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陽炎にキス 04

カチャカチャ、カチカチ。誰かがキーボードを叩く音、自分がマウスを操作する音が響いているのは気のせいではないだろう。誰一人と言葉を発しないせいで、いつもは気にならない音がやけに耳に付く。

他の部署に比べれば割と和やかな雰囲気のうちの部署。なのに今日は珍しくピリピリとした空気が流れていた。それが何故か、なんて考えなくてもすぐに分かる。
このフロアの雰囲気を左右しているのは、いつも黒尾さんなのだから。

事ある毎に黒尾さんに軽い話を振っている同僚でさえ、今はその空気を汲み取っているのか黙々と自分の仕事をこなしているから余計にかもしれない。
こういう時に空気を変えてくれる上司は今日に限って直行直帰。ついてない。目の前に座っている二人なんかはそろそろ限界なのか、「お前が声かけろよ」「いや、お前がいけよ」という何とも情けないやり取りをしているし。絶対あなた達ナンパとか出来ないタイプだね。なんて、声一つかけられない二人に心の中で毒づいて大きめの溜息を吐く。
目の前の二人の視線が私へと向いたのに気づいたが、視線は合わせずに手元の資料にデータ印を押し、席を立った。


「黒尾さん、確認お願いします」
「ん?あぁ、そこ置いといて」
「・・・どこか調子でも悪いんですか?」


今日一日この雰囲気で。というのも仕事がしづらい気がしたのでさり気なく聞いてみればゆるりと黒尾さんの瞳が私へと移される。黒い瞳が私を捉えた瞬間にどきりと心臓が音を立てたが、今はそんな場合ではないと口元をキュッと結んだ。
だけど、視線が合ったのも束の間。スッと伏せられた目蓋と微かに落とされた溜息。


「俺は元気なんだけどな。昨日の夜から調子悪そうでさ」
「え・・・」
「早く帰って病院連れて行ってやりたいんだけど、今日の会議外す訳にいかないからな」


ああ、そうか。不機嫌だったわけではなく、心配してたんだ。
黒尾さんの言葉と不意に見せた表情から誰の事を言っているのか察して、ピクリと頬が引き攣った。

この間の帰り道では彼氏がいるか聞いてきたり、可愛いとかご飯の事とか思わせぶりなことを言ってたくせに。やっぱり彼女が一番なんじゃないか。あわよくば二番目とかキープとか思ってたりするのかな。だったら最低だけど、そんな顔をするくらい彼女が大事ならどうして私なんて誘うんだろう。

やっぱり昨日の会話はいつもの軽口で、ご飯だって別に何とも思ってないから。黒尾さんはただの後輩だと思ってるから気軽に誘ってるだけなのかな。

大体、彼女にしても病院くらい一人で行けないんだろうか。歩けない程の体調の悪さならともかく、子供じゃないんだから。
なんて、性格の悪い考えを持ってしまうのはただの嫉妬だって、分かってる。分かってるけど、こんな風に心配してもらえて大事に思ってくれるとか、幸せだろうな。羨ましいな。と、好きな人に想われているのを妬んでしまう自分の心。


「早く、良くなるといいですね」


微塵も思っていないクセに、良く思われたいというあざとさから口に出した言葉は全く心がこもっていなかった。けど、黒尾さんは力なく笑いながら「ありがとな」と言ってくれて、心が爪を立てられたようにズキリと痛んだ。

私との会話で気が紛れたのか、黒尾さんは調子を取り戻したようでフロアにも段々と会話が戻ってきている。それでも、ふと切なげな表情を浮かべる時があって。それを見る度にズキズキと心に爪痕が増えていく。
見なければいいのに、見たくないのに。身体は動作を覚えてしまっているのか勝手に視線が黒尾さんへと向いてしまう。

そんな事を繰り返していた所為で精神的に落ち込んでしまい、今度は私の体調が悪いんじゃないかと同僚に心配されてしまった程。
仕事に身も入らないし、有休もたっぷりと残っているから本当に体調が悪いフリをして帰ってしまおうか。一瞬そんな思いが頭を過ぎったが、こんな事で休んでいたらその内出社すら出来なくなりそうだ。

声を掛けてくれた同僚には得意先に小言を言われてしまったと、不自然にならないように誤魔化して、雑念を追い払うべく面倒くさくて今まで放置していた仕事に取り掛かった。
細かい資料の作成は集中せざるを得なくて、必死にキーボードを叩いていれば時間が過ぎるのはあっという間。

一段落したところで固まった身体をグッと上に伸ばしていると、視界に入った黒尾さんの席に誰も居ないのに気付く。
ホワイトボードを見れば会議室の文字。あぁ、そういえば今日は午後から会議だって言ってたっけ。席を外した事にすら気付かないなんて、余程集中していたんだな。


ちょっと一息つこうと思い、机の中からこの間黒尾さんに貰ったお菓子を取り出す。コーヒーは置きっぱなしで既に冷え切っていたが、まぁいいだろう。
個包装の袋をなるべく音を立てないように破いて一口齧れば、甘さが広がって疲れた身体に染み渡るようだった。続いてコーヒーを飲めば苦味で甘さが調和されて、ほぅっと満足気な息が口から漏れる。


「なぁ、俺昼休みの時に黒尾さんに聞いたんだけどさ」
「何を?」
「今日ピリピリしてた理由」


最後の一口を口に放り込んだところで目の前の二人が会話を始めたが、その内容に咀嚼していた動きを止めた。
なぜ黒尾さんがピリピリしていたか、なんて。本人に直接聞いたから知っている。知っているからこそ、聞きたくなかった。


「あの子が体調悪いんだってさ。心配性だよな、黒尾さん」
「そうだったんだ。スゲー溺愛してんね」
「まぁ、可愛いしなー。気持ちは分かる」
「え?お前見たことあんの?」
「写真見せて下さいって言えばニヤニヤしながら見せ付けてくるぜ」


口の中に含んだままのお菓子がどろりと溶けて、うまく嚥下できない。会話していた二人は既に切り替えているのかもう仕事に向かっていたが、溺愛、可愛いと言った言葉の端々が頭の中でこだましていて耳を塞いでしまいたかった。

残りのコーヒーで流し込み、不自然にならない程度の早足でトイレへと向かう。個室の扉を閉めて完全に一人きりの空間になった途端に、鼻の奥がツンとして込み上げてくる涙を必死で堪えた。

あぁ、もう。折角立ち直ったところに聞きたくもなかった情報を聞かされるなんて。やっぱり、帰ってしまえばよかった。

会議から戻った黒尾さんが急いで帰る姿なんて見たくない。だから、あと少し定時まで頑張って、黒尾さんよりも先に帰ってしまおう。
無機質な扉をジッと眺めながら、落ち着くまで繰り返し自分に言い聞かせた。

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黒尾さん出番少ない・・・
早く動かないかなー。と思いながら書いてます。


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