「忘れようと思っても、そうそう忘れられるものじゃない」
 これには皆が弾かれたように顔を上げる。
「酒で忘れることでもない。……本当に忘れられるもんですかね?」
 再び煙草を取り出し、二本目に火をつける。くゆる紫煙を見守り、出方を待った。
 すると、自分の煙草を見つめていた梓が喉の奥で笑い始めた。あまりにも場違いな音に山戸らは一瞬驚いたような顔になるも、その苦笑は伝染していき、一人また一人と口許を綻ばせていく。
「そうだよなあ……無理だよなあ……」
 くつくつと抑えた笑い声が響くが、その音に先刻のような華やかさはない。
 ただ、もうどうしようもない所まで自分たちが来てしまった事への落胆と、そうなることを選択した自分を呆れる色に満ちている。聞いているこちらまでが空しい気分に襲われた。
 ひとしきり笑い終え、山戸の呟きに応えた入野が顔を上げた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「忘れちゃいけないんだ。……だって僕らは」
 その瞬間、嵐の背後で力強く廊下の襖が開け放たれ、光が射しこんだ。あまりに白い光に驚いて振り向くと、小さな人影が腰に手を当てて仁王立ちになっている。
「何してるんですか」
 朱里が驚きに満ちた声で問うた。きょとんとした顔を嵐に向け、更にその口にくわえた煙草を認めてさっと顔色を変える。
「ここは空き室です。もしかして一晩……」
「いやいや、大丈夫、大丈夫。さっき起きたばかりだから」
 煙草を突っ込んだカップ酒の瓶を持ち、立ち上がった。そして未だ訝しげな視線を向ける朱里を廊下に出しつつ、嵐はちらりと暗い室内を振り返った。
 そこに、梓らの姿はなかった。あれほど空けていたはずのカップ酒の瓶もなく、彼らがいた名残といえば天井に凝る煙草の煙と、妙に暖かい温度のみである。
 くわえていた煙草もカップ酒の中に突っ込んで消すと、嵐は後ろ手に襖を閉じた。
「起きたって……」
 嵐とその後ろで閉じられた襖を見比べ、朱里は不審そうに尋ねる。
「空き室に一晩中いたんですか? 一人で?」
 まるで妙なものでも見るような目で見られていい気はしない。どう弁明したものかと頭をかいていると、そこへ数野がやって来た。前掛けをつけた状態で、既に彼らの仕事は始まっているらしい。
「どうしたの」
 朱里は数野を振り返り、その手を掴んだ。
「このお客さん、ここの部屋で寝てたんだって」

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