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陽炎にキス 09

濡れたような黒色の瞳に揶揄いは一切含まれておらず、真剣そのものだ。黒尾さんを纏う雰囲気が一瞬にして変わって、空気さえもピリッと緊張が漂っている気がする。まるでこの空間だけが切り取られてしまったかのように、壁を隔てて聞こえていたきゃらきゃらとした笑い声がどこか遠くになった。
知らぬうちに奥歯を噛みしめていた事に気付いて力を緩めれば、微かに震える唇。
大丈夫、覚悟はとうに決めたじゃないか。今更逃げも隠れも誤魔化しも必要ない。すうっと大きく息を吸いこみ、言葉とともに吐き出した。


「好きです。黒尾さんが、ずっと」


一言一言区切るように言うと、今までの想いがぶわりと溢れてくる。黒尾さんを好きになってからの事。仕事中交わされていた雑談にはいつも耳を澄ませていたし、ミスをフォローしてもらった事もある。彼女が居ると分かった時には随分と落ち込んだけれど、嬉しくて浮かれる事も沢山あった。以前黒尾さんに買ってもらったカフェオレは今までよりももっと好きになったし、あれから毎日のように飲んでいる。
やっと伝えられた解放感とこれで終わってしまうという寂寥感が複雑に交じり合って、笑いたいのか泣きたいのか自分でもよく分からない。


「でも、今日で終わりにします」
「え、なんで?」
「何で、って!だって・・・敵わないですもん。もう、疲れちゃいました」


黒尾さんから終わりの言葉を聞きたくなくて自らの口で告げれば、驚いたような声が上がる。黒尾さんにとっては都合が良いはずなのに、何をそんなに驚く事があるんだろうか。だって、ここで二番目でもいい。なんて縋る女は面倒でしょう?
リンさんという彼女がいるなら、私の好意は迷惑でしかないじゃないか。


「・・・敵わないって、何に?」


理由なんて言わなくても明白なはず。なのに、分からないとばかりに首を傾げる黒尾さんにカチンときた。白を切るつもりだろうか。それとも、わざと私の口から言わせようとしているんだろうか。どちらにせよ腹が立って、キッと睨みつけるような視線を向けた。


「いい加減にしてください!黒尾さんにはリンさんっていう彼女がいるんですよね?会社でも散々言ってますよね。一緒に住んでるんですよね?そんなの・・・・・・無理じゃないですか」


もう冷静に話すなんて無理で、感情のままに事実を突きつける。でも、実際に一つ一つを確認するように声に出すと、逆に自分自身に突き刺さってじくりと心が痛んだ。ただでさえ傷心なのに、更に傷口を抉られて何だか泣きそうだ。
あれだけ泣かないようにと我慢していた涙がみるみると込み上げてきて、勢いも尻すぼみになっていく。震えながら出した声は消え入りそうなくらい細かったけれど、それでも黒尾さんにはちゃんと届いたらしい。驚いたように目を瞠っているという事は、私がここまで知っているのを知らなかったんだろう。


「リン・・・?」


ポツリと呟かれた彼女の名前は、黒尾さんの口から一番聞きたくなかったもの。それを耳にした途端、ついに涙腺が決壊して生温かいものが頬を伝っていった。
一度流れてしまった涙は止まる事なくぼろぼろと零れ落ちるが、それを拭う事もせずに、ただ黒尾さんの言葉を待つ。告白して一人で怒って勝手に泣いて、感情が不安定にも程があるし迷惑極まりないな。なんて、会話が途切れてほんの一、二秒の間に少し冷静さを取り戻した頭で考えていれば、突然黒尾さんが「ブヒャッ」と何とも形容しがたい声とともに噴き出した。俯いて肩を小刻みに震わせ、ついには堪えきれないとばかりに声を上げて笑い出す。それはもう、思わず涙も止まってしまうくらい盛大に。
今の会話の中に笑える要素なんてあっただろうか。私の複雑な気持ちすらも吹き飛ばすかのような笑い方。呼吸もままならないのかお腹を押さえてヒィヒィと苦しそうな声を出す姿を呆然と見ることしか出来ない。


「あの・・・」
「あー、久しぶりにこんなに笑ったわ」
「黒尾さん?」
「ああ、悪い悪い」


一頻り笑った後、涙を拭うような仕草を見せた黒尾さんは悪びれなく謝ってから再び私へと視線を向けた。ただ、先程と違うのはその瞳が優しげに細められていて、口元も緩く弧を描いているという事。あまり見たことの無い柔らかい表情に思わず息を飲めば、「そうか、だからか」と一人納得したように頷いていた。


「・・・何がですか?」
「んー?コッチの話」


ああ、これは言うつもりがないな。今まで黒尾さんと一緒に仕事をしてきたから分かる。こうやって話を逸らす時は何を聞いても上手くはぐらかされてしまう事を。一人で納得してないで、私にも教えて欲しいんですけど。なんて、心の中で言ったところで通じるはずもない。
何だか今日は一日中黒尾さんに振り回されている気がする。それこそ起きた瞬間から黒尾さんのことを考えていたし、黒尾さんの言動に逐一感情を揺さぶられていた・・・って、これは別に今日に限っての事じゃないか。兎に角、今私はどうするべきなのか教えてほしい。終わりの言葉は聞きたく無かったけど、中途半端に放置されている今の状況も中々辛いものがある。え、もしかしてこれで話は終わりって事はないよね?
そんなわたしの想いは露知らず、当の本人は時折思い出したように笑いながら上機嫌な様子で飲みかけのビールを流し込んでいる。みるみる減っていく琥珀色の液体よりも、嚥下する時に動く喉仏に目がいってしまうのは仕方ないだろう。そして、ゴンッと空いたジョッキが鈍い音を立てて置かれたかと思えば、そのままの勢いでなぜか立ち上がった。


「出ようぜ」
「え・・・?」


私の返事を聞かずに遠ざかっていく大きな背中。それに遅れて数秒後、慌てて鞄を掴んでその後を追った。黒尾さんが何を考えているのか分からないのはいつものことだけど、いつもに増して意図が読めない。黒尾さんに追いついた時には既に会計は済まされていて、二人並んで外に出るとアルコールで火照った体を冷ますように夜風が強く吹き付けた。


「黒尾さんっ、ちょっと」
「ん?」
「私も払います!いくらでしたか?」
「今日はいいよ」
「いや、私が誘ったんですし」
「いいって。ハイ、それしまって」


全然良くない。仕事終わりにコンビ二に寄ってちゃんとお財布の中身を潤わせてきたし、むしろ今日は奢るくらいの心構えでいたのに。黒尾さんのこの様子だとどれだけ粘っても受け取ってもらえそうになくて、どうしようかと思案していれば、そのかわり、と頭上から声が掛かる。


「ちょっと着いてきてもらっていい?」
「いいですけど・・・どこへですか?」
「――俺の家」


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