それだけを言うと男の姿は完全に掻き消え、後に残る桜の木もまるで別れを告げるかのようにざわめく。そしてはらはらと花弁を舞い落とし始めた。
 言葉もなく、落ちる様子を眺めている嵐の後ろで勢いよくドアが開く音がし、屋敷の中から石本が飛び出してくるのが見えた。
 屋敷の中に彼がいたことに驚いたが、それ以上に驚いているのは石本の方だった。
 突然上司が消えたと思ったら屋敷から出られない。外の様子がわかるにも関わらず、ドアや窓の類に触れることすら叶わなかった。槇の姿を探しつつ屋敷内をさ迷っていたら突如として屋敷が揺れ、凄まじい爆発音がする。何事かと音のする庭へ出てみれば、満開の桜の下に消えたはずの槇と、何故か嵐がいるのだから驚くしかない。
 だが、一通り驚き終えた石本は体中の力が抜けるのを感じ、その場にへたりこんだ。
「……一体、何が起きたんですか……」
 大きく深呼吸を繰り返す石本へ、ようやく体を起こした槇も頭上に疑問符を点滅させて応える。
「……あ?」
 呆けたように桜を見上げるが、そこから答えが降ってくるはずもない。それから思い出したように懐や袖の中、果てにはズボンの中まで槇は探り出し、不審そうに見つめる嵐に向かって結論を述べた。
「お前、日記知らね?」
 嵐は槇の方へ体を向け、それから石本へと視線を転じる。だが、石本も緩慢な動作で頭を振った。
「槇さんが持ったまま消えちゃったじゃないですか」
「いや、オレ持ってねえって」
「じゃあ知りませんよ。もう何が起こってもここならおかしくないと思えるのは、変ですかね。日記の一つぐらい消えても大事にはなりませんよ」
 どうやら槇以上に石本の方が、適応能力が高いようだった。
「それよりも今は少し休ませて下さい……疲れた……」
 首元のボタンを外し、ネクタイを緩めてその場に体を投げ出す。槇もそれ以上追及する気にはならなかったようで、同じく桜を眺める。
「お前、何か知ってるだろ」
 ぼけらと桜を眺めながらも、本来の洞察力が顔を覗かせる。嵐は肩をすくめてみせてその場に座った。
「さあ」
 曖昧に答える嵐の様子に鼻を鳴らして諦めた槇だが、やがて、桜を見ながら気付いたように声をあげた。
「……これ、枯れてないか」
 後ろで寝転がっていた石本が起き上がり、槇の横に近寄って桜を仰ぐ。
「本当だ。……こんなに勢いよく枯れるものなんですか」
「馬鹿、んなわけあるか」
 じゃあ、と言い掛けて石本は嘆息と共に反論するのを止めた。
「……考えるだけ無駄かもしれませんね」
「………だな」
 珍しく意見の一致した二人は今度こそ、最期の桜を見るに徹することにしたようだ。
 さらさらと、木の作り出す影へ向かって花弁が舞い落ちる。暗闇ばかりだったそこにはようやくにして光が当たり、初めてそこに光があることを知った。
──大丈夫、待つことには慣れている。
 目を閉ざさず、耳を閉ざさず、そこにあるものをただあるがままに受け止めることが出来るなら。
 桜は花を散らす。
 やがて来る、本当の春を静かに待っている。



待ち人の桜 完

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