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07 ふくらむつぼみ


「うわぁ・・・凄い」


カァン、と高い音を響かせて飛んだボールに飛びついてキャッチする。その瞬間チームメイト達から上がる歓声に、思わず感嘆の溜息が漏れた。今のプレーだけじゃない。攻撃も守備も、初めて生で見る野球は想像よりも凄くて見入ってしまっていた。
攻守が交代する時にやっと一息つけるくらいに引き込まれてしまっていて、打球が飛ぶ度に高揚感が湧き上がる。もちろん、視線の先にいるのはただ一人だ。

倉持くんが打席に立つ度、呼吸を忘れるくらい真剣に見てしまう自分がいた。走る姿を間近で目にした時には、その速さに唖然としてしまったし。守備でも、絶対に捕れないようなボールを捕ったと思えば、ありえない体勢で投げたりしてアウトにする。倉持くんの一つ一つのプレーが目に焼き付いて離れない。
ずっと野球をする姿を見たいと思っていたけど、いざ見てみたら好きという気持ちがどんどんと加速してしまって、溢れ出してしまいそうだ。


「すみません、ちょっといいですか?」
「はい・・・?」


食い入るように見ていた時、真横から掛けられた声。反射的に顔を向ければ、見覚えのある女の子にギクリと肩が強ばった。
彼女は、倉持くんに何度も声を掛けていた女の子だ。


「彼女気取りで観戦ですか?」
「え、何・・・」
「だって、倉持先輩の彼女じゃないですよね」
「そうだけど・・・」


挨拶も何も無く、鋭い視線と棘のある言葉からは敵意しか感じられない。それもそうだろう。私は何度も彼女の邪魔をしていたんだから、良い話である訳がない。


「邪魔しないでもらえませんか?私が倉持先輩に話しかける度に毎回毎回・・・あからさますぎるし、正直ウザいんですけど」
「・・・確かに邪魔したのは悪かったと思ってるけど」
「私、倉持先輩の事本気なんです。だからもう邪魔しないでください」
「・・・私だって、譲れないから」


思った通り強気な態度の後輩に内心少し怯んでしまったが、何とか表情に出さないように留めた。
会話は直ぐに途絶えて、それからは言葉を交わすことなく視線だけを合わせたまま対峙する。何となく目を逸らしたら負けなような気がするのは私だけじゃないだろう。私達の周りだけピリリとした空気が張り詰めていた。


「哲!ぶちかませー!」


暫く続いたそれは、一際大きな声援が上がった事で終わりを告げる。声につられるように視線をグラウンドに向けて、目を離していた時の状況を確認してからもう一度彼女へと向き直ったが、既にそこに彼女は居なかった。
彼女は倉持くんに抱かれたいというのだろうか。もし私が引き止めなければ、倉持くんは誘いに乗ってしまうのか。
先程の強気な態度とは裏腹に、不安からざわりと心が音を立てた。



◇ ◇ ◇



「はぁー・・・」


自販機の前で一人深い溜息を吐く。週明けの月曜日。それだけでも気分が下がるのに、週末の出来事が上手く処理出来ずに頭の中をぐるぐると回っていて、他の事が手につかない。後輩の強い視線と「倉持先輩の事、本気なんです」と言った言葉が何度も脳裏に浮かんでくるからだ。
折角念願の試合を見れたというのに、浮かれるどころでは無くなってしまった。

ガシャンと音を立てて出てきたパックジュースにブスリと乱暴にストローを刺せば、ほんの少し飛び出したジュースが指を濡らして、また溜息が漏れる。
溜息を吐くと幸せが逃げる。なんてよく聞く話だけど、それが本当なら今日一日でどれだけの幸せが逃げていったのか考えるだけで更に幸せが逃げていきそうだ。


「倉持先輩!」


もう一度吐きかけた溜息を反射的に飲みこんだのは、今一番敏感になっている名前の所為。下に落ちていた視線を上げれば、廊下の先に倉持くんの姿。そして、その背中に駆け寄る女子生徒がいた。

大丈夫。あの時の後輩じゃないし、ただ用事があるだけかもしれない。そう思うのに、振り返った倉持くんがどこか優しい表情を見せたから、心臓をギュッと押しつぶされたような痛みが走った。
倉持くんが煩わしく思っていないなら邪魔するべきじゃない。けど、邪魔せずにはいられない。なんて、常識的感情と自己中心的感情の相反する心が葛藤するが、結局早足で二人のいる方へ向かってしまうのだから、倉持くんを取られたくないという自分の欲求には逆らえないのだろう。

それでも邪魔をするのは憚られて、少し離れたところで二人の様子を見つつ、会話が途切れたところで控えめに声を掛けた。


「く、倉持くん」
「あ?」
「あの・・・」
「ヒャハハ!マジかよ!」


訝しげな視線は直ぐに驚きに変わり、ぱちりと瞳を瞬かせる。そして、弾けたように笑い出した倉持くんに今度は私の方が目を瞠った。
ツボに入ったのかお腹を抱えて笑っている倉持くん。目の前で笑われてるこの状況をどこか信じられない気持ちで呆然と見ていた。
だって、こんな・・・まるで気を許してくれたような笑い方、野球部の誰かと話している時にしか見たことない。女子の前では絶対にこんな風に笑わないのに・・・。


「やべ、笑い止まんねぇ。吉川、これ渡せばいいだけか?」
「はい!お願いします。失礼します!」


頭を下げて慌しく去っていく女の子。廊下を曲がってその姿が視界から消えるまで見ていたのは、未だにこの状況が理解出来ずにいたからだ。
あの女の子は本当に何か用事を済ませようとしていただけだったのか。いや、それよりも倉持くんがこんな風に笑うなんて・・・信じられない。
まだ笑いは収まらないようで、背後から微かに聞こえる笑い声に段々と恥ずかしくなってきた時、トスッと頭を叩かれた。手ではなく、何か軽いものが当てられた感触に恐る恐る振り向いてみれば、ノートのようなものを手にした倉持くんがニヤリと口角を上げて笑っていて、ドクリと心臓が跳ねる。


「あー、笑った。こんな所でまで声掛けてくるとか必死すぎだろ」
「・・・ごめん」
「あいつは野球部のマネージャーだぜ。一年の」
「えっ!?そうなの?」
「そーそー。御幸に頼まれてたやつ渡して欲しいんだってよ」


ああ、完全に早とちりじゃないか。恥ずかしくて居た堪れないけど、倉持くんの声音が軽い事で少しだけ救われた。そういえば、二人きりで話すのは私が告白した時以来かもしれない。いつもは御幸くんがいるし、御幸くんを挟んでの会話も多いから。
倉持くんと二人きり。改めてそう思うと、素直な心臓がドキドキと煩く騒ぎ出した。


「お前が思ってるような事じゃねーから」
「・・・ごめん」


最早謝るしかなくて、自分の失態と倉持くんと二人きりの空間にどんどん顔に熱が集まってくる。
折角会話が出来るチャンスなのに、さっきからまともに話す事すら出来ていない。何か話さないとと思えば思う程話題は浮かんでこなくて、沈黙が流れた。


「疑うのも無理ねぇとは思うけどよ」


それを払拭したのは倉持くんの一言で。先程までの笑いを収め、どこか真剣みを帯びた声に思わず顔を上げて倉持くんを見やる。
倉持くんもまた、私を見ていて。図らずも視線が交わった。
いつもの鋭さを潜めた瞳に魅入られていれば、倉持くんの口角がゆっくりと持ち上がって意地悪くも柔らかい笑みを作り上げる。


「ま、これからも頑張って止めてみろよな?」
「え?」
「頑張るし、しつこいんだろ?楓が言ったんだぜ」


ヒャハッと楽しそうに一つ笑った倉持くんは、私がずっと持ったままでいた紙パックのジュースを攫うとそのまま無遠慮に飲み始めた。そこで漸く、買ってから一口も飲まずに持ったままだった事を思い出したけど、今はどうでもいい。
初めて呼ばれた名前と言われた言葉を、頭の中で何度も反芻する。強引すぎる態度は自覚していたし、鬱陶しがられていると思っていたけど・・・そうじゃなかった?むしろ、引き止めて欲しいというような物言いだった。

ねぇ、倉持くん。そんな事されたら私・・・期待しちゃうよ。
最初は気持ちを伝えるだけでいいと思ってた。あわよくば、記憶に残りたいとも。そして昨日までは、女の子に対する見方を変えてくれる切欠になれればいい。それだけだったのに。
名前を呼ばれて、笑顔を向けられたら・・・これから先、倉持くんの隣に居たいという欲が出てくる。
彼女になりたいって・・・思っちゃうよ。


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