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陽炎にキス 06


お昼休憩も終わった午後の時間、どことなく緩い空気が流れているのは今日が金曜日だからだろうか。暦通りで稼働しているうちの会社は土日が休み。それに加えて来週の月曜日は祝日のため、明日から三連休だ。なので多少浮ついたこの空気も仕方ないのかもしれない。


「あー、金曜だし飲みに行きてえ」
「行けば」
「給料日前で金ねーんすもん。ねえ、黒尾さん」
「そういうのは部長に言ってくれませんかね。ボクはしがない平社員なので」


月の半ばということもあり、急ぎの仕事も抱えていないせいか皆の雰囲気は明るい。仕事中に堂々と部長に飲みの話を持ち掛けているあたり、ちょっと浮かれすぎじゃないかと思わなくもないけど。
まぁ、私には関係ないな。と皆の会話を耳で拾いつつ黙々と資料を作成していれば、「高宮さんもたまにはどう?」と横から声を掛けられ、パソコンから顔を上げた。

笑顔を浮かべながらそこに立っていたのは同期の姿。いきなり何なんだと多少訝し気な目を向けつつ、断ろうと口を開いた。


「部長は高宮さんが行くなら行くって!どう?」


だけど、そう言葉を続けた同期の「行くよな?」という心の声を表すかのような目は拒否を許さないように見えるのは気のせいじゃないだろう。
部長が行くのならほぼ確実に奢り。もしくは、負担金はほんの僅かで済む事は今までの経験から分かっている。なぜ私なんだと一瞬思ったが、この部署の女子社員は私の他に派遣社員が二人だけ。派遣さんたちは飲みの場があまり好きではないのか、こういう類の話は頑なに断っているので私に白羽の矢が立った、という所だろう。

まぁ、部長も悪い人ではないし、セクハラをされるわけではない。そして、同期のこの必死な視線を見ないフリも出来そうになかった。となれば答えはもう一つしかない。そんなにも飲みたいのかと呆れずにはいられないが、溜息混じりに了承を伝えれば更に浮ついた空気のおかげで午後は殆ど仕事にならなかった。




◇ ◇ ◇




「カンパーイ」


誰に声を掛けたのかは知らなかったけど、部長と黒尾さん、話好きな同僚と私に声を掛けて来た同期、そして私。思っていたよりも少人数の集まりに内心ホッとしながら、鈍い音を立ててジョッキを突き合わせた。

話し好きな同僚を筆頭に会話は弾み、仕事の話からプライベートに至るまで時々笑い声を上げながらテンポよく会話が飛び交う。私は基本的に相槌を打ったり話を広げるのに専念して、自分の事になると不自然にならない程度に上手く躱していた。
基本的に忘年会や歓迎会などの部署全体でやるような大きな飲み会にしか参加しないから、少人数のこの雰囲気は新鮮だし、思ってた以上に楽しい。それに・・・。

チラリと横目で確認したのはジョッキを傾けている黒尾さんの姿。
仕事中だとプライベートの話を聞く機会なんてないから、飲み会の時にこうして黒尾さんの私生活の話が聞けるのは嬉しかった。確か高校の時にバレーボールをしてたって聞いたのも飲み会だったな。
その時はもう黒尾さんの事が好きだったのに、「だから背が高いんですね」なんて面白くも無い答えしか返せなかったのを良く覚えてる。

今日も何か黒尾さんの話が聞けるといいなぁ。と思った時、ジョッキを机に置いた黒尾さんが仰ぐように天井を見たのが目に入った。


「あー、どこか旅行行きてぇな」
「旅行?いいッスね!」


吐き出すように放った一言は皆の耳にも入ったようで、すぐさま同僚が食いつき皆の視線が黒尾さんの方へと向く。
これはもしかしてプライベートを聞くチャンスなんじゃないだろうか。思ったより早くやってきた好機に居住まいを正して、聞きとり易いように少しだけ身を乗り出した。


「別にお前と行きたいワケじゃないですけどー?」
「酷くないっスか?たまには一泊で行って帰りを気にせず飲みたいですよ、俺。ねえ、高宮さん?」
「え?うーん、どうかなぁ」


急に振られた話題に空笑いで誤魔化したけれど、どうやら同僚は私の反応が置きに召さなかったらしい。分かりやすく不満そうな顔を浮かべたのを見て、作っていた笑いが引き攣った。でも、会社の人と遠出して泊まりで飲みなんて即座にお断り案件なんだからしょうがないじゃないか。

あぁ・・・でも、黒尾さんと一日ずっと一緒に過ごせるんだったら行きたいかもしれない。社員旅行も一応あるけど、大規模すぎてほとんど個別行動だし、皆が揃うのなんて少しの時間だけ。それが部署でやるとなれば一緒に居る時間も増えるんじゃない?

アルコールを摂取しているせいか楽しい事ばかりを思い描いてしまい、口元がニヤけるのを隠すためにグラスに口を付ける。そのままごくりごくりとお酒を喉に流し込めば、更にアルコールが体内に広がったような感覚を覚えた。

久しぶりの外で飲むお酒に、美味しいおつまみ。楽しい空間に、好きな人。
適度のアルコールで浮かれ始めた気持ちはふわふわとして心地いい。


「あれ?でもいいんですか?」
「ん?何が」
「あの子置いていくんです?」


今日来て良かったな。と結論付けたところで発せられた同僚の一言に、ふわふわとしていた思考が一気に冷や水を浴びせられたかのように冷めていく。


「いやー、だからリンも一緒に行ける所探そうと思って」
「なるほど。相変わらず溺愛してますねー」
「モチロン」


リン。という名前を聞いた瞬間、頭を鈍器で殴られたような衝撃に見舞われた。
今まで彼女の存在を匂わせてはいたけれど、こうしてはっきりと名前まで聞くのは初めてだ。

二人で旅行。そっか・・・仲いいじゃん。私が入る隙なんて、あるように見せかけていただけで全く無かったって事か。

やっぱりただの職場の後輩。それだけの関係でしかないんだ。


「高宮さん、どうした?」
「あ、ちょっと・・・久しぶりに飲んだからですかね」


さっきまで浮かべていた笑顔は鳴りを潜めて、自然と眉間に皺が寄り下唇を噛みしめる。表情すら取り繕うことが困難で、誰にも覚られないように俯いた。皆酔っぱらってるし、この場をやり過ごすくらい大丈夫だと思っていたのに、目敏くも気づいて声を掛けてきたのは皮肉にも黒尾さんだった。

ちょうど良い。気分が悪いフリをして抜けさせてもらおう。人として最低の行為だけど、この話題が続いたらこの場の空気を壊しかねない。「少し気分が悪くて」そう告げれば、皆口々に帰宅を促してくれて、その優しさに甘えた。
すみません、ごめんなさい。色々な意味を込めて部長や同僚に頭を下げてからそっとお店を後にして、月すら浮かんでいない真っ黒な空を見上げながらじくじくと痛む心に蓋をしようと深く呼吸を繰り返す。

分かっていたじゃないか。今までだって何度も期待して、その度に打ちのめされる。
毎回身に染みるのに、好きな気持ちは止められない。止められないからこそ、また同じことを繰り返す。
分かっている筈なんだけど、流石に今回のはキツかったな。
今まではっきりと示されることは無かった、曖昧だった存在。それが確かなモノに変わった瞬間は堪えた。

動揺を隠せなかったせいで、折角誘ってくれた同僚にも部長にも悪い事をしてしまったし。休み明けに何かお詫びをしなきゃな。罪悪感を払拭するために、そんな事を考えながら帰り道を歩いていた時。


「おーい、高宮さん」


今、一番聞きたくない声が背後から掛けられた。


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