黒子の大きな声と共に再び風が吹いたが、今度は足下から巻き上げるような風だった。それも夏とは思えないほど涼しげで、あまりの強風に目の前にかざした手の温もりも一瞬で奪い去ってしまうほどの──それでいて静謐な空気。
 嵐はこの時、お方さまというものがどういうものなのか、初めてわかったような気がした。
 風はひとしきり渦巻いた後、空へと吹き上げていった。その風の名残も消えぬ時、後ろから怪訝そうな声がかけられる。
「……あんた何やってんの」
 振り向けば、祖母が母親と連れだって嵐を見つめていた。
 婦人部の集まりから帰ってきたのだろうが、家に入ってみれば孫が笹を手に庭に突っ立っている。それはさぞ怪しい光景に見えるだろうなと思って、何の言い訳も思いつかないまま「おかえり」とだけ言った。
「ただいま。……それって笹よね」
「ああ……まあ」
 それ以外に言いようがない。
 母親は不審そうに問うた。
「あんた、七夕やりたかったの?」
「七夕?」
「違うの? 今日は七夕だし、それ、七夕飾りでしょう?」
 それ、というのは笹の葉から垂れ下がる五色の糸である。先刻のような輝きも、また黒子もいないが、薄緑色の葉と共に揺れる姿はどことなく可愛らしかった。
 母親に指摘され、嵐はやっと合点がいく。笹だの何だのと言われて思った既視感はこれだった。
「……そういや短冊じゃなくて、糸を垂らすのもあるんだっけ」
「そのつもりでやったんじゃないの? にしても糸ってあたり、あんたらしいわねえ」
「どこが?」
「今じゃ、短冊にお願いごとを書くっていう柄でもないでしょ。昔は楽しんで書いていたのにねえ」
「……まあ、昔と今じゃ違いますからねえ」
 褒められているのか呆れられているのかわからないまま、嵐は曖昧に頷いておいた。
「ま、たまにはいいんじゃない」
 祖母は着替えに向かおうと踵を返しながら言った。

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