろうか。
今日は珍しく残業だったようで帰りが遅かったからな。と、そう思った時に夕食の時の会話が甦った。




「明日さ、有給取ったからどこか行こうよ!」


昨日のお子様ランチの余りの材料で適当に作った夕食。一つ一つを食べる度に感想を言っていた楓ちゃんが「あ、そうだ!」と思い出したように振ってきた話題は正直どう返していいか分からずに困る。

「別にいいけど、どこかって・・・どこに?」
「まだ決めてないんだけどさ、ちょっと遠くに行くのもいいかなぁって」
「朝から?」
「もちろん。平日の休みを満喫する!」


笑顔を浮かべた楓ちゃんに思わず「それって・・・」と口から出たが、続けようとした言葉を飲み込んで「いいぜ」と了承だけを伝える。不自然に繋げた言葉だったから不思議そうな顔を向けられたけど、目的地を決めるように話題を出せばすぐに切り替わり、楽しそうに話していくのに相槌を打った。

デートみたいだな。今しがた飲みこんだ言葉をもう一度心の中で呟いて、あまりの違和感に自嘲する。別にそのまま口に出したって良かったけど、今まで縁の無かったその単語を自分が使うのは酷く不似合いな気がした。
中学の時から徐々に周りが恋愛だの何だのと浮き足だっているのは分かっていたけど、俺は野球が出来ればそれで良かったし。告白された事だって何度かあるが、全部断ってきた。

彼女を作ったところで、彼女のために時間を作るのすら億劫に感じるに違いない自分の性格を理解しているから、長続きなんてするはずも無い。すぐに振られるのがオチだろうし、振られたところで多分何も感じない。

そんな俺がデートだなんて言葉を使う事を思うと可笑しくて笑えるけど、もしそう言っていたら楓ちゃんはどんな反応を見せてくれたんだろうか。
笑い飛ばして否定するか、照れ混じりに肯定するか。ありえないとは思うが、後者であればいいのに。と、そんな考えに至った自分に気付いて驚いた。
悠長な事を考えている場合なんかじゃないのに、一体何を考えているんだか。


「寝坊すんなよ?」
「うっ・・・頑張ります」


自分自身に呆れながらも、揶揄いの口調で楓ちゃんに言葉を投げかければ、嬉々としていた表情は一転して不安そうなものに変わる。その変わりように声を上げて笑ったのは数時間前の事。


これは確実に寝坊するんじゃないか?ふと楓ちゃんの不安そうな顔が脳裏に浮かんで、寝室の方へ足を向けた。あと数時間で起きる時間だし、流石にこの時間まで起きてたら辛いだろうと思っての行動だったけど、ノックしてドアを開けた瞬間に飛び込んできたのは机の上で突っ伏すように寝ている楓ちゃんの姿だった。


「はぁ・・・」


たっぷりと呆れを含んだ溜息が漏れたが、仕方ないだろう。起こすかこのままにしておくか迷ったのは一瞬。体勢的に疲れも取れないだろうと判断して、肩に手を掛けようと近づいたところでピタリと足を止めた。
死角になっていたパソコンの検索画面が視界に入り、少し視線をずらすと楓ちゃんの手元にあるメモ帳。そこに書かれている内容に、息を呑んだ。

青道、稲実、市大三高というメモ書きの横には×印。他にも今までの俺との会話で出てきた名称や、それに関連づくもの。そんなものまで・・・と思うくらいメモ帳に沢山書かれていた。
これが今日一日で調べられる量じゃない事は一目で分かる。まさか、俺がここに来てから調べていてくれたんだろうか。
俺が何も出来なくて足掻いている間、ずっと。自分の仕事だってあるのに。

すぅすぅと規則正しい寝息を繰り返す楓ちゃんをジッと見つめる。
顔にかかってしまっている髪の毛を指先で流せば現れる寝顔。化粧をしていない素顔は年上に見えないと幾度と無く思ってきたが、寝顔はあどけなくて更に年齢を感じさせない。
閉じられた目蓋の下にはうっすらと隈が見えて、何とも表現し難い気持ちが込み上げてきた。

それは殆ど衝動だったと思う。
吸い寄せられるかのように自分の身を屈めて、彼女の色づいた唇へ触れようとした時、伏せられていた長い睫毛が微かに震えたのを薄目で捉えてハッと我に返る。
慌てて距離を取って、クシャリと自分の髪の毛を乱した。


「ははっ・・・」


何とも表現し難い気持ち?我ながら笑える。それが何なのか、こうして衝動で突き動かされなければ自覚できなかった事にも。
わざわざ訂正してまで楓ちゃんに自分の名前で呼んでもらった、あの時点で分かりそうなものなのに。

楓ちゃんに頼って、甘えて。ここに居るだけで迷惑をかけているのに、更にはこんな感情まで抱くなんて・・・自分の浅はかさに嫌気がさす。
ここがどこなのかなんて分からないが、今現在知り合いに会えない事を思えば、元に戻ったら今度は楓ちゃんに会えなくなると考えるのが正しいだろう。

無造作に落ちていたブランケットを拾い上げ、そっと彼女の肩にかける。
自分とは違う、小さくて細い華奢な身体を見て小さく息を吐き出した。

俺は、戻りたい。絶対に戻る。

心の中で決意を呟いて、掌を強く握った。
自覚したばかりの感情には蓋をして気付かなかった事にしよう。でなければきっと持て余すだけだ。

未だに気持ち良さそうに寝息をたてる楓ちゃんの髪の毛を一度だけ梳くように撫でてから、パソコンも部屋の電気もそのままに部屋を出て後ろ手でドアを閉めた。

彼女の鳶色の瞳が自分の背中へ向けられている事など気付かずに。

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水曜日ってタイトルだけど、深夜だしもうほぼ木曜日じゃん!って書いた本人が一番思ってるのでツッコまないでやってください(笑)


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