AofD | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




10

目的地が近づくにつれ速足になっていたが、いざ球場が見えてくると次第に足取りは緩やかになり、やがてぴたりと止まる。
目の前の球場は想像以上に大きくて、念のためにスマホを確認してからもう一度見てみたが、やはりここで間違いないようだ。都大会だし、どこかの学校のグラウンドを借りて試合するのかと思っていたけど、こんなに立派なところで試合するなんてすごいなあ。準々決勝だからというのも関係しているんだろうか。

球場を見上げたまましばらく呆然としていたけれど、わあっ、と中から歓声が聞こえた事で慌てて入場券を買いに足を動かす。ちなみに、学校からの応援はまだないらしく、当然移動車もなかったので自力でバスを乗り継いでここまで来た。思っていたよりも遠くて少し疲れてしまったけれど、歓声に導かれるように進む足取りは不思議と軽い。
――電車に乗れたら、もっと簡単に着いたんだろうな。でも、目蓋を閉じただけで浮かぶあの光景はまだ鮮明で、思い出すと呼吸は浅くなり心臓が嫌な音を立てる。
とてもじゃないけど、まだ電車には乗れそうにない。改札を通り抜ける事すら出来ない気がする。友達を誘おうかとも思ったが、どうしても電車がネックになってしまって結局こうして一人で球場まで来たわけだ。


「わあ、すごい……」


初めて訪れる球場にどきどきしながら階段を上ると、一気に視界が開ける。その時飛び込んできた景色に感嘆の息が漏れた。
人工芝だろうか。鮮やかなグリーンと対照的な土の色。こんなに広いの?って思うくらいの大きさのグラウンドに、沢山の観客。今まで野球とは無縁だっただけにひとつひとつが新鮮で、どこに視線を持っていけばいいのか分からなくなる。


「ここでいい、よね」


青道と胸に大きく刺繍されたユニフォームを着ている集団を見て、ホッと安堵の息を吐く。一塁側とか三塁側とかよく分からなかったので応援席を間違えたらという不安もあったが、どうやら問題なかったようだ。
小さな椅子に腰を下ろすと、つま先から高揚感が込み上げてくる。私が試合するわけじゃないのに、変なの。と一人でこっそりと笑いつつ、スマホを取り出して昨日の一也とのメールを遡った。


『どうしよう、野球のルール分かんない』
『そんな難しいところあったか?』
『試合中にアナウンスとかで詳しくしゃべってくれたりする?』
『いやいや、実況はスタンドじゃ聞けねーだろ』


ネットで野球のルールを調べてみたけれど、自分の知識が基本の基本しかない事に気づかされて頭を抱えたのは昨日の夜の話。一也に相談のメールを送ってみても、最終的には大丈夫だろ。の一言で締めくくられてしまった。
プロ野球や甲子園のテレビ中継なら同時に解説してくれたりするから何となく分かるんだけど、生の観戦は一人で試合展開を把握しないといけない。本当に大丈夫だろうか。
一通り見返したところで、グラウンドに選手が集まってきたのが見えてスマホをしまう。
――ついに、始まるんだ。一礼の後、守備に散らばっていく選手を見ながらぎゅっと両手を握り合わせた。青道は先攻。一也の打順は六番だ。バックボードをじっくりと見ながら一人頷く。

それにしても、すごいな。ピッチャーとキャッチャ―の間って、あんなに距離があったんだ。あの距離で小さなミット目掛けて投げるんでしょ?それってすごい事じゃない?打つ方だって、ボールをバットに当てる事すらすごいと思うのに、バッターボックスからスタンドまでの距離なんて何メートルあるかすら分からないくらい遠い。ホームランって、この距離を打つって事でしょ。うわ、何か信じられないな。
前に一也と行ったバッティングセンターを思い出す。あの時私は当てる事で精一杯だったし、前に飛んだだけで喜んでいたけど、このグラウンドに当てはめればすぐに捕られてアウトになるに違いない。


「……始まった」


双眼鏡とか持ってこれば良かった。そう思うくらいにバッターボックスに立つ選手が小さく見えて、もちろん表情なんてものは分からない。それでも、バットを振る動作だったり、転がっていくボールは見えたので、何とか試合展開についていけてると思う。
着々と埋まっていく塁。多分これはチャンスなんだろう。きっとここに吹奏楽部がいれば、テレビでよく見るように管楽器の音や太鼓の音が響き渡って、音に合わせて声援を送るはず。スタンドが一体となって応援するのは想像だけで楽しそうだけど、残念ながら今日は望めない。
でも、扇動する音がなくても一つ一つのプレーに拍手や声援が沸き起こるし、良く通る声で選手の名前を叫んでる人だっている。初めての応援にも関わらず、私も自然と手を叩いていた。


「打った!すごい!」


守備の間を抜けて勢いよく転がっていくボール。その間にランナーがホームベースを走り抜けていく。つい声を上げてしまったが、どっと沸き上がる歓声に私の声も溶けてしまって気にならなかった。
この前話した時、一也は今日の対戦相手を強いと言っていた。負けないとも言っていたけど、初回なのにもう四得点も挙げているなんてすごい事なんじゃないだろうか。一也はこんなに強いチームで野球をしているんだ。いつもバットを持っていたのも、ずっと自主練していたのもこのチームでレギュラーをとるためだったんだ。と、今更ながらに納得してしまった。


「一也、がんばれ」


あっという間に一也の打順が回ってきて、指を重ねて祈るように小さな姿を見つめる。塁は全部埋まっていて、加点する絶好のチャンスだ。
ゆっくりとバッターボックスに入った一也がぴたりと構えるのを見て、いつかのバッティングセンターでの姿が重なった。
もう随分と前の事なのに、まるで昨日の事のように鮮明に思い出せる。今は表情なんて全く見えないのに、なぜかあの時と同じ顔をしているような気がした。ピッチャーに向ける目は打ち気に満ちていて、真剣勝負だというのに口元はどこか楽しげに笑っている。そして、投げられたボールに対して、バットを大きく振り抜くんだ。

カァン。記憶が現実に重なって、金属バット特有の甲高い打撃音が球場に響いた。白球はぐんぐんと飛距離を増していき、あんなに遠いと思っていたスタンドへ吸い込まれていく。
球場中から上がる歓声がどこか遠くに聞こえ、自分の口からは何の音も出てこない。指一本動かさず、ダイヤモンドを走る一也の姿を只管目で追っていた。
「御幸先輩、スゲー!」ユニフォームを着た集団がいるところからそんな興奮した声が聞こえてくると同時に、他の音も戻ってくる。うるさいくらいの歓声が鼓膜を揺るがす中、自分の頬を伝うあつい雫に気が付いた。

ああ、ダメだ。気づいてしまった。やっぱりどう足掻いたって無駄だったんだ。思い悩んで、答えが見つからず行き詰って。そんなごちゃごちゃした思いが今の一球で全部吹き飛ばされてしまった。
心の中にある靄が全て消えれば、残った想いはただ一つ。自分の気持ちに向き直るも何も、気持ちなんて初めから一つしかなかったんだ。あの時から消えずに燻っていた気持ち。

一也が――好きだ。どうしようもなく、好きなんだ。

back] [next


[ back to top ]