HQ | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




陽炎にキス 10


「黒尾さんっ、あの・・・」
「大丈夫。何もしねーし、高宮さんの誤解解くだけ」


戸惑いに揺れる私なんてお構い無しに前へ前へと足を進めていく黒尾さん。置いて行かれないよう反射的に後を追うけど、果たしてこのまま着いていってもいいんだろうか。
だって黒尾さんはリンさんという彼女と同棲しているはずで。この時間だったら家で待っていてもおかしくない。いつも出迎えてくれる、なんて話を耳に挟んだ事があるし、きっと彼女の帰宅は早いだろうから。黒尾さん自身に何もするつもりがなくとも、彼女の方はどうなのかは分からない。修羅場だけは勘弁願いたいところだ。


「誤解って?」
「誤解は誤解。そのままの意味だよ」
「そうじゃなくて。私は何を誤解しているんですか?」
「それは来れば分かる」


堂々巡りの会話に小さく溜息が漏れる。一体何が誤解なのかと自身で考えてみても、答えは導き出されず疑問は深まるばかり。全ての答えを持っているのは黒尾さんだけなのに、この調子である。本当に家に行くまで教えるつもりはないんだろう。


「あの・・・」
「ん?また質問?」
「家に・・・居るんですか?」


名前を言うのが憚られて濁した質問も、笑顔で簡単に躱されてしまう。それも来れば分かるって言われても、ほいほい着いていく事が出来ないから困っているんじゃないか。何もかもが有耶無耶なままなのに、黒尾さんの足取りだけは迷いがない。何が正解なのか考える余地もないまま、自宅と黒尾さんの家との分岐点である曲がり角に着いてしまった。
ここを曲がれば自宅。そのまま進めば黒尾さんの家。迷いを表すように足がぴたりと止まり、アスファルトに貼りついてしまったかのように動かない。


「高宮さん?」
「・・・やっぱり」
「ホントに大丈夫だから。おいで?」


やっぱりこのまま曲がって自宅へ帰ろう。そう思ったのに、手招きとともにふわりと優しい言葉で促されると、自分の意思に反して足が勝手に直進を選んでしまった。こうなるともう、行先は一つしかない。


「ここ、俺んちね」


そして歩くこと数分。以前黒尾さんが言っていた通り、私の家からさほど離れていない場所に彼の家はあった。指で指し示された時、往生際が悪く逃げ出したい気持ちが最大限まで高まっていたけれど、数々の疑問の答えが気になるのもまた事実で。結局どこまでも黒尾さんの手の上で転がされているような気がしてならない。
じとりと恨みがましい視線を向けてみても、先程と同じように軽く笑っただけでいなされてしまった。


「どーぞ」


ガチャッと解錠した音がやけに大きく聞こえる。開いた扉を押さえながら中へと促され、緊張から呼吸が浅くなった。どくんどくんと強く脈打つ鼓動は緊迫か緊張か、あるいは微かな期待なのか。
玄関に花が置いてあったりパンプスが並べてあったりしたら一目散に逃げ帰っていただろうけど、目に入ったのは一足のスニーカーだけ。大きさからいって黒尾さんのものだろう。その事に密かに安堵の息を吐きながら、重い一歩を踏み出した。
ここが大丈夫だったからといって、この先に何が待っているのかは分からない。でも、ここまで来たのなら、全ての答えが知りたかった。


「上がって」


ぐちゃぐちゃな心理状態でそれどころじゃないというのに、好きな人の家というだけで妙な高揚感が湧き上がる。ふわっと鼻腔を擽る香りが黒尾さんのものだと気づいてしまったり、視線をあちらこちらに忙しなく動かして些細な情報も得ようとしてしまう。
緊張からなのか冷たくなっている指先で靴を揃え、ゆっくりと一歩ずつ足を進めていけば簡単にリビングへと辿り着く。電気の付いてない暗闇の空間には誰の気配も感じなくて、ふっと肩の力を抜いた。


「リン?あれ、寝てんのかな」


でも、それも一瞬のこと。黒尾さんが発した一言により、ピリッとした緊張感が自分に纏わりつくのが分かる。
なんだ。やっぱり、そうじゃないか。暗く沈んだ私の気持ちとは裏腹に、パチリと電気が付けられて明るく照らされた部屋。痛む胸の辺りをギュッと掴みながら立ち尽くしていると、どこかの部屋へ行っていた黒尾さんがひょこりとリビングへ顔を出した。
私の顔を見るなり驚きに目を見開いたかと思えば、心配そうに眉を下げる。私はそんなに酷い顔をしているんだろうか。


「そんな顔すんなって」
「・・・はい」
「リンは、コイツだよ」


ヒュッと息が詰まり、呼吸が止まる。人間、本当に驚いた時には声も出ないらしい。
大人しく黒尾さんの腕の中に収まり、くるりとした黄金色の瞳は部外者を見定めるように私を映す。黒く艶やかな毛並を黒尾さんの大きな手が撫で付ければ、気持ち良さそうにその瞳を細めた。


「う、そ・・・」


全部が繋がった瞬間、自分を奮い立たせていたものが無くなり、力が抜けてその場にペタリと座り込んでしまう。けれど、思考だけは目まぐるしく動いて今までの出来事を思い返していた。
黒尾さんが早く帰りたかったのは、この子の為。旅行する時も、この子と一緒に泊まれる場所を探していた。
女の人と同棲してるんじゃなくて、猫と一緒に住んでいたんだ。
黒尾さんが教えてくれなかった答えが何なのかを理解した時、スッと一筋の涙が頬を伝った。安堵とか、色々な感情が混ざりあった複雑な涙だった。


「俺は、高宮さんが入社してきたときから結構気になってて、声掛けたり誘ったりしてたんだけど」
「・・・」
「凄く嬉しそうに笑ったかと思えば、泣きそうな顔をする時もあって」


それはそうだろう。好きな人と話すのは純粋に嬉しいけれど、彼女の事が頭を過ぎった時には上手く笑えなくて、喜びよりも先に違う感情が生まれてしまっていたから。


「それが何でかずっと気になってたんだけど。まさかコイツだったとはな〜」


座り込んだままの私の前にしゃがんだ黒尾さんが、リンちゃんを抱き上げてぶらん、と宙に浮かせるような体勢にすると、それが気に入らなかったらしく、器用に身を翻してストンと床に降り立った。
後は勝手にしろ、とでもいうような視線をこちらへ残して奥の部屋に消えていくのをジッと見ていたけど、「高宮さん」と呼ばれた名前に顔を戻す。
するとそこには照れくさそうな、今まで見たことの無い表情で笑っている黒尾さんの姿があって。


「俺も、ずっと好きだったよ」


絶対に聞くことがないと思っていた、夢みたいな言葉が優しく鼓膜を震わせた。


back] [next


[ back to top ]