だが、怒りは不思議と湧き起こらなかった。色々と起き過ぎて頭の回転が追いついていないのもあるが、それ以上に気になっていることがあった。
「弥彦は。父親と会えましたか」
 完全にホワイトアウトする寸前、嵐は弥彦の姿を見たような気がした。彼は少年本来の快活さを持って走り、誰かの元へ駆け寄っていた。その目には涙が浮かび、顔には嵐にも見せなかった満面の笑みが浮かんでいる。
 その小さな体を骨ばった大きな手が包み込むのを見た瞬間に意識を失い、それが真実、自分が見たものなのか不安だった。
 自分で自分を納得させるが為に見せた夢ではないか、と。
 すると、男はふわりと笑って大きく頷く。その顔を見て気持ちがすっと軽くなるのを感じ、嵐は肩の力を抜いた。
──ありがとう、嵐。
 最後に弥彦がこちらを向いて言った言葉も、夢ではなかったのだ。
「……それなら良かった」
 ぽつりと呟いて桜を仰ぐ。波のようにさざめく桜の花々は目を休ませ、心を穏やかにした。
 しばらく互いに沈黙して桜を見つめていたが、やがて男がゆっくりとした動作で立ち上がる。
『さて、そろそろ行くかな』
 幹に触れて桜を見上げながら言う。嵐は微苦笑した。
「すみません」
『なに、これも私の仕事だ。ずっと暗闇ばかりで彼らも辛かったろう。暖かで綺麗なものを見せてやらねば』
 そこで一息つき、男は嵐を見据えた。
『私が責任を持って、皆を連れて行く。この花を楽しみにしていた者にはすまないが、しばらくの間待つよう伝えてくれないか。必ず戻ってきて、今度は掛け値なしに美しい桜をご覧にいれると約束する』
 特に、と言って嵐を示した。
『お前の係累には』
 嵐は嬉しくなるのを感じ、小さく笑って立ち上がる。
「わかりました。でも、大丈夫だと思いますけどね。人は待つことに慣れているから」
『そうか』
 男は晴れやかな笑みを浮かべた。
『それなら良かった』
 幹に手をついて笑う男の姿が段々と薄くなっていく。そして完全に消え入る間際、巨体が嵐に向けて頭を下げた。
『では、失礼させてもらおう』

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